YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし。
居間でしゃべった
まんまのインタビュー。

第4回。

98・10月のある土曜日。吉本隆明さんの家。

場所は、吉本さんの家。
正面の路地の真ん前に吉祥寺というお寺があって、
塀ごしに「小さな大仏」が見える。
小さな、と、大仏は、矛盾しているようだが、
ほんとにそうなんだから、それでいいのだ。

目の手術で入院が決まった日の、前日だったので、
ちょっと遠慮がちにスタートしたはずだった。
当然、日常会話なんだから、その目の手術の話題から
はじまるに決まっているわけだ。

第3回は<科学的っていうこと>と題して掲載しました。
今回は、第4回ですが、あははは、
タイトルのつけようがなくなってきちゃった。
でも、あえて<気効治療のことなど>と、
させていただきました。どんなもんだろ?
*なお、第3回の掲載分に、
少々「校正もれ」がありました。いまは直ってます。
吉本 人間がサルから分かれて
百万年とか二百万年とかいっている。
で、二百万年以上前から宇宙はあったというのは、
まあ、大体わかってるんだから、そうだろうと思うから、
それは唯物論じゃなくたって承認するんじゃないか
っていうふうに思ってましたけどね。

このごろはちょっと疑いをもって、
そういうふうにいう場合には自分も宇宙の中の一部分で、
つまり、人間も宇宙の中の一部分であるか、
そうじゃなければ、
それを言ってる、判断している自分は宇宙とか自然とか、
そういうのの外に立ってるのかという、
そういうことをちゃんと言えなきゃ
だめなんじゃねえかって思ってきた。

だから、レーニンの言い方も、雑すぎます。
宇宙のほうが先にあったと判断してる本人の脳は、
特別な存在なんですよね。

判断している限りは自分だけは、
あるいは自分の脳だけは、宇宙の歴史の外にいる
ということになるじゃないのって思えますね。
そういう判断している場所をはっきりしないと、
レーニンみたいな断定はできないと
考えるようになりましたよ。
彼の唯物論なるものは成り立たんのじゃないか
というふうに、このごろは疑問をもってますね。
それは疑問だぜっていう。

糸井 つまり、観察者っていう特権的な位置を、
一体いつ決めたんだっていう、そういうことですよね。
吉本 そうそう。そうなんですね。
糸井 最近はやりの自然と人間の対立なんかの話も、
人間を自然の外側にどうしておけるんだ?
という、同じパターンですよね。
吉本 そうなんですよね。
レーニンがやっつけてるやつは、
大体そういう考え方してるんですよね。
人間の感覚がない限り宇宙がどうだとか、
自然の歴史はあれだとか、
人間より先に宇宙があったとか、
その判断は人間の脳が判断してるんだから、
人間の脳が判断しない限り、
そんなこと言うこと自体がこっけいじゃないかと。
ただ、人間の脳のおおきな機能である、
その感覚的な作用ですね。
それのほうがほんとうであって、
宇宙があるかないかなんていうのは、
そんな客観的に言えないよって言うやつを、
レーニンが盛んにやっつけているわけですよね、
あれは観念論だって言ってやっつけてるんだけど。
でも、どうもレーニンの言う。
糸井 レーニンのほうも。
吉本 大ざっぱ過ぎるんですよね。
大ざっぱ過ぎるなあという感じでね、
このごろはそういう言い方は、
両方ちゃんと言えないとだめなんじゃないかなという。
両方のことが言えないとだめなんじゃないかなという判断、
そういうふうに思うようになりましたね。
そうしたら、どういうふうに言えば科学的なのか
ということは、もう少しちゃんと考えないと
だめなんじゃないかなという疑問を
このごろはもってますね。
糸井 とっても大きい問題だったわけですね。
 
吉本 そうなんですね。
(笑)だから、これは自分のリハビリとか十字式って、
効能があるっていうことはつぶさに実感したり、
見たりしたりしたから、
そういうことは随分影響してるのかもしれないですけどね。

さればといって、精神のというか、
察知する問題っていうこと、
鋭敏さとかの問題っていうのは入ってないかと考えると、
どうもそれもちょっとそうじゃないんじゃないかな。
つまり、さっきのあれでいうと、
判断力がとまった人にやってもらうと、
何となくとまりだなという感じになっちゃうのは、
どうしてなんだという感じはするんですよね。
すっとそういう精神作用みたいなものが入っている
みたいな気がするんですよね。
何か感覚作用か、超科学作用か知りませんが、
そういうのが入っているのかなあという気もしますけどね。

だけど、エネルギーももちろん、
科学的なエネルギーもちゃんと出たり
強力にあれしたりしてるに違いないと。
だから、そこは非常に科学的なもんだっていうふうに
そこは思いますね。だけど、それだけかっていうと、
何かそこもよくわかんないですけどね。

そういうふうにあれしてたらね、
僕の知ってる精神科のお医者さんで、
東京大学の医局にいるんですけど、
それで養知病院っていうところの医院長をしてるやつが
この間来ましてね、それで、
吉本さん、僕が教えて・・・って、
僕らは精神科の入院患者にやっぱりやっているんですよ、
とか言って、気功なんですよね。それで……。

糸井 精神科で気功なの。
吉本 そうなんですね。なぜかって、
どうしてかっていうと、精神科の、
どっかにおかしいとか異常があるとか、
それから、何ていうか、神経症だとか、
そういうやつっていうのはどっかが固いんだってね。
結滞っていうか、渋滞っていうのがあるんだって。
だから、それを気功で柔軟化するということは
非常に有効だっていうことが言えるし、わかったから、
だから、自分たちでやってるんだって。
まず自分たちが中国人の気功師の優秀だっていう人を呼んで
習ったんだって。それであれして……。
糸井 効果あり?
吉本 できるようになって患者さんにやってるんだって。
こういうんですよとか、
何段階かの幾つかあるんですよとか言って、
ここでやってましたけどね。僕はできないんです。
できないっていうのは、まだできないと言った。

要するにこういうふうに立っていて、
手足をやたら、どっか力を入れて手足を動かそうものなら、
僕はすぐ前後に倒れてしまいますからね。
ぐらぐらしちゃうから。僕は重症なんですけど。
その人のやり方っていうのは、
気功ってみんなそうなのか僕は知りませんけど、
要するに全然力なんか入れないで手を動かしたり、
ひざを屈伸したりね。
全然力を入れないでそうやるという訓練なんだ
っていうんですね。
どこにも力を入れないで体中動かしたりする。
どっかに力が入っちゃうとか、
そういうこと全然なしにそれをやる。
そういうあれなんですよって言ってましたけどね。
僕、自分が今やっていることは全然反対のことやっていて、
ぎゅうぎゅうな目に、
痛えとかったらもっと押してやれとか、
こうしたらいいとか、
強くやってやれっていうんだけど、
その人たちのあれは……。

糸井 剛と柔ですね。
吉本 そうですね、剛と柔。(笑)
全然力を入れないで腰をああしたりね、
手足をこうしたり、体を回したりとか、
そういうのをやるあれなんだって言うんですね。
糸井 吉本さん、これはね、僕は
どこを押すとどこにつながっているかに
興味をもった先輩として言いますと、剛はだめなんですよ。
どうだめかっていうと、結局そこ痛むんです。
大体、僕、結局、
どっかからわかんなくなっちゃったんだけど
飽きたんですけど。危機意識がなくてやっていたんで。

例えば体のどっかが痛いとき、
どこかとつながってる感じがわかったときには、
ただ手を置いてあっためるぐらいのほうが
押すより効果があるんですよ。

吉本 ああ、そうかそうか。
糸井 ぬるさでかばってあげるみたいな、
非常に母親的な接し方のほうが、
効果があるみたいなんですよ、どうも。
今の先生の話と吉本さんの話と比べると、
もちろん吉本さんも、後のちはそっちの(柔の)方向に
いくんじゃないかと、想像するんですけどね。
吉本 それは、そのときその先生に、
森山さんっていうんですけど、
その先生についてきた患者さんの母親なんだけど、
そういうのに多少心得があるっていう人が
一緒についてきたんだけど、その人もそう言ってたね。
吉本さん、ぎゅうきゅうの目に遭わせるっていううちは、
それはだめですよって。
比喩がいいんだけどさ、
初めて女の人の体にさわったときのように
あれしてやるのがいいんですよっていうね。
糸井 わかりやすい。
吉本 そういうふうに言ってましたよ。
糸井 同じだ。
吉本 そうそう同じ。(笑)
もし、そういうふうなことが
だんだん自分でわかってきてね、
そういうふうにやるようになったら、
吉本さん、治りますよって盛んに言ってましたね。
何かこういう足の指とか、指の間とか、
そういうのをその人がこういうふうにやっても、
普通痛がるんだけど、吉本さん痛がらないから
随分やっているだなあって。
わかるけど、ぎゅうぎゅうの目っていうのは、
確かに糸井さんが言ったように、
とにかく女の人と初めて接したときのような、
そういう柔らかさでやるのが
一番いいんですよなんて。(笑)
糸井 だから、さっきの組体操の話じゃないですけど、
だれかが、かばっているやつが
過剰に労働しているわけですよ、からだ全体でいうと。
そうすると、そいつのところの負担が、ツケがきて、
後でやっぱり弱くしちゃうんですね。
そうしたら、ほかのバッターが打てなくて
四番が一人で頑張るっていうときに、
その四番に、「毎日おまえ寝ないで素振りしろ」
というやり方が、そのぎゅうぎゅうなんですよ。
いっとう活躍してるやつにシゴキを加えるっていう。(笑)
四番のやつに優しくご苦労さんっていうのが
多分あっているんだと思うんだ。
それが実感としてわかんないと、
ぎゅうぎゅうのほうが気持ちいいんですよ。
そうなんですよね。
それでいかにも効果ありそうに見えるんですよね。
だから、見えるし、事実、ある程度は
そのぎゅうぎゅうの目っていうのはあるわけだから。
糸井 おそらく、それは吉本さんに教わった
三木成夫さんなんかにつながる部分ってあるんですけど。
内胚葉、外胚葉というような分け方、
胎児の前にまたできますよね。
で、皮膚っていうのが、
意味的には内蔵と同じような重さがあるわけですね、
外胚葉か? それを内臓のようには
皮膚ってみんな扱わないんですよね。
バランス的には同じ意味がある。
皮膚は外界と絶えず接しているんで、
ほったらかしなんですよ、人間は。
僕は優しく扱うということで思ってたのは、
お風呂に入って外の熱をもらって熱交換をすることと、
それから、強すぎないブラッシングを体中にすることで、
僕のイメージではほとんど健康になるんじゃないかな
と思った時期があったんですね。
何か、雲の上の話みたいなことを言ってますけど。

そのときに実感したのは、
普段触ってない部分をちゃんと撫でること。
これで、内蔵がグウッというんですよ。
お風呂でやわらかい豚の毛のブラシかなんかで、
うっすら石鹸つけて、
指のまただなんだの全部いとおしむんですよ。
かなり意識しないと、そんなことできやしないですね。
 ぎゅうぎゅうやるほうが効率がいいんだよね。
これは吉本さんに学んだんだけど、
暴力という手段が一番経済的に効率がいいんで、
つい、暴力を使うけれども、
それはものぐさなやり方で、一見効果出るんだけど、
また元に戻っちゃうって。
これは吉本さんが書いたのを僕は覚えているんですけど。
剛のやり方はおそらく戸塚ヨットスクール型ですね。(笑)

吉本 それのほうなんだろうね。
糸井 おそらく、全部を見るっていうような、
何ていうんだろう、いとおしむなのかな。
そのおばさんが言っている
女の人の体のように扱うというのが……。

でも、おれなんでそういうことをやめちゃったんだろうな。

吉本 やっぱりそれは治ったから。ある程度……。
糸井 ぜんそくがきっかけで
そういうこと考え始めたんですよね。
吉本 僕もやっぱりそうですね。
これはいかんっていう感じになってから、
少し大まじめにやるみたいになりましたけどね。
糸井 優しく、はね。何か宗教じゃないですけど、
愛ですね。(笑)
そうなんでしょうね。
それで僕はこんなことで、
いろんなことをあれ(研究)してる人で、
生きている人がいるのかな
みたいなことを言ったんですけど。
そのお医者さんが言ってましたけどね、
もう亡くなりましたけど、
九州大学のキリスト教の宗教哲学者で、
滝沢克巳という人がいるって。
その滝沢さんが、要するに晩年っていうか、
ちょっと足腰痛くなったときに気功師に来てもらって、
それでかなり治ってっていうことがあったらしいんですね。
哲学者なもんだから、やっぱり考えこんじゃって、
考えて、これは何なんだっていうんでね。
それで書いたりあれしたりしたのがあるんだそうですね。
あるんだって。
それで滝沢さんの息子さんはお医者さんなんだって。
それで僕の知ってるそのお医者さんが、
行って、会って話ししたときに、
うちのおやじはこういうのを書いたんだけど、
ちょっと正しいかどうか見てくれねえかとかって
言われて見たんだって。
そうしたら、具体的なことではなかなか正しいこと
っていうか、いいなあということを言ってるんだけど、
気功っていうのは、一種の神秘主義だみたいなことを、
そういうふうに言ってるところっていうのは、
やっぱり違うんじゃないかっていうふうに思ったと。
糸井 滝沢さんが言っている?
吉本 ええ、その人は言ってましたよ、
そのお医者さんは。
糸井 滝沢さんっていうのは、
マルクス主義系のキリスト教みたいな人ですよね。
吉本 そうそう。そうなんですよ。
糸井 おもしろい立場の人だったですよね。
吉本 その人です。そうだったんだって。
やっぱり気功をやってよかったらしいんですね。
それで気功がなんだっていうんでやっぱり……。
糸井 びっくりするんでしょうね、やっぱり。
吉本 するんですね。思いがけないことが……。
糸井 あっちゃいけない世界……。
吉本 あっちゃいけない世界みたいなあれなんですよね。
それでそういうのを探究してっていうか、
やっぱり哲学的に考えて。
糸井 読みたいですね、それは。
吉本 書いてあるんだって。
それを書いてあるのを見せてもらったんだって。
その人は気功もやっているし、精神科のあれだし
っていうあれだから、見てくれ見てくれ言われて
見たんだって言ってましたけどね。
糸井 それは吉本さんもごらんになってないわけですね。
吉本 僕は全然見てないですけどね。
糸井 本になってないんですね。
吉本 ないんですね。本になってないし、
書いただけなんでしょうね。
(途中っぽいですが、この続きは第5回に)

1999-01-15-FRI

BACK
戻る