吉本 |
あの人は、蓮実さんって人、
おふくろさんとの関係における、何ていいますかね、
生まれる前というか、胎児というか、わかりませんが、
胎児の後半期だと思いますけれども、
それがよくないよというのは何となく、すぐ……。 |
糸井 |
無意識が荒れてるっていうやつですか。 |
吉本 |
そうそう。すぐわかりましたね。わかって、
いや、「ちょっと、生まれる少し前が
よくないんじゃないですか」って、
すぐ言ったのを覚えていますけどね。
今でもきっと時々思い出すだろうと思いますよ。
かなり当たっていると僕は思っていますから。
それから、このあれは、柄谷行人というのは悪いですね。
荒れてますね。これは、これも、三人とも荒れてますね。
浅田彰も荒れてますね。
それは何となくわかる気がしますね。 |
糸井 |
荒れが。周囲の世界を理解したいという欲望が、
知を……。 |
吉本 |
知を形成させる。(笑)
そうなんです、それはタイプがそうですからね、似てます。
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糸井 |
そんなに必要以上に知らなくても
生きていけると思うんだけど。(笑) |
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吉本 |
過剰なんですよ。過剰に知的なんですよ。 |
糸井 |
知的な過剰ですね。(笑) |
吉本 |
そうそう、そうだと思いますね。
それはきっと、別な意味で言うと、
何かの原動力になっているんだろうね。
学問か研究か知りませんけど、
それを促進するあれにはなっているんでしょうけど、
だけど、過剰ですよ、もう。
過剰意識ですね。
だから、それはやっぱり、しかし、
僕はそう思いましたね。
それで、さて、文学関係では、あんまりいねえんだよな、
こういう人は。あれだなっていう、
「これは大変たっぷりした人だな」というのは
あんまりいないような。
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糸井 |
たっぷりしていない? |
吉本 |
ええ、たっぷりしていないですね、みんな。
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糸井 |
貧乏くさいという。 |
吉本 |
貧乏くさいですね。
みんな貧乏くさいのを何かで後天的にカバーして、
何となく、まとまりつけていく
という感じは多いですね。
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糸井 |
僕はよく友達に言うんだけども、
「何かを表現して生きよう」
なんていう道を歩んでいる人は、
全部貧乏くさい、ということ。
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吉本 |
そうそう。
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糸井 |
特に物事をしゃべらずに、
一生にこにこ笑ってる人のほうが、
おれは絶対に人生として芸術だと思う。
そっちのほうが、ほんとはいいんで。
人生嫌になった人があんまりエバるのは、
やはり世界を逆転させるようなことだから、
迷惑なことなんじゃないか。(笑)
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吉本 |
そうでしょうね、多分そうですよね。
それは鮎川信夫が昔言ってたことがあって。
昔はあれだからなとか、
学問とか芸術なんていうのは、
あれは奴隷の仕事だからなとか、
ギリシア時代だったら奴隷の仕事だからなんて、盛んに。
我々やっていることはそうなんだみたいなことを、
盛んに言ってことがありましたね。 |
糸井 |
鮎川さんは、もうちょっと、こう、
豊かな感じの方ですね。 |
吉本 |
そうだと思いますね。あの人はそう思いますね。
ものすごく豊かですね。感じますね。
豊かで。
ほんのちょっとぴりだけ、
「あっ」と思うときは、ほんのちょっぴりぐらい
ありますけどね。
ありましたけど、豊かですね。
あの人、そうだな、僕らの詩の仲間だったから、
あの人くらいかな、あの人くらいでしょうね。
だけども、とても、あ、そうか、
これはちょっと公表しちゃいけないからあれですけども、
僕、わりあい親しくして、
しょっちゅうあれしてたりしてたけど、
会ったり、しょっちゅう来たりあれしてたんですけど、
あの人の、大体奥さんがいるのかどうかというのも、
奥さんはだれであるのかというのも全然わからなかった。 |
糸井 |
鮎川さんって、そんな謎の人だったんですか。 |
吉本 |
謎というか、僕がぼんやりして
聞かないから悪いんだっていうのか。 |
糸井 |
つき合い長いですよね。 |
吉本 |
長い。そんなはずはない、
ひとりでにわかるはずなんですよね。
つまり、何かの言葉の端々に奥さんのこととか
家族のことがふっと出てくるはずなんですよ。
それで、奥さんはこうだなとかって思うはずなのに、
あの人は、特に死んじゃってから、初めて、
あっ、ていう・・・(奥さんが)いたんだ、
いたんだというのと、
あっ、(奥さんは)この人だっ、この人っていうのはね、
死んでから知ったこの人っていうのはね、
名前ももちろんそのときから知っているほど著名な人。
ただ、それがその奥さんだったとは
全然死ぬまでわからない。それは一体、何が……。
謎、僕にはわからないですね。
どこがどうなっているのかという。
大抵は、何か全然奥さんのことを言わなくても、
何かしゃべっているうちに、
どっかにこういうふうに出てくるみたいのがあるでしょう。
それは全然なかったですね。
もちろん聞けば、きっと、こうこうだと
言ったかもしれないけど。
僕、聞くようなあれというのは格別なかったから、
それを聞いたことはないんですけど、
ひとりでに、話の中で。
随分長くつき合っているわけだから出てくるはずなんです。
それでだから、あ、こういう人なんだとか、
およそこうだとかわかるはずなんだけど、
それが全然わからなくて、あらーって思って。
死んでから初めて奥さんがいたっていうのがわかって、
それから、だれだっていうのも初めてわかった。
あらっ、この人ならちゃんと名前、私は知っているぞ
という、そういう人だったんですよ。
これにはびっくりした。
だから、それはやっぱり鮎川さんだって
何かがあるんですよ、何か。
何かがあるんですよ。
それだけ気配を見せないということは、
相当何かがあるんじゃないかなと思いますけどね。
何だかはわからないんですけどね、
会って、びっくり、それはほんとにびっくり仰天ですね。
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糸井 |
ダンディズムみたいなものは感じますけど。 |
吉本 |
それはあるんだろうけどね、
多少あるんでしょうね。 |
糸井 |
ダンディズムというのは、
ある種の個人的な理想の形だと思うんで、
そういう意味ではわかりやすいかもしれない。
隠しやすい場所がはっきりしますよね。 |
吉本 |
そうですね。それはそうだったんですよ。
へーっ、何とも……。
だから、やっぱりどっかあるのかなと思いましたけどね。
そういうところはあるんですけど、
でも、概して言えば、たっぷりした人ですね。
それ以外ではたっぷりしたあれの人ですね。
そういうことと、この人、
なんか詩なんか書く人で、ゴルフやる人なんか
そんなにいないんだけど、
「荒地」(あれち=詩の同人誌)の人に
わりあいにそういうのがいて、ゴルフって行ってて。
聞いたことがあって。
あんなものはおもしろいですかって・・・だって、
こんなわざわざ引っぱたいても当たりにくいような
あれでもって当てて、それで穴ぼこの中に入れて、
幾つで入ったかとか、
あんなことはおもしろいんですかって。
そうしたら、いやっ、それは
君はやったことがねえからそうなんだけど、
あれはおもしれえんだって言うんですね。
おもしろいんだって。何がおもしろいかって言ったら、
大体、ひとつは、
回っていると、ひとりでに、
ある年齢以上だったら
ものすごい運動になっているんだというんですね。
何時間も回っていると運動になっているということが一つ。
それから、やっぱり一種の賭けの要素があるんですよね。
つまりいくつで、俺はいくつで入れたぞとか、
たくさん打ったけど入らなかったとか、
そういうあれで賭けの要素があるっていうんですね。
それから、もちろん技術の要素もあると。
とにかくこれだけの、
スポーツで、これだけのたくさんいろいろな要素を、
つまりそれこそ豊富な要素を
あれしているものなんていうのは、そんなにないぜとか、
彼の説明はそうでしたね。
だから、やっぱりブルジョアというのは
おもしれえことを発明するもんだなとかって、
彼はそういうふうに、そういう説明をしていましたけどね。
それでやっていましたけど、
「あれだけは、君、やらんとわからんよ」とか
盛んに言っていましてね。
わりと好きでよくやってたみたいですね。
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糸井 |
遊び方の上手さみたいなこともやっぱり・・・。
僕らは根っこが乏しいから、
遊びがガツガツするんですよ、どうしても。
アメリカ人の遊び方って、
みんな基本的にガツガツしているんです。
アメリカの人たちって、
どうも全員荒れてるっていうか。(笑) |
吉本 |
全員荒れてる。(笑)
もともとただせば責められて……。 |
糸井 |
映画観ても、何見ても、
豊かだなぁっていうのはほんとにないですね。
ヨーロッパの、例えば僕がこの間、
オペラというものを初めて見て、
しっかりと寝不足だったので寝ちゃったんですけど、
あのかったるい時間に浸っていられるような楽しみ方って、
アメリカものにはないんですねぇ。
例えば、豊満な肉体のグラマー女優が
人気があるっていっても、
その豊満の価値規準が、数字というか、
必ず言葉に直せるようなものですよね。
わかりやすい価値の言葉に、なおせる、なんでも。
あれは貧乏くさいなと。
やっぱりその歴史の後ろ側を持っていない人たちが
取り返そうとして、一気に暴力を使っちゃうような。(笑)
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吉本 |
それは何となくわかるような気がします。 |
糸井 |
感じますよね。 |
吉本 |
我々にもかかわりますね。 |
糸井 |
イタリアだ、フランスだ、
イギリスなんかも、ほかに比べれば、ラテンに比べれば
貧乏くさいんだろうけども、
やっぱりヨーロッパのものって、
なるようになるというか、
さっきの、世界と自分を観察者に置かずに、
浸っている喜びをどっかに見せているんですね。 |
(というところで、次回に続きます) |