吉本 |
不況があったら出版不況だこれはきついなあなんて
いうふうに、このきつさというのは
少しずつわかるんですね。
例えば出版社は、本を出してから三カ月後に、
まあ、最初の金を払うとかっていう、
こういう建前になっているとすると、
何となくどうもその期日が来ているような気がするんだけど、
全然、あれは、来ないなみたいなことが、
すっーと、こういうふうに。 |
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糸井 |
具体的ですね。 |
吉本 |
そうすっと、ああ、やっぱり、
これ、そのせいと考える以外にないな
みたいになっていくんです。
そうすると、それも、僕、やっぱり、
経済現象が主体であるとそうなんです。
ということは、つまり、
支払いを、無限に延ばせば、要するに、
支払わないと同じになるわけです。
支払わなくていいということになっちゃうから、
だから、どんどん延ばせば、もう、
支払わなくてもいいという理屈になっちゃうんですよ。
だから、その途中の三カ月後というのを、
五カ月後にしたら、そりゃあ、大変なあれなんですよね。
支払わない利益になるわけです。
それは、一般にどんな企業も、
出版業でもそうだし、それは考えてるわけですよ。
そういう考え方をして、ずるずる、ずるずる、
わからないように、おくらしていくっていう、
支出に関してはそうだっていうのは、
だれでも考えやすいやり方で、
そういうふうに一般的になっていて。
まあ、出版界というのは、のん気なところだけど、
まあ、大体、そういうふうにやってきたな
という感じはするわけですけどね。
これを考えても、何となく、
この経済問題みたいなことを主体にして
ユートピアを考えると、
何かもう無限に支払いを延ばせばいいとかね。
とにかく、みんな金利生活者になればいいと、
こういう、つまり、すこぶる、
芳しくないイメージしか出てこないということ、
ありますね。
だから、いやぁ、これは何か違うんだよって。
何かなんだよって思うんだけど、
その何かって一体、これなら、
こういうのが満たされるというのはあるかな
みたいなふうに、やっぱり考えこみますね。
ただ、だから、僕は、その旧来の考え方も、
旧来の道徳的かつ倫理的考え方の延長線で考えて、
そういうふうに考えていくと、
何がユートピアなのかなというふうに言うと、
だれでもいいんですけど、
まあ、糸井さんでもいいし、僕でもいいけども、
僕なら僕が、こう何だかんだ言いながら、
こうやってて、それで、ぽっかりと、ぽっくりと、
そういうふうに逝っちゃったというふうになったら、
まあ、周りの人が、
何となくちょっと何かが
物足りねえんじゃないかというふうに思えるように、
そういうことは考えるんです。
でも、この考え方は、
旧来の考え方の延長線で考えて、
つまり、ほかのことはみんなもう無効で、
無効だと考えてもしようがねえんだとなってきて、
経済的な苦労も、
そういうふうに、今までの経済観念で考えたら、
もう、これ、金利生活者かね、
じゃなきゃずるして、何か無限に支払うことだけ、
支出することは無限に延ばすという、
それで行きゃあいいんじゃねえかというしか、
イメージが出てこないんですよ。
そうすると、今度は、そういうのを抜きにして考えると、
やっぱり、いる間は、
どうってことねえじゃねえかというふうに……。 |
糸井 |
相手にされもせずに。 |
吉本 |
(笑)されもせずに、何にもせずにとか、
こういうふうになる。
それで、そんなことは問題にならんじゃないか、
になっててね。
それで、結構、まあ、
楽しんだり、悲しんだりしながらやってて、
それで、まあ、いなくなったら、こう、
ちょっと物足りねえなという、何かが物足りない。
何が物足りないかわかんねえや。 |
糸井 |
あいつ、いねえやって。 |
吉本 |
うん。わかんねえやって。
あの、何だかわかりもしねえや。
でも、何となくというふうなのがね、
従来的な考えからいうと、
今、考えられるユートピアじゃないかなって思うんですね。
だけど、こりゃあ、ほんとに従来の、
まあ、何というか、旧来の考え方っていうかね、
その考え方の延長線上で言えることでね。 |
糸井 |
それは、南無阿弥陀仏ってことですね。 |