YOSHIMOTO
吉本隆明・まかないめし。
居間でしゃべった
まんまのインタビュー。

第12回。

98・10月のある土曜日。吉本隆明さんの家。
場所は、吉本さんの家。

長い長い話をしたものを、細切れに
ここに掲載しております。

こんなふうに言うと、まるでいままでがつまらなかった
みたいに聞こえるかもしれないけれど、
自分で掲載用にまとめていても、
このあたりの話はおもしろいわぁ!
若い読者から、「おもしろぞ」というメールを
もらうのも、けっこううれしいですね、この連載。

「週刊プレイボーイ」でも、
『吉本隆明・悪人正機頁』という
変則的な人生相談の企画やってます。
合わせてお読みください。
で、この第12回は、
<親鸞の影響と親の背中>です。

吉本 そう、そう。南無阿弥陀仏ってことです。
念仏ですよ。念仏。
念仏なんて、一回唱えればいいってことで、
それでいいんじゃないかって、
こういうふうになっちゃうんですね。

それで、経済的に、金利生活者に、
借金は延ばせっていうのが、もう、
あんまりいいイメージじゃないっていうんなら、
まあ、それもいいイメージじゃないってということなら、
何かもっと違う、愉快そうなイメージっていうのを
何かこう、持ちたいものだということを考えますね。

まあ、糸井さんが、今、言ったことも、
やっぱり、一つのユートピアのイメージなんですよね。
僕はそう思いますけど。

これは、ちょっと考えどころだぜって、
今、考えどころだよって。
 
糸井 今、ですよね。
吉本 今なんですよ。今の課題であって、
文字どおり今の課題でね。
これは考えどころだぜっていうふうになって、
どういうのが一体いいのかねえというふうになりますね。
糸井 吉本さんは、だから、マルクス主義もかじったし、
その、哲学者とも言われるし、詩人とか、
いろんな言われ方をするけど、
浄土真宗の一人の信者であったという。
吉本 そう、そう。
糸井 そういったところなんですね。
吉本 そうなんだよ。
おれ、やっぱり、親鸞という人は、
日本の歴史の中で、一番いいんじゃないかなと
思ってるとおりに、どうも、
この影響はなかなか脱したり、こう、別に、
独立したりって、できないほど、
相当大きなものだなあっていうふうに思いますね。
糸井 親鸞とは、親和感があるわけですね。
吉本 そう、そう。ありますね。
これは、例えば、マルクスというのは、
レーニンから言わせれば、
レーニンとかエンゲルスとかっていう仲間から言わせれば、
とにかく、「幾世紀にわたって、
世界最大の思想家が」、死んだとき、
そう言っているんですけどね、「死んだ」と。
こういう意味で言ってるんですよ、その弔辞の中で。

それは、そういう関係ない人から見たって、
確かに、そのくらいの力はあった人だよなと思うけれども、
遠いですからね、いかんせん。
ドイツと日本、ドイツ人と日本人でもいいですけど、
そういう意味合いでは、感覚的にも、
情緒的にも遠いから、そういう意味では、
かなりそう思うけれども、ああ、そうかというだけで。
糸井 つまり、外側からでは
内を見るように、レーニンを見られないと。
吉本 見られないんですね。
これ、親鸞だと、それがやっぱり内側からだから、
何となく実感こもってくるところがあって、
これの影響は、僕らはとても大きいですね、
多いですね。

だけど、ほんとは、どうしたらいいかっていうことは、
まあ、ちょっとそれ以上というか、
それ以外のところで、考えないと。
考えというか、編み出さないといけないなあなんて、
一たん思うと、何が一体いいんだろうなというのが、
非常に今の問題として、
緊急な課題の、緊急な問題のような気がするんですけどね。
糸井 緊急ねえ、そうですね。
吉本 なかなかに、それはわからないですね。
ほんとにわからないけども、
旧来のそういう考えは、もうちょっとこれ・・・。
いずれもユートピアと言ったら、
もう非常に惨めなユートピアにしか見えないわけで、
これじゃちょっとというか、
しようがねえじゃねえかっていうことですね。
糸井 南無阿弥陀仏じゃ、こどもに言えないですよね。
吉本 そう、そう。
糸井 十六歳のこれから生きていく子に、
「早い話が南無阿弥陀仏だから」と言っても、
まだ、いろんなおもしろいことあるじゃないのって
言われたときに、言い返せないんですね。
吉本 そう、そう。有効じゃないんですよね。
これはねえ、南無阿弥陀仏はもう有効じゃないしね。
これは、教育も有効じゃないし、
もう、演技も有効じゃないしって、もう、
そこら辺のところまで、大体、
来てるんじゃないかと思うんですね。
現に、もう、これが限度、これが奥だって、
大人が言ったって、もちろん若い人は聞きもしないし、
そんなのは、あんまり信用してないよ
という子になっちゃうし、
お説教したって、お説教して聞くような若い者
っていうのは、そんなにいないし。
僕らでも、お説教、親から説教されたことで、
言うこと聞いたことはねえっていう。

結局、従来の親で、
最良のユートピア的親っていうのは、何かって、
父親でもいいんですけど、
何かっていったら、僕は、やっぱり、
後ろで、背中だっていうか。
親っていうのは背中だって、背中見せて、
見せる気がなくて見せてて、子供がそれを見てて、
ほおっーという感じで、何か感ずるっていう。
それは、従来型で言えば、
最良の父親、母親だっていうふうに、僕は思ってたけどね。

親父から説教されて聞いたことはねえっていう、
自分でも思っているわけで。
糸井 思い起こせば、だれでも心あたる。
吉本 背中からだったら、
ちょっと勉強したなっていうことは、ありますからね。
学んだ。だから、それは最良だった。
じゃあ、これからはどうなんだって言ったら、
何が最良、最良の親とか先生とか教師とか、
そういうものね、宗教家とか何でもいいですけど、
それは何なんだっていうのは、
すこぶるわかりにくいようにも思うんです。
何やっても、もう今の若い人には、
ほんというと、通用しないよ、
通じてないよというふうに思えるんですね。

それからまた、背中見ているほど悠長な若者は
あんまりいないし、いないから。
それはちょっともう親は親、子供は子供ということで、
これはもうしようがないんだよなというふうに、
思えるようなね。
そこまでもう来ているんだから、
じゃあ、何がユートピアなんだっていう、
親とか子供とか限定しなくても、
何がユートピアなんだということは、やっぱり、
考えどころだと思いますね。
糸井 緊急な追求事項、もしかしたら。
吉本 緊急な考え方ですね。
糸井 ほんとにリアリティーあるんですよ、それ。
みんな、なかなか通じないですね。
吉本 通じないですね。
糸井 緊急だからと思うからこそね、
今、どたばたしてるんだけど。
あんまり、みんな緊急だと思ってない。
緊急だと思っているのは、どうも家計のこととか、
ビジネスは緊急だというんですけどね。
吉本 いやぁ、それはね。
でも、まあ、逆に言えば、もう若い人で、
年食ってるやつの言うことがわかるとか、
これは何かこう実行するに値するなんて、
若い人がそう思ったら、
気持ち悪くてしようがないですよ、逆にね。
逆に、気持ち悪くてしようがない
っていう気もしますけどね。
気はするんだけど、まあ、つまり、
ちょうど背中を見せると同じように、
あんまり何も言わねえけど、後ろ見せているという、
それと同じような意味合いで、
何かユートピアということが、
言えたらいいなあとも思いますけどねえ。
糸井 いいですよね。

1999-05-13-THU

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