吉本 |
そう、そう。南無阿弥陀仏ってことです。
念仏ですよ。念仏。
念仏なんて、一回唱えればいいってことで、
それでいいんじゃないかって、
こういうふうになっちゃうんですね。
それで、経済的に、金利生活者に、
借金は延ばせっていうのが、もう、
あんまりいいイメージじゃないっていうんなら、
まあ、それもいいイメージじゃないってということなら、
何かもっと違う、愉快そうなイメージっていうのを
何かこう、持ちたいものだということを考えますね。
まあ、糸井さんが、今、言ったことも、
やっぱり、一つのユートピアのイメージなんですよね。
僕はそう思いますけど。
これは、ちょっと考えどころだぜって、
今、考えどころだよって。 |
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糸井 |
今、ですよね。 |
吉本 |
今なんですよ。今の課題であって、
文字どおり今の課題でね。
これは考えどころだぜっていうふうになって、
どういうのが一体いいのかねえというふうになりますね。 |
糸井 |
吉本さんは、だから、マルクス主義もかじったし、
その、哲学者とも言われるし、詩人とか、
いろんな言われ方をするけど、
浄土真宗の一人の信者であったという。 |
吉本 |
そう、そう。 |
糸井 |
そういったところなんですね。 |
吉本 |
そうなんだよ。
おれ、やっぱり、親鸞という人は、
日本の歴史の中で、一番いいんじゃないかなと
思ってるとおりに、どうも、
この影響はなかなか脱したり、こう、別に、
独立したりって、できないほど、
相当大きなものだなあっていうふうに思いますね。 |
糸井 |
親鸞とは、親和感があるわけですね。 |
吉本 |
そう、そう。ありますね。
これは、例えば、マルクスというのは、
レーニンから言わせれば、
レーニンとかエンゲルスとかっていう仲間から言わせれば、
とにかく、「幾世紀にわたって、
世界最大の思想家が」、死んだとき、
そう言っているんですけどね、「死んだ」と。
こういう意味で言ってるんですよ、その弔辞の中で。
それは、そういう関係ない人から見たって、
確かに、そのくらいの力はあった人だよなと思うけれども、
遠いですからね、いかんせん。
ドイツと日本、ドイツ人と日本人でもいいですけど、
そういう意味合いでは、感覚的にも、
情緒的にも遠いから、そういう意味では、
かなりそう思うけれども、ああ、そうかというだけで。 |
糸井 |
つまり、外側からでは
内を見るように、レーニンを見られないと。 |
吉本 |
見られないんですね。
これ、親鸞だと、それがやっぱり内側からだから、
何となく実感こもってくるところがあって、
これの影響は、僕らはとても大きいですね、
多いですね。
だけど、ほんとは、どうしたらいいかっていうことは、
まあ、ちょっとそれ以上というか、
それ以外のところで、考えないと。
考えというか、編み出さないといけないなあなんて、
一たん思うと、何が一体いいんだろうなというのが、
非常に今の問題として、
緊急な課題の、緊急な問題のような気がするんですけどね。 |
糸井 |
緊急ねえ、そうですね。 |
吉本 |
なかなかに、それはわからないですね。
ほんとにわからないけども、
旧来のそういう考えは、もうちょっとこれ・・・。
いずれもユートピアと言ったら、
もう非常に惨めなユートピアにしか見えないわけで、
これじゃちょっとというか、
しようがねえじゃねえかっていうことですね。 |
糸井 |
南無阿弥陀仏じゃ、こどもに言えないですよね。 |
吉本 |
そう、そう。 |
糸井 |
十六歳のこれから生きていく子に、
「早い話が南無阿弥陀仏だから」と言っても、
まだ、いろんなおもしろいことあるじゃないのって
言われたときに、言い返せないんですね。 |
吉本 |
そう、そう。有効じゃないんですよね。
これはねえ、南無阿弥陀仏はもう有効じゃないしね。
これは、教育も有効じゃないし、
もう、演技も有効じゃないしって、もう、
そこら辺のところまで、大体、
来てるんじゃないかと思うんですね。
現に、もう、これが限度、これが奥だって、
大人が言ったって、もちろん若い人は聞きもしないし、
そんなのは、あんまり信用してないよ
という子になっちゃうし、
お説教したって、お説教して聞くような若い者
っていうのは、そんなにいないし。
僕らでも、お説教、親から説教されたことで、
言うこと聞いたことはねえっていう。
結局、従来の親で、
最良のユートピア的親っていうのは、何かって、
父親でもいいんですけど、
何かっていったら、僕は、やっぱり、
後ろで、背中だっていうか。
親っていうのは背中だって、背中見せて、
見せる気がなくて見せてて、子供がそれを見てて、
ほおっーという感じで、何か感ずるっていう。
それは、従来型で言えば、
最良の父親、母親だっていうふうに、僕は思ってたけどね。
親父から説教されて聞いたことはねえっていう、
自分でも思っているわけで。 |
糸井 |
思い起こせば、だれでも心あたる。 |
吉本 |
背中からだったら、
ちょっと勉強したなっていうことは、ありますからね。
学んだ。だから、それは最良だった。
じゃあ、これからはどうなんだって言ったら、
何が最良、最良の親とか先生とか教師とか、
そういうものね、宗教家とか何でもいいですけど、
それは何なんだっていうのは、
すこぶるわかりにくいようにも思うんです。
何やっても、もう今の若い人には、
ほんというと、通用しないよ、
通じてないよというふうに思えるんですね。
それからまた、背中見ているほど悠長な若者は
あんまりいないし、いないから。
それはちょっともう親は親、子供は子供ということで、
これはもうしようがないんだよなというふうに、
思えるようなね。
そこまでもう来ているんだから、
じゃあ、何がユートピアなんだっていう、
親とか子供とか限定しなくても、
何がユートピアなんだということは、やっぱり、
考えどころだと思いますね。 |
糸井 |
緊急な追求事項、もしかしたら。 |
吉本 |
緊急な考え方ですね。 |
糸井 |
ほんとにリアリティーあるんですよ、それ。
みんな、なかなか通じないですね。 |
吉本 |
通じないですね。 |
糸井 |
緊急だからと思うからこそね、
今、どたばたしてるんだけど。
あんまり、みんな緊急だと思ってない。
緊急だと思っているのは、どうも家計のこととか、
ビジネスは緊急だというんですけどね。 |
吉本 |
いやぁ、それはね。
でも、まあ、逆に言えば、もう若い人で、
年食ってるやつの言うことがわかるとか、
これは何かこう実行するに値するなんて、
若い人がそう思ったら、
気持ち悪くてしようがないですよ、逆にね。
逆に、気持ち悪くてしようがない
っていう気もしますけどね。
気はするんだけど、まあ、つまり、
ちょうど背中を見せると同じように、
あんまり何も言わねえけど、後ろ見せているという、
それと同じような意味合いで、
何かユートピアということが、
言えたらいいなあとも思いますけどねえ。 |
糸井 |
いいですよね。 |