吉本 |
そこは、やっぱり、なかなかならないですよね、
社会全般、日本の社会見たって、
背中見たら、もうどうしようもないじゃないって
いうふうにしか見えないし、
お説教されても、何言ってやがんだと
いうふうになっちゃいますしね。
これは、ちょっとそういう、まあ、
社会全体でもいいし、何でもいいんですけども、
そういうのは、ちょっと黙って、
ともかく、これはユートピアだっていうのは、
こう目の前に出てくれたら、これはありがたいわけだし、
また、つくれたら、大したもんだなと思いますし、
それはほんとうに緊急な気がしますね。
今だったら、もう切れてるだけだっていう。
切れて、世代的にも切れるし、職業的にも切れるしって、
こういうことが、もうどんどん極まっていくみたいなね。
それしかないような気がしてしようがないですけどね、
ほんとに。
|
糸井 |
吉本さんが、緊急っていう言葉で、その感じを、
こう何ていうかな、心の底から、こう、
思えるようになったのは、
いつごろのタイミングだと思いますか、ご自分では。 |
|
|
吉本 |
自分じゃあ、自分で僕は、
あの『我が転向』じゃないけど、
70年のちょっと過ぎたころに、
全部、おれはこう思っていたという・・・
社会のイメージも、それから、まあ、
倫理的なイメージも、自分の、その、
自分は何を、何ていうんだろう、目的というか、
モチーフとして、生活して生きていくんだみたいな、
生きていくんだみたいなことも絡めてね。
こりゃあ、言葉のところからちょっと外れてるぞというか、
何かそういう感じがしたときがあるんですね。
そのときからですよ。それは70年ごろですよ。
70年前後ですよ。
おれの考え、今までいいと思って考えてきた、
きて、思ってたイメージとみんな違う、
ちょっと違うぞっていう感じになってきたんです。
こりゃあ、いけねえ
っていう感じになってきてからですよね。
|
糸井 |
出版物で言うと、やっぱり、『共同幻想論』の時期。
|
吉本 |
そうですね。
『共同幻想論』の延長線で、僕は、
『マス・イメージ論』というのと、
それから『ハイ・イメージ論』というのをやったときに、
このときに、そういうのをもう典型的に、
それを何とか自分で対応ができないのかなって
いうふうに思っても、できなかったんですけど。
でも、試みは試みとしてやったんですね。
だから、それは『共同幻想論』の延長で
やろうというふうに。
|
糸井 |
なんか鉄道から飛行機になったぐらい
違いましたね。 |
吉本 |
そうなんですね、そうなんです。
それはね、そう思ったんですよ。
だけど、ちっともうまくはいってないんだけど、
そのころから、そういうふうに、
そのころ、初めてね、おい、おれ、
おっかしいよなっていう感じになったんですね。
そのおかしいよっていうのは、
今だって続いてるって言やあ、続いているんだけど。
あの、これはしようがねえなあっていう、
こんなんで、こんなピンが狂った感じでは、
ちょっとどうしようもないじゃないのって
いうことになって、
ちょっと考えを修正しないといけないなあ
みたいなことを思い出してね。
それからが、ですね、あの……。 |
糸井 |
ずっーと緊急だと思いながら。 |
吉本 |
緊急だと思いながら。
だから、それはちょうど、何ていうか、
ピン、まあ、その、適切、不適切で言えば、
不適切であったから、
適切のほうに行こう行こうという感じに
なったっていうことなんですね。
そうなんです。実は今も続いてって、続いてて、
続いているうちに、あの、
体はやわになるしというのが今の現状でね。
で、ちょっとどういうことになるのかな、
どういうところに、
こう糸口があるのかなということにね。
僕は人のに聞き耳を立ててるっていうか、
本で言えば、
うまくすぱっとやってるやつはいねえかとか言ったりとか、
聞き耳を立てるとかっていうのは、
割合に熱心なんですけどね。
熱心なんですけど、なかなか、
それは適切なことは言ってくんないですよね。
適切の少し外側のところは、大体、
みんな同じようなことを考えるなあみたいに、
そういうところは、あるんですけどね。
だから、その適切のほうに、少し、
あるいは緊急なほうに少しでも、
こう出ていくっていうのは、
出ているっていうようなことがあるとね、
僕は物珍しくってていうか、だから、
糸井さんの今の話とか、さっきのアメリカの話とか、
アメリカ論みたいなのとは、それはちょっと、
ほう、初耳だぜとか、ああ、これはちょっと新しい、
こう、何か刺激を加えるぜという
感じがしているんですけどね。
それは、もっとほんとは全面的にあれしない、
してくれるね、あれがあったら、いいなあと。
|
糸井 |
やらなきゃだめですよね。 |
吉本 |
そうですね。まあ、少しずつ部分的に、
少しずつは集まっててもいいんだけど、
そういうのがないと、これはちょっと
緊急に間に合わんぜというか、
困るぜってなっちゃうような気がしますね。
もう、僕らのときは、
まだ、前の世代とちょっとつながっている
ようなところがあったけど、
今はもう、そういうのはないですからね。
つまり、僕なら、例えば中野重治っていうと、
これは昔プロレタリア文学で、
戦後も進歩的文学者でって、こういうふうで、
それで、こういう作品を書いて、こういうとこへ、
おもしろいとこでとか。
|
糸井 |
そういう記述は書けますよね。 |
吉本 |
記述が書けるわけで。
今の若い二十代でも、三十代でも
きっとそうと思いますけれども、
もう、中野重治って言ったって、
そんなに知らないと思いますね。
知ってたって、
名前は聞いたことがあるよっていうけども、
どういう人で、僕らの世代が若いころは、
どれだけ、この人の言うことが、影響を与えたかという、
その大きさはもう全然わかんない。
なに?、そういう人、確かにいたなあっていうか、
名前だけは知ってるけど、
うん、どんな人かわかんねえっていうふうに
なっていると思いますね。
文学でも、そうなってると思いますね。
|
糸井 |
文学全部そうですね。 |
吉本 |
なってますね。 |