「ほぼ日永久紙ぶくろ」(27)
とうとう上原選手に渡せたぞ!
しばらく、ここのページを若い諸君やデブの諸君に
まかせておりましたが、
ぼくが立ち上がる時がまいりました。
そうです。
もともと、
この企画のタイトルに堂々とうたわれていた大テーマ!
「巨人の上原選手に使ってもらおう」ということが、
まるで忘れられていたかのようになっていましたよね。
忘れていたのではないのです。
キャンプ、オープン戦と、旅の多い若きエースに、
心の負担をかけずに「ほぼ日永久紙ぶくろ」を渡すには、
どうしたらよいのか、思案していたのであります。
だいたい、あなた、野球を観ている時には、
みんな平気で「ウエハラー!」とか呼び捨てにしているけど
知らない人なんですよ、相手は。
知らない人が、「あんたにあげたくて、これ・・・」とか、
押しつけても気味わるいだけでしょう?
それに、勝負の世界に生きる人々には、
われわれには計り知れない緊張や集中があるはずです。
的確なタイミングで会えなかったら、
ほんとに迷惑なおやじになっちまいますよ。
一時は、いっそ合宿所に郵送しようかとも思ったのですが、
それだと、確かに渡ったという手応えがない。
読者の方々にしたって、なんとなくつまらないですよね。
紙ぶくろを、あんなに気持ちよく使えるヒーローは、
上原投手をおいて他にはいない。
あのヒーローが、「ほぼ日」の紙ぶくろを持って、
球場に出陣して、大活躍する!
それこそがぼくの願いであり、
巨人ファンでない人には迷惑なのかもしれませんが、
「ほぼ日」読者の願いでしょう? やっぱり。
やがて、プロ野球シーズン開幕。
ぼくはおずおずと、正式に巨人軍の広報に連絡しました。
「ほぼ日」がスタートする前から、野球観戦から
遠ざかっていたとはいえ、
軍関係者の方々は、昔なじみのナイスガイの方々です。
倉田さん、菊池さん、所さん、香坂さんなど、
元は投手であり捕手であったマネジメントの方々が、
チームのお世話をしています。
「いいですよー。いつおいでですか?」
案外、あっさりと話は通じて、
「余裕を持って会える日としては8日とかですかねぇ」、
といった親切な配慮までしていただき、
『ウオッ!チャ』収録を終えるやいなや、
ぼくとメリー木村は東京ドームに行ったのでした。
自慢じゃないのですが、
ぼくは、スポーツ選手に会うと、あがります。
特にいけないのが、野球の選手です。
取材記者も入れない選手サロンに通されるのも、
数年ぶりだし、知った選手も数少なくなっている。
あのおっさんは誰だっけ?と訝しく思われるのを覚悟して、
通路を歩いていったら、水野コーチにまず出会う。
ユニフォーム着込んで汗かいているじゃないですか。
「ああ、お久しぶりですね」
「え、どうしたんですか、そのカッコ?」
「ちょっと走り込んできたんですよ」
そうかぁ、コーチも走り込みするのかぁ。
とか思いつつ選手サロンに。
移籍してきた江藤選手とか、会うの初めてだから、
怪しまれているかなぁと思いながら、
とにかく挨拶し続けるぼくとメリー。
村田(真)捕手に早めに会えて、気が楽になった。
「前に、村田ですって声かけられてさ、
どこの村田だっけと思って、生半可な返事したの、
ずっと気になっていたんだよー」
顔にデッドボールを受けて、人相が変わっていたので、
声をかけられたのに気がつかなかったのだ。
横にいたカミさんが「巨人の村田さんじゃない?」と、
先に気づいて、あわてて走って追いかけたけれど、
見失っていた。
あの頃の村田選手は、怪我もあったし、
いろいろ不運なことも続いていた時期だったので、
ぼくとしてはいちばん励ましたい、
応援したい選手だったのに。
「ぼくのほうも、村田ですじゃわからないよって、
カミさんに言われたんですよ。
巨人の村田ですって言わなきゃわからないって、
横で言われたんやけど、そんなん巨人の村田ですなんて、
恥ずかしいから言えへんし」
と、聞いて、過去にさかのぼって安心させられた。
この人、とにかく、ナイスガイなんだよねー。
そのうちには、移籍の工藤投手や、ウルフ高橋選手なども
集まってきて、にぎやかになっていく。
クリックすると大きな写真が出ますよ
この日の主役の上原投手がやってきて、
「ほぼ日永久紙ぶくろ」の記事をプリントアウトしたものを
まるで重要書類のように見せて、事情を説明する。
「いやぁ、そうなんですか。ありがとうございます」
これで、任務のほとんどは完了したわけだ。
「これ、こんなにたくさんいいんですか」
「他の方々に、あげてください」
そこにいた選手たちも、興味を持ってくれて、
「あ、いいの? ありがとうございます。
じゃ、俺、この青かなぁ」とか、手にしている。
こういうこともあるかもしれないと思って、
直接の関係者上原投手の分の他に、
巨人ファンとしてぼくが4セット買ってきたのだ。
誰と誰に渡ったのか、ちゃんと把握している余裕も
まったくなかったけれど、
とにかく、紙ぶくろの若きエース上原投手はじめ、
巨人のおおぜいの選手たちが、
ぼくらの「ほぼ日永久紙ぶくろ」を使っていると、
知っただけでも、なんだかうれしくなるでしょう?
(もちろん阪神ファンも、横浜ファンも使っているのを、
ぼくは把握していますけどさ。それもうれしいですよ!)
クリックすると大きな写真が出ますよ
巨人の選手って、「ほぼ日」知っているのかなぁ?
上原投手は、
「もうじき、ちゃんと部屋でつながりますんで、見ます」
ということでした。
村田選手の話では、
「ヨシノブは、すっごいの持ってるから、
見られるんとちゃうかなぁ。」
ってな様子らしいです。
途中で長嶋監督に「あぁ、驚いた」とか
「いやいやどうもどうもごぶさたをしております」
とか言われちゃうし、
原コーチをわざわざ呼びに行ってくれちゃうし、
なんだか、メリー木村の視線が、
ぼくをちょっとソンケーしているようにも思えましたが、
ぼくは、ただ硬くなっていただけでした。
練習が始まって、選手たちがグラウンドに出ていった後、
巨人広報の逆取材。
「ほぼ日永久紙ぶくろ」とはどういうものか、
そして、「ほぼ日」とは何か?
そんなインタビューを逆に受けてしまいまして、
にっこにこしながら、ぼくらは選手サロンを
後にしたのでありました。
その後、吉本隆明さんご一家の花見に合流するため、
谷中墓地に行ったら、そこでも花見グッズの運搬に、
「ほぼ日永久紙ぶくろ」が便利に使われていましたし、
そういえば、ぼく自身も、
その日のバッグは黄門さま1号でしたっけ。
もちろん、上原投手、その夜のゲームで、
ヤクルト石井一久投手と投げ合って、
最高の試合で勝利投手になったことを、
伝えておかなくてはいけませんね。
「ほぼ日」読者の皆さん、ふくろお買いあげの皆さん、
2000年4月8日(土)午後2時30分、
確かに上原選手に、「ほぼ日永久紙ぶくろ」は、
手渡しされましたよ!!
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