田坂 |
いろんな人にとって、 一番感動したメールは、
ラブレターではないんです。
例えば、大変なトラブルシューティングがあって
疲れていて、金曜日の夜中に会社に戻ってみる。
でも、みんな帰っていて、誰もいない。
一応メールをチェックしてみたら、
一通だけ、それも、たった一行、
「部長、ご苦労さまです」。
・・・これは、じーんと来ますよ。 |
糸井 |
ああ、部長泣いちゃいますね、もう。 |
田坂 |
こんな一行でも、来るときはぐっとくる。 |
糸井 |
電話じゃあ、かけられないですね。 |
田坂 |
電話だと、おしつけがましいじゃないですか。 |
糸井 |
情の量が、多すぎるんですよね。 |
田坂 |
夜中にわざわざ電話で言ってしまうと、
「ごますり」とすれすれになってしまうから。 |
糸井 |
反応しなきゃいけないし。 |
田坂 |
手紙の文化ってすごいもので、
ふだん直接会うこともあるんですけど、
文(ふみ)の文化というか、
たった一行に言霊が凝縮して、
ずしっとくるときがあるじゃないですか |
糸井 |
今、「ふみ」という言葉を
使われたのが、最高にいいですね。
あれはメールでも手紙でもなく「ふみ」ですよ。 |
田坂 |
メールを見事に「ふみ」として
使うひとがいますよね。
このタイミングのメッセージだから
気持ちに来る、というような。
インターネットって以外とハイタッチなんです。
私は、対面の幻想をやめろとよく言うんです。
「直接オフラインで会うほうがいい」
とか、みんな言う。一面はそうなのですが、
顔をあわせればいいというものではないよと。
ぶすっと「いらっしゃいませ」と言われるよりも
「ふみ」で伝わってくる心配りがいい時もある。
リアルな空間だけが最高ではないという、
むしろメールとかインターネットって、
人間のすごみを引き出してくれているような
気がするんですよ。 |
糸井 |
そこは、今まで使っていなかった筋肉で、
でも、昔はさんざん使った蓄えが、
人類としてはある、みたいな。 |
田坂 |
そうそう。 |
糸井 |
だけど、田坂さんは、直に消費者と
インターフェイスしていないですよね。
それにしては、すごいですよね?
商売人の息子ですか? |
田坂 |
もし私が、多少なりとも
消費者の気持ちがわかるとしたら、
それは私が消費者だからじゃないでしょうか。
たぶんマーケッターにとっての王道はそこで、
マーケッターのプロになろうとするよりも、
消費者のプロになってみようという
マインドのほうが、重要なんじゃないですか。 |
糸井 |
そうですね、ぼくもひとにはよくそう言います。 |
田坂 |
男性から見てチャーミングな女性って、
けっこう心が男性的なひとが多いですよね。
あれは「自分が男性だったら」と、
男性の気持ちがすごくわかるんですよ。
こういう風にふるまったら
男性は絶対にぐっとくるというのが、
無意識でわかっている。
だから、マーケッターというのは、
マーケッターであってはいけないんですよ。
徹底的なコンシューマーになるというのは、
そこのあたりで。 |
糸井 |
そういうことは、
実は脳でわかっていないとしても、
心では、わかっていたと思います。
実際にそうやって選択されているわけですよね。
コンシューマーとして生きていれば、
それは自然にわかることなはずですよね。
つまり、
「これを、もらったと思ってみろよ」
という一言ですよね。
あげるときのことじゃなくて、
受け取ったときのことを考える。
着眼点が見えて、その着眼点にいるのが
自分だという共感性みたいなものが、出ますね。
ただ、あんまりまともにぶつかると、
自殺者を慰めているうちに
心中してしまうようなことになるので、
そこはむつかしいけど。
すごい人気のあるホストに会っていると
本当によくわかるんですけど、
もう、自己がぎりぎりまで失われているんです。
コンシューマーのプロの徹底的なかたちは、
何もかも共振する能力になるんですよ。
ぼくは今、そのすれすれのところまで
来てしまっているんです。怖いですよ。 |
田坂 |
売る側の立場に立っている自分と、
「それじゃいけないんだ」
と、買い手の立場に立っている自分と、
あとはもうひとり第3の自分がいて、
それがそのふたりから離れて、
ちょっと冷めて見ているんですよ。
この3人目がプロの世界のような気がします。 |
糸井 |
ですよね。
それが支えるんでしょうね。
そのときには小さな決断が必要になって、
最初に言っていた・・・
|
田坂 |
「割り切りとは魂の弱さだ」と。 |
糸井 |
そういう割り切りを、第3者がしないと、
だめなんですよね。
ぼくなんかだと、その第3者が、
お客さんというか、読者なんです。
「よかった」
という一言で、明日も生きられるんです。
これがないと死にますね。 |
田坂 |
なるほど。 |
糸井 |
ぼくひとりになってしまうと、
無限に共振する宗教家になってしまう。
イエスの方舟のおじさんになってしまう。
あのひとは、どうも話をきいていると、
ある意味で、最高の宗教家らしいですね。
「私死んでしまいたいんですけど、
一緒に死んでもらえますか」
ときいたら、
「はい」
と言うひとらしいんです。
これは、自己が消滅するところまで行っている。
ぼくたちは、もっと薄めて使うわけですよね。
「俺だって眠いから、そこまでは」と。
わけのわからない理由を言うんだけど、
もうひとりの自分を読者に求めていて、
「俺をはげます市場」をもう一度つくって、
その階層が、風車みたいにしてまわっている。 |
田坂 |
わかるわかる、すごいわかるな。 |
糸井 |
痛いし、気持ちいいし、疲れるし、元気だし、
カオスそのものになる。
だから、どう休むかが今の一番の課題で、
釣りをしているときには何も考えないので、
早く釣りに行けばいいんですけど、
循環しているときには、
そこを飛び出せないじゃないですか。 |
田坂 |
MITのシェリー・タークルという研究者の
『接続された心』という本には、
インターネット内の共同体についてのことが、
すごく詳しく書かれています。
多重人格論や言語の問題が、
ウェブ上にある、というんです。
このひとにはすごく正しい洞察と直観がある。
私は、多重人格がいい意味で広がると思います。
「あいつは二重人格だ」と言ったりしますが、
実は五重にも六重にも、人間にはずいぶんある。
そのなかのどれかで生きているだけなんです。
無意識的にも、意識的にも選びとっている。
ウェブの世界では、
「こんな自分もいるんだ?」
というのを匿名でやれてしまうものなので、
人間の潜在意識を解放できる場なんです。
だからあんまり批判したり抑圧しては、
いけないと思います。
文部省推薦のウェブにしてはだめだと思う。
もともと誰でも、
自分を表現したいという欲求はあるんですよ。
ところが、マスメディアの時代には、
ごく一握りの人間しか、それを実現できなかった。
ところが、ウェブでは、今まで世の中に
認められていなかったひとたち、
例えば死体愛好者がホームページをつくる。 |
糸井 |
そういうの、おもしろいです。
つくったひとたちが、生き生きしてますね。 |
田坂 |
今まで誰も自分の話をきいてくれないので
やや病的になったひとたちが、
適正なレベルで解放されているんです。
子供たちが見てはいけないページとかが、
短期的には出てくると思いますけど、
もっと大きな目で見てみると、
きっと、人間の心の深いところの情動の
ひとつの進化をもたらすのでしょう。 |
糸井 |
自分を好きであれる理由を見出せる。 |
田坂 |
そのとおり。 |
糸井 |
ぼくは、露出狂のひとの
ホームページが、好きなんです。
やってることは犯罪すれすれなんですけど、
そのひとたちにこの場がなかったら、
どうするんだろう?と思うと、ぞっとします。
ほんと、お台場を裸で散歩してるんだから。
すぐ行って、ぱーんと脱ぐ。
おんなじ趣味のひとがそのページに集まって
写真を公開したり日記を書いたりしてるんです。
今までは、ある集団を見つけた人が
「こいつらがいる限りは、商売になるな」
そう思った誰かが、市場をつくってきた。
「ゲイがこんなにいるなら、商売になる」
例えば以前は、そう思うひとがいたから、
ホモセクシュアルの生きる場所ができた。
ビジネスが発生したことで、
メディアが発生したんですね。
今は逆に、場はつくれるから
商売を発生させなくてもいいし、
お互いの商売を別の次元で発生させればいい。
俺はたまたまホモセクシュアルではないけども、
場所ができたことは、
よかったなあと思うんですよ。
(つづく) |