田坂 |
もともと、身体の知のほうが深いんですよ。
身体を使って智恵をつかみ取れていない人は、
大体、話が浅いんです。
本をたくさん読んでいる人、
本だけで知識を身につけている人が、
一番危ないんですよね。 |
糸井 |
ガリ勉すれば一年でできることを
俺たちにいくら言ってもだめだよ、
と、ぼくは言うんですよ。
スポーツ選手たちは、それとは逆で、
ヒントを山ほど持っていますね。
負けることを知っているから、謙虚。
勉強家たちは、負けたことがない人が多い。 |
田坂 |
勉強家たちは、負けても、
ある幻想にうまく入りこんでしまうんですよ。 |
糸井 |
「あいつら、あそこでズルやった」
と言っている限りは、だめなんですよ。 |
田坂 |
スポーツのように
結果がはっきりしてしまうものは、
人間の精神を深めるんですよね。
辛いけれども認めざるを得ない、
そこから立ち直るしかないのは、
精神的にはかなりの修練なんですよ。
私の友人に、ボート部のコーチがいますが、
彼にとって一番つらいのは、負けたあとに
「さあ、もう一度頑張ろう」
と練習をはじめるまで精神を回復するのが、
ものすごく大変だと言うんです。 |
糸井 |
うわ、いいですねえ。 |
田坂 |
これは、すごい深みですよね。
ビジネスはみんな共同幻想で、
最後は「うちの会社は・・・だから」とか言う。
だけど、スポーツはやはり結局最後は
自己責任が非常に明確なかたちで出てくるから。
『きけ、わだつみの声』という本を読んでも、
22歳くらいの青年が学徒出陣して
1年後に23歳ぐらいで死んでいるんです。
しかし、22歳の青年たちなのに、
書き残した文章には、ものすごい深みがある。
22歳ぐらいでも、あの世界に入れるというのは
歴史的な事実としてありますね。
かと言って、戦争をやるべきだとは思いませんけど。 |
糸井 |
当時、戦争にあたる、
豊かさを阻害する要因があったんですよね。
今はそれを意識的にやる必要がある。
近代人がもてあましている体という肉の袋を、
意識的にトレーニングすることで、
プリミティブなものを
取り戻すことが必要であるように、
何か壮大な理由のあるゲームをやって、
戦争にあたるような飢餓を
自分のなかに植えこまないと、
人間として十全に生きられないんじゃないか。 |
田坂 |
おっしゃる通りですね。 |
糸井 |
今のビットバレーの人たちの話は、
噂でしかきかないけど、
中にはおもしろい奴もいるだろうと思います。
「おもしろい奴なんて、ひとりもいないよ」
なんて噂があるけど、
すごいストレスがあそこにかかっている限りは、
今はいなくても、生まれるんじゃないかと。
つまり、女の子にもてたくて
ギターをはじめたやつらが
世界的なバンドになることもあるので、
俺はそこのところを、もう少し期待したい。
年寄りがさんざん色々なことをして、
結局は何が欲しかったんだろう?という話を
ききたがるような人が欲しいですね。
つまり、10年遊ぶ方法は誰でも考えつく。
でも、50年60年と生き生き遊ぶ方法を考えるのは
すごくむつかしいんですよ。
既にやってきた人たちは、
「あのときの自分は間違っていた」
ということまで含めて話せるじゃないですか。
物と地位にしかゴールがないなら、
やはり脆弱でつまらなくなりますよね。
賭博にしてしまうといけないと思うんです。
冒険と賭博は大違いですから。
冒険は命を張っている。
だけど、賭博は、すっからかんになることで。 |
田坂 |
今おっしゃったことはすごく重要なことで、
つまり、「プロセス」と「目的」の
転換をしなければいけないと思います。
億万長者になるのが目的なのではなくて、
設定した目標に対して徹してゆくこと
そのことそのものが目的なんだ、という価値観を
持ちこむべきだと考えているんです。
糸井さんの時代の言葉で、古い言葉だけど、
「力及ばずして敗れることは辞さないが、
力尽くさずして挫けることを拒否する」
というのは、いまだに結構好きで。
勝てば官軍、というだけのビジネスからは、
あまりいいものは出てこないと思うんですよね。
最近、ダイエーの中内功会長との
ご縁を頂いたのですが、
このあいだの日経新聞に書かれた
「私の履歴書」の最初の部分、
すごいセリフですよね。
「戦争中に、勇敢な仲間は
みんな死んでいったけど、
自分は勇気がなくて生き残った。
その思いが、
今も私にこの道を歩ませている・・」
戦争が終わって半世紀をこえても、
中内さんは戦争で死んだ仲間に対して
俺はこういう生き方をしている、と頑張っている。
好き嫌いに関係なく、感動しました。 |
糸井 |
今、中内さんはおもしろいですね。
やっぱり魂の言葉じゃないですか。
理(ことわり)じゃなくて、魂じゃないかな。 |
田坂 |
魂でものを語れる、数少ない経営者だと思います。
稲盛さんもそうですね。
ベンチャーをつくるときに
血判を押したくらいだから。
私は「古い」とか、
「巨人の星みたいだ」とか批判せずに、
そういう生き様も認めてみたらいいのでは、
と思うんですよね。
私、人間は「原体験」で生きられると思います。
私もそういうなかのひとりなので、
ひとつの原体験で、
50年の歳月を歩めると思っていますよ。
古来、名経営者として成功するためには、
3つの体験が必要だという名言があります。
1つが投獄、1つが戦争、1つが大病なんです。
そうい生きる死ぬの体験をしていない限り
名経営者にはならないということなんですけど。
ところが今は、3番目はあるかもしれないけど、
投獄されても死ぬことはないですし、戦争もない。
だから、もう今は人間を極限状況に置いて
ビジネスにかりたてていくような要素はない。
それに対しての新しい発想が必要なんだろうと、
これが私自身のテーマでもありますね。
今の学生さんにこういうことを言っても、
伝わりにくいとは思うのですが。
(つづく) |