糸井 |
関係ないんですけど、ぼくは、
アリを眺めているのがすごく好きなんですよ。 |
山岸 |
私も、好きですよ(笑)。 |
糸井 |
それぞれのアリの動きは、
何か意味ありげに見えるのですが、
そのアリの群れを全体として見ると、
結果的にはひとつの動きに、
「だいたい、こんなもんだろうなあ」
という動きに落ち着くじゃないですか。
さっき「文化」という言葉を外して、
とおっしゃっていたけれども、人も、
遠くから見るとアリのようなものかなあ、と。
ぼく、毎年正月に、
アリを、1日3〜4時間とか見てるんですよ。
バリにでかけて・・・
そこでは何にもしないことにしてるから、
アリを眺めるのが、もう恒例の行事なんです。
「ああ、そろそろアリを見てこよう」って思う。
アメをなめてツバ出してみたり、
パンを置いたり・・・まあ、結局は、
エサとの対応関係だけなんですけど(笑)。
でも、別のアリが出現すると、
全然違う動きをしたりするのが、おもしろい。
そうやってアリを見ていると、
「ああ、何だかんだ、いろいろ言うけど、
人も、本当は、遠くから見てみると、
こんなような動きをしているんだろうなあ」
と思えてしまうんです。
これをニヒルに見てしまうと
勝ち組のマーケティング至上主義のように
なってしまうだろうし、ニヒルでなければ、
あたたかい海岸で動いてるアリを見ながら、
「人もこうなら、まあ、これはこれで、
おだやかな、けっこうなことだよなあ」
という見方にもなるんですけど・・・。
ともかく、アリを見て何かを思うことって
ある意味ですごく気持ちがいいんですよね。
「文化」という言葉を抹殺したい、
というものの見方が、ぼくがアリを見てるのと
そっくりだなあ、と、今、ちょっと思った。 |
山岸 |
(笑)そうかもしれませんね。 |
糸井 |
吉本隆明さんも、そうだよね。
「いやあ、だいたい、そういうものだから」
という言い方をしますから。
諦めているわけではないのだけれど、
「そういうものだから、そういうものだ」
という視点は山岸さんとピタリとあうと思います。
ぼくが、10年くらい前に
ものすごく興味を持っていたのは、
「何で人は寝がえりを打つのか?」で、
寝ている時ですから、いやすいかたちを
自分で意識的に選んでいるわけではないですよね。
ところが、自然に寝がえりを打っている。
元気でいる時の人間は寝返りを打っているけど、
同時に、病人が長く寝て動けないままだと、
床ズレを起こして、背中が皮膚病になってしまう。
それをよく考えると、
文化的制約がたくさんある中で、
人は、起きている時にも、
寝がえりを打つのではないかと思うんです。
女性で、足をきれいに揃えて
傾けて座っている人がいますよね。
あれは無意識にやっているんじゃなくて、
非常に大きな文化的制約の中で、
約束を守っているわけで。
ぼくはそういうのがすごく薄い人間で、
まあ、だいたい形からだらしないんですけど。
でも、一応ちょっとずつ守っているんだけど、
そのだらしなさは、
実は寝がえりを打っていると
考えればいいのではないだろうか?と
思ったことがあるんです。
思想的にも寝がえりを打つことで、
人は自分を守っているのではないかなぁ。
・・・そう思うと、アリを見ている時の
アリの動きは、寝がえりそっくりだなあと、
最近、思っていたところでした。 |
山岸 |
アリはおもしろいですよね。
「お前は、アリを見ているように
人間を見ているんじゃないか?」
と私は言われたこともあるんですけど、
たぶん、そうなんですよ。
そうやって認めた上で、
アリと人間がどこが違うかというと、
遺伝子の共有率が違うわけです。
それぞれのアリは、女王蜂以外は、
自分の遺伝子をまったく残さないですから、
利己的に行動する原理が、行動の中に
入ってこない・・・そのことによって
アリの群れ全体がうまくいくようなしくみが
アリの社会の中には、できあがっているんですね。
だからこそ、アリは自己犠牲をする。
一方で人間は、自分の子どもを残せる。
これは、まったく違うところなんです。
要するに、子供を育てない人間の
遺伝子は絶えてしまうということによって、
つまり人間は、どうしても利己的に
行動をせざるを得ないように作られているんです。
そこが、私の考えている
一番面白いところだと思います。
なぜなら、どうしても利己的に
行動しないといけないはずなのに、
社会の中で利己的に行動すると、
これがたぶんうまくいかないようで・・・。
そこのところの仕組みが、
おもしろいなあとぼくは考えています。 |
糸井 |
その仕組みを調べている時に、
「こうなると、いいなあ」
という基本的な想定というのは、
山岸さんの中に、あるのですか? |
山岸 |
それは、ありますね。
そういうものがなければ、たぶん、
研究のエネルギーというのは出ないと思います。
「ある結論を導きたい」
という気持ちはあります。
だけど、そのためには、
導くためのデータをつくらないといけない。 |
糸井 |
そして、そこに、バイアスが
自分の考えでかかってはいけないという
注意深さはお持ちになりますよね、当然。
そういう目から見て、大まかに言うと、
今、希望というものが持てる気分には、
山岸さんとしては、なっているのですか? |
山岸 |
そこは本当に、すごくわかりません。
私は原理的にものを考えているのですが、
原理的にものを考えていると、
短期間の予測がまったくできないんです。
だから、社会科学に関して短期予測をする人を、
私はうそつきだと思っています。
「短期的な変動があっても、絶対に起こるだろう」
ということしか、私にはたぶん予測できない。
そういう点から考えてみると・・・
進化の過程で人間の脳と心ができてきましたが、
それに適した社会がつくれるかどうか? が、
今はとても重要な問題だと思っています。 |