荒俣宏、インターネット荒野への旅

(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第2回 本への愛情が、醒めちゃったんです。


[新春・前口上の巻]
荒俣宏さんとdarlingの対談をお届けしています。
インパク開催にあたって、その前の月に収録した
対談をお送りしているんだけど・・・。

「ウェブ」とか「デジタル」とか、そんな話とは
ほとんど無縁の会話がくりひろげられているでしょう?

・・・実は、だからこそ、このふたりが
インパクに関わっているんですよ。
と、伏線をはりながら、今日の対談にすすみませう。
どうぞお楽しみくださいませ。

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荒俣 本は粘土板の頃がいちばんいいわけで、
それに、デザインも、年を経つにつれて、
どんどんだめな方向に行ってるじゃないですか。
糸井 ほーほー。
最近50年とかの話じゃなくて、
「粘土板の時期に比べて悪くなる」
という荒俣さんの感覚が、おもしろいなあ。
荒俣 特に最近の電算システムなんかもそうで、
一見、よくなったようにも見えるんですけど、
ひいて考えるといろいろとだめな部分が見える。

極端な話で言えば、
コンピュータの漢字制限があるから
イメージとおりに活字に組みなおそうとしても
ほとんどできないんですよね。
それは糸井さんも本を作っていて感じますよね?
糸井 うん。ほとんどできない。
荒俣 「最近の本は、最近の読者のために
 優しい漢字で読みやすいようにしましたよ」
とか書いてありますけども、実は大うそで、
「読みやすくなくてもいいから、そのままやってよ」
と言ってもできないから、その方便として
読みやすくなりましたと言っているんですから。

以前はトータルなかたちとして
あんなに自由に本を作っていたのに、
そのうちに必ず校正者のようなやつが出てきて
「こちらではひらがなだけど、
 こっちでは漢字だから、統一しろ」
とか言っているというか・・・。
でも、こっちではひらがな、
こちらは漢字を使いたい、
そういうことは、あるじゃないですか。
糸井 多々ありますね。
荒俣 そういう自由度がどんどん失われて、
ふと見たらいつのまにか統一されたものだけが
流通されたものになってきていますよね。

・・・江戸時代の書き方なんて、
もう、むちゃくちゃじゃないですか?
糸井 点とかマルなんて、ないですからね。
荒俣 そう。めちゃくちゃ。
それでも何とか読めるし、
「変体仮名」なんて好きなように書いてますよね。
それでもちゃんとメディアとして成り立っていて、
「滝沢馬琴風」だとか
「十返舎一九風」みたいなものができて、
滝沢馬琴なんて、挿絵の指定やレイアウトまで
自分でやっているぐらいでしょう?

つまり、けっこういろいろなことができていて、
「わがままがきいた」んですよね。
やりたいことをかなりストレートに表現できた。
糸井 ソフト優位ですよね、完全に。
荒俣 はい。
わがままを最大限に容認できるところがあって。
いま糸井さんがおっしゃったように、
ソフトがいちばんの中心で、
ソフトがハードを否定するからおもしろいんです。

なのに、それがだんだん逆転していって、
そのいちばん極端な例が、
中国の漢字を使いたいのに、
日本の漢字のフォントしかない
という関係でできない。

だから、本づくりは
だんだんとだめになってきているんだな、
と、本を集めた結果でわかってきたので、
「粘土板のくさび形文字がいちばんよかった」
という結論に行くわけです。
糸井 (笑)そこにいくか。
荒俣 例えばよく言われるような、
デジタルになるとページをめくる感覚がない、とか
生理的にいやだというのは実は瑣末な問題でして、
全体的に本というものをオブジェとして見た時に、
明らかにいい方向に進んでいないわけで・・・。
糸井 デザインとして「やせて」いってるんだ。
荒俣 やせてきているんだ、と思うと、
そんなに本への
こだわりもなくなっちゃったんです。
あんなにねえ・・・抱いてたのに。
糸井 ははは。
荒俣 ぱっと気がついたら愛していた人が実はババアで、
この人が若かりし頃にはビーナスだったはずなのに
気がついたらただのアホだったとわかって(笑)、
一気に熱が醒めた・・・。
糸井 (笑)醒めたというのがあったんですか。
荒俣 どんどん醒めちゃった。
糸井 あ、それは知らなかったですよ。
荒俣 そうなると、今のように
デジタルであろうが何であろうが
ここまで「やせて」しまったものは、
もう、何とかだましだまし使うぐらいしか、
とてもじゃないけどやっていけないので、
そこで問題は、何がいいのかというよりも、
今あるものをどう使うかということ
に、
まあ、すりかわってくるわけですよね・・・。
糸井 おもしろいなあ〜、その感覚!
荒俣 なんかねえ・・・。
本を集めるのは、まあ、
やって損したっていうのが実感ですね(笑)。
糸井 だってそれ・・・
ひとつひとつ、人生賭けてたじゃない?(笑)
荒俣 そう・・・。
だから逆に言うと、
もうここまで来たら
ネットになろうが何になろうが、
悪くなるぶんには変わりないんだから、と、
こだわりがなくなっちゃたんです、ある日に。
糸井 なるほどなあ。
荒俣 むしろ、それよりも、
ババアになったぶんだけたくましくなった、
その部分に目を向けよう、というか・・・。

若い頃には知らないこともあったけれど、
おばあさんになったおかげで
いろいろな知恵を引っぱり出せるとか、
美しさにかまけていた頃には
わからなかったことも、わかった
とか(笑)。

そういうもので
デジタルみたいなものも、
救えるかもしれない点があると、
思うようになってきました。
糸井 うん。わかるなあ。なるほど。

(※デジタルの話にさしかかってきたところで、つづく。
  「本ばなし」だけでも、充分におもしろいでしょう?)

2001-01-02-TUE

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