荒俣宏、インターネット荒野への旅

(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第3回 部分を愛することができるようになった。


[前口上の巻]
粘土板を本にしたような、
あるいはタタミ半畳ぶんもあるような、
全体を完璧な美術品として愛せるたぐいの
本は、どんどんなくなってきている・・・
フェティシズムと言われるほどまでに
本を愛しつづけてきた荒俣さんは、
収集の結果、そういうことに気づきました。

かたち、大きさ、重み、中身、
すべてを愛せるほどに手作りの味や
個別の思い入れの入った本は、もう作られない。

「気づいたら、本という美女が、
 いつのまにババアにすりかわっていた」
という荒俣さんは、そのババアを、
ババアとして見はじめたおかげで、
やり手な部分とか、どうにかこうにか
それをうまく活用する部分とかを
見つけたんだけど・・・。

このへんの話は、
本とか女性とかが比喩になってますが、
デジタルとアナログに対して持つ
荒俣さんのイメージを、わかりやすく
語ってくださっている内容になるんです。

じっくりお楽しみくださいませ。

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荒俣 今までは、美しい女性っていうのは、
だいたいは例外なく、ぜんたいを通して
キレイなのが好きだったわけです。
・・・まあ、時々変態の人で
腰の部分だけ好きだとかいうのはいたけど。

髪の毛から足のつま先までがキレイなのを
ワンセットとして持っていないと、
なかなか気分が悪かった、ですよね?
糸井 うん。
荒俣 別の言い方で言うならば、
ひとつの人格と個性がワンセットになっていた。

本もそうだし、ソフト優位という時代には、
だいたいワンセットのぜんぶがよくて、
そのどこも切れないっていう魅力があって・・・。
でも、それがばあさんになってくると、
ワンセットじゃなくて、要素を
ばらばらに切って判断できちゃうんですよ。
糸井 「ここだけでもいい」という。なるほど。
荒俣 そう。おっぱいだけはいいから、
ここだけもらおうか、とか。
尻の肉のつきかただけはいいから
ここは生かしてゆこう、とか・・・。

本への見方だけじゃなくて、
人間に対しても、そうなってきますよね。

あるところだけを特化して切り取って、
のこりは冷たく捨てることが、
デジタルの世界に入って、
どんどんできるようになってきたと思う。
糸井 ある意味では、自由になったとも言えますよね。
荒俣 そうなんです。
そういう意味では、それまでにあった
人格の呪縛や、トータルな美しさの呪縛や、
オーラの呪縛みたいなものから
本が解き放たれましたよね。

谷崎潤一郎や川畑康成の本も、昔の本だったら、
人格が入っているように言われていたから、
なかなかありがたくて
ぜんぶ切り離せなかったものですけども、
今はデジタルになって、
こんなペラペラな文庫本になったことで、
どんどん中身を切れるようになって・・・。
糸井 うん。それは、感じるなあ。
荒俣 いろんなものを切り刻めるようになったのは、
かなり大きな出来事だ
と思うんです。

本の歴史で言うと、
目次をつけたのは大発見で、
「頭から全部読まなくても
 部分ごとに参照できるしかけ」
ができたのは、つまり、
本をばらばらにすることだったんです。
だから、捨てることもできる。

18世紀の本って、やっぱり・・・
人格ですから、破る気がしないんです。

日本の本で言っても、戦前くらいまでのやつは
岩波で出ていた『夏目漱石全集』にしても
例えば初期のものは破る気がしないですよね。
糸井 オレンジ色みたいなやつですよね?
荒俣 そうそう。
糸井 あの、色まで覚えてますよね。
荒俣 ね、覚えているでしょう?
『我輩は猫である』の中身は忘れても、
あの猫の木版画みたいなやつは、
覚えてるじゃない?
あれも、トータルだったんですよね。
糸井 うん。
荒俣 今は誰がデザインして作っても、
その時にはキレイだと思いはするけども、
まず最初にカバーが外されてしまうし、
帯なんか実際には意味ないんですよね。
糸井 本を作る側の都合を書いただけですからね。
荒俣 つまり、本はただのハードになってるわけですよ。
全体のハードを切れるようになったおかげで
ついでに、ソフトも切れるようになっちゃった。
これがものすごく大きいと思うんです。

そういうデジタルの世界に入って、
めった切りのできるツールがスタートすると、
もう、乳首だけとかほくろだけとか、
そういう愛し方も、充分ありえますからね。
糸井 なるほど。
荒俣 そう思いながら、
3〜4年前からネットでいろいろ見てみると、
もうばんばん切っちゃおうというのが
如実にあらわれてきているのが、
よくわかりました。

切る快感というのも、やってみると
なかなか気持ちのいいものですよねえ。
糸井 おおお・・・。
本を抱いていたところから、ここに!
それは、ある意味では、
本に捧げた人生に対するリベンジでも?
荒俣 まあ、リベンジでもありますね・・・。

(切り離せるというところで、次回につづく)

2001-01-03-WED

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