荒俣宏、インターネット荒野への旅

(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第5回 荒俣さんの愛の経費って、億単位でしょ?


(※本をきっかけにした、荒俣さん&darlingの
  「メディア論」みたいなものをお届けいたします。
  今回のさいごから、インターネットの話に移るよ)

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糸井 本に対する、芯ではない部分の信仰は、
最近なくなってきた感じがありますよね。
健康になったとも思うのですけど。
荒俣 自分で本を書いていてもよくわかるのですが、
やみくもに膨大な本、例えば『資本論』にしても、
それが本棚に並んでいた時に、
圧倒されるような感覚って、実はごまかしですよね。

私の実感から言うと、
ほとんどの本が、詰めれば1行で済むんじゃないか、
という感じがするんですよ。
タイトル1個あればいいというか・・・。
「自分のことを書いた本だよ」
というだけでもいいような気がして。
あとはぜんぶゴミだったりすると思います。
糸井 おなじようなことをぼくも考えてて、
最近、本を読んでいて思うんだけど、
ある程度の本というのは、だいたい、
前半だけは絶対におもしろいですよね?
「俺はこういう問題を解決するぞ」
とホラを語っているところは、
問題意識が出ているから、すごくおもしろい。
逆に言えば、その問題を出した時点で
答えが出ているとも言えるわけで。
荒俣 ほとんどの人が、
最初の1ページに全力をかたむけますよね。
で、あとのほうは、
ただ、束を出しているだけで・・・。
最初の1ページがあればいいわけです。
糸井 そうです(笑)。
糸井 荒俣さんほどのフェチじゃなかったけれども、
やっぱりぼくにも本に対する愛着があって、
ぼくの場合は、本を売ろうとした時に、
逆に本への宗教が芽生えちゃいまして。
荒俣 なるほど。
糸井 古本屋に行ってお金にする時に、
悲しいと思う自分に気づいて。
「脳の一部を売り渡してしまうのか?
 俺はバラじゃなくてパンを取る人間か?」
という、怖れのようなものを感じました。

そういう、当時なりの幻想がなければ、
ぼくはもっと自由でいられたような
気がするんですけど・・・
ようやく最近になって成熟したわけです。
荒俣 なるほど。
わかります。
本に対するぼくの熱がさめた理由の
ひとつが、糸井さんの体験と少し似てるから。

本を買いすぎていたし、会社も辞めたし、
次の本を買うお金がないので、
しょうがないからサラ金に行きました。
糸井 おお!(笑)
荒俣 でも、
会社を辞めていたから貸してくれなかった。
しょうがないから、今まで買ったもののうちの
何冊かを売って、そのあがりで
次の本を買おうとしたんです。
糸井 それでも、やっぱ買いたかったんだ。
荒俣 「本を担保にするのは、どうか」
と聞いたら、本なんてだめだって言われて、
じゃあ、ということで、10万円もした洋書を、
古本屋に持っていったんです。そしたら、
「こんなの買う人いないから、1000円」。
それではじめて目が覚めました。
糸井 (笑)
荒俣 私が10万円だと思っているのに、
世の中の人は1000円にも思っていない。
ぼく、ブックオフに、15000円くらいの
分厚い年鑑を持っていったこともあるんです。
買って1年くらいしか経っていなかったし、
2〜3回きれいに使っただけだから、
きっといいだろうと思って。
ついでに、となりに置いてあった
「モーニング」か何かのマンガ雑誌も
一緒に持っていきました。
だいたい1割くらいで売れるだろうから、
年鑑は1000円くらいで、マンガのほうは
ぜんぶあわせて50円くらいかなあと思ってた。

その本をぽんと置いたら、
お店の人が、シャーッと明細書いて。
「150円」って。
聞いたら、マンガが100円で年鑑が50円・・・。
マンガのほうが、高かったんです。

そういうようなことで、
本の価値が、わかっちゃったの。
私の愛しかたは、実は
とんでもない幻想であったということが(笑)。
糸井 (笑)痛いですよねえ。
そうやって、ことあるごとに
おとなにされていくわけですよ。
荒俣 読書界の永井荷風になっちゃった。
糸井 私の愛していたものは、
私の中にしかなかった(笑)。
荒俣 流通面でも、マンガのほうが
経済的に価値があるとわかったのが、
はっきり言って、ショックだった。
内容や紙の品質的には、
昔の本に今の本は負ける、
と若い頃にわかっていたけれど、
経済的価値が、ぼくの持っているものには
まったくなかったんだというのを知らされて。
・・・これはもう終わりですね(笑)。
糸井 (笑)そこでがっかりしても
荒俣さん自身が壊れなかったというのは、
最初に「三歳にして朽ちたり」という
負のイメージを、自分に性格に課していたから?
荒俣 そうなんです。
世の中に期待していなかったからですね。
糸井 それは、哲学だなあ・・・。
荒俣 はい(笑)。
だからもう、悪い女に何人ダマされたか。
あんな思いをして集めた本が50円・・・。
糸井 荒俣さんの愛の遍歴の経費って、「億」でしょう?
荒俣 ええ、それは軽く。
昔に『帝都物語』を書いて売れた印税が
1億5000万くらいだったけど、その時も、
こりゃいいやってことで
ほとんど本を買いましたからねえ・・・。
悲しいですよ。
糸井 (笑)うわあ。
・・・ぼく、最近、世の中には、
いろんなことの軸になる言葉があると思っていて、
そのうちのひとつに、
「王の掟は街の掟に破れる」
というベトナムの諺があるんです。
かっこいいなあと思って・・・。
民を信じるか信じないかは別にしても、
民とともにいない限りは、
どんなに先端のことを考えていても
世界に生きていることにはならないというか。

王は、孤独で気高いかもしれないけれど、
孤独を守っている王の言葉を
理解する人がひとりでもいるかと言えば、
実はこれが、いないんですよね。
荒俣 (笑)はい、いないです。
糸井 だったら、民が変わっていくことには
意味があるような気もしてきたんです。
多数決の力でものを動かすというのでもなくて、
いちばん大勢の人たちが、
安楽に自由に生きられることを、
ぼくは考えたくなってきて・・・。
そういう意味では、けっこう
否定的に見ていた民主主義が、
今ごろぼくの中ではじまった。
荒俣 うん。
糸井 そういう、大勢の人の自由という点で見ると、
インターネットというものは、そのための道具に、
今のところ、いちばん近いんじゃないかと思います。
荒俣 なるほど・・・。、

(※インターネットの話に
  移ったところで、次回につづきます)

インパクはこちら。

2001-01-05-FRI

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