荒俣宏、インターネット荒野への旅

(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第7回 おもしろいことをする前の、胎内にいる。


(※今まですべてを、個人の総合的なものとして
  判断していたのだけれども、それを分離して
  部分としていろんなものを見られるようになった、
  というところからのつづきのお話です。どうぞ)

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荒俣 人の持っているしわの部分や白髪の部分とかを
みんなで持ち寄って集めているうちに、
何かとんでもない一個の人間ができちゃう。

それをネットで見たので、
「もしかして、総体としての人間を
 一度バラバラにして『いいとこどり』をすれば、
 結構おもしろいものできるんじゃないか」
とぼくは思うようになりました。

だからもう、人の見たいものは
今は、人格じゃないかもしれないです。
合成的に作ったり育てたり教養をつけたり
いろいろなものを身につけて、
地位も名誉もつけてひとつの人格のセットとして
ある人間を見るのではなくて、
「ある人間の鼻毛」というように
ものをバラバラにして見るんでしょうね。
糸井 そうですよね。
荒俣 トータルとしてはあまり好ましくないものも、
その鼻毛だけはいい、ということがある。
糸井 経験を除いてはすべて再現できることになって、
だから足りなくなるのは、経験ですよね。
荒俣 はい。


経験にこめられるものっていうのは、
純粋に「ソフト」ってことでしょう?
ソフトはソフトで、ある部分は移植できますが、
移植できるほど選別はできないものもあるから、
経験から来るソフトの部分というのが、
無限に足りなくなると思うんです。

ばらばらに何かを要素として扱えても、
それでも経験が、足りなくなると感じます。
荒俣 ものごとがバラバラになったことには、
ふたつの意味があると思います。

一つは、総体としての人格が使えなくなる・・・
つまり人間個人としてのいちばん大切な部分が
拒否されるってことになりますよね?

だから倫理的には悪い方向に
向いているかもしれません。
倫理や道徳や生きるうえの基本的なやりとりは、
人格をベースにしているはずなのに、
それが古くて使いものにならないのだから。

そういう意味では、倫理的には、我々は
だめな人間になっているのかもしれないけれど、
その代わりとしてとても重要なことが
もうひとつあると思うんです。

さきほど言ったような鼻毛やホクロのような
以前は何かの一部だったものが、
一部であるという切り離され方をできたおかげで、
誰かが別の使いかたをできるようになりますよね?

ある価値を持った「いち部分」を、
それぞれが好きなように使ったり
移植をして育てたりできるという意味で、
所有権や版権のなくなる自由さが出る。
そのよさは、あると思います。
パーツを寄せ集めて育てられるという、
そういう知の枠組みが出てきつつあるというか。

全体の人格がなくなったわけだから、
ある意味では自由にもなって、
使えるパーツが残せながら、
そのパーツを各人が自由に使えるという
余地が広がったかのように見えます。
糸井 だから、かたちだけなら
おんなじものがコストをあまりかけずに
いくらでも作れますよね?
いま、ないのは「市場」だけなんですよ。
作ることができるのに、売るところがない。
必要なのは、かたちというメディアに
封じこめてある謎は何なのかということで。
「謎」というか、かたちに封じこめてある
「価値」が何かということになるのでしょう。

インターネットという
とんでもなく大きな道具をもらっている中で、
保存や運搬がしにくい、各個人に属する情報が
これから価値を持ってくるんじゃないか・・・。
それは経験でもあるだろうと思います。

B.C.とA.D.のあいだの線引きにあたるものが、
もしかしたら、このへんでひけるのかもしれない。
荒俣 そうかもしれないなあ。
バブルが崩壊したり、出版社が壊れたり
書店もほとんど崩壊しかけていますし、
それだけではなくて、いろいろなものごとにとって
けっこういい区切りの時期なのかもしれないです。

ネットにいろいろなものが載るといううねりは
短期的に見れば困る人がいるかもしれないですし、
フェチの人にとっては
ものに感情移入できなくなるから、
オモチャを取り上げられるような気持ちを
させられるものかもしれませんが、
長い目で見れば、案外、新陳代謝の
ひとつのプロセスかもしれないです。

我々がもう一回おもしろいことを発見したり、
刺激的な生活を送るための、
休憩機関とは言わないまでも、準備期間のような。
糸井 胎内にいる感じですよね・・・。
荒俣 そうですね。
だから今は、まだ何やってるんだか
みんなわからない。胎内にいるわけで、
まだリングにあがってないのだから。
糸井 胎内にいる時は、新しい個体でいるよりも
母親の内臓の状態に近いものだから、
基本的には「過去」に属していますよね。
最初に肺呼吸をして、
オギャーとおたけびをあげるのが、
インターネットによって、というか。

そこで「痛い」という叫びが出るのは、
生まれてしまったからしかたがないわけで。
胎内の状態では、生まれたあとに
どういうものが出るのかは、まだ、見えない。
・・・そういう言いかたをすれば、
IT革命という言葉も今持たれている
イメージほどにはいかがわしくないと思う。
荒俣 うん。
糸井 ごく自然のことですよ、みたいな。


(つづきます)

インパクはこちら。

2001-01-07-SUN

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