SHIMIZU_MICHIKO 清水ミチコの試供品無料進呈
(秘密厳守)
1999年3月の日記

第44回

3月1日・月曜日
テレ朝で日曜洋画劇場の特番撮り。
休憩で、ラサールさんがお菓子をつまみながら
マンガを読んでいた。(スピリッツ)
見るとその他にも数冊カバンに入れておられるようなので、
マンガ、好きなんですか、と聞くと、
「僕は食事中にも、マンガや活字を読んで一緒に
吸収するのが大好きなんだ」、とおっしゃってた。
わかるわあ。
スターウォーズの新作のCM見ながら、
楽しみですね、なんて普通のコメント言ったけど、
本当に楽しみになってきた。
友達のみつるちゃんからファックスもらう。
なんとこの日記を初めて読んで、
タバコがやめられない人の理由、
ニコチン中毒だったのがわかって
目からウロコだったそうだ。
その気になるだけですぐ止められるものかと
思っていたそうだ。
タバコを知らない人はこれだからのんきなものだ。
禁煙やってみたい人増えたりして、ともあった。
でも万が一増えるとしたら、
タバコがいかにおいしいかのキャンペーンになりそうだ。
と書いて一本。

3月2日・火曜日
「踊るさんま御殿」に出演。
さんまさんのテンションは天才的だ。
何かが「降りて」きてるみたいだ。
いろいろつまらない事を聞き、
家に帰って俺はダメな人間だ、と夫にぐちると、
実は今日は俺もだ、と言った。
いろいろあるものだな。

3月3日・水曜日
ひなまつり。
パンタさんからまちがいメール届く。
文面を読んで、失礼ながら
パンタさんはパンクな生きかたをしているなあ、と思う。
パンクロッカーなんだから当然かもしれないけど、
あんた実はそうでもないだろ、って人も多いみたいだから。
日常がすごいなあ、と思った。

そのあと自宅に電話があり、「はい」と低音で出る。
妙ないたずらも多いのだ。
「し、し、清水ミチコさんですか」
とぎこちなく言うので、いたずら!と思い
「どちら様ですか、」
と聞く。
なんとさくらももこさんからだった。
「何だよ、おどおどして。びっくりするじゃん」から
長い会話が始まる。
25日に会う約束する。
ドラマ衣裳合わせ。
そのあと日テレの近くでヤノッチとオムライス食べる。
ブルータス読みながら。この雑誌、頑張ってるなあ。
中身濃いねえ。

3月4日・木曜日
ビバリー生放送中、
「笑っていいとも」から電話入る。
いわゆる「あがる」のと、
「テンションがあがる」のとある。
今日は一気に後者だった。
テレビはテンションなのかなあ。
明日は普通の自分で出たい、と思った。
誰もがそう思うのかもしれないけど。
こびずに、こわがらず、ことわらず。の3K。
それにしても笑っていいともは
なんだか特殊な番組だと思える。
次のお友達として、テレビに前に出た時の私の写真が映り、
我ながらあまりにひどい顔なんで
「それ止めてください」と言った。

その5分後にメールが届いていた。
大瀧詠一さんからで、
なんとその私のいやな顔の写真がアップで送られてきた。
面白い男だ。
笑いながら、私の3Qが浮かんだ。

1何を意味するのか。
2どんな機材を持っているのか。
3それでも大人か。

しかしそれなのに大瀧さんのことを書いているこの日記、
貴重なのです、として重宝されている方が多いらしく、
感謝のメールをいただく。
そのどれもが大瀧さん、とは書いてあっても
心は大瀧様、という感じ。
私はそんなことで役に立ちたくない。


私にとってはガマの油


3月5日・金曜日
朝、NHKリハのあと、いいとも。
NHKのゲストにジュディオングさんなんで落ち着かない。
私のネタに「魅せられて」の替え歌で、「建てられて」
(ジュディさんは自分の記念館を建てられている)
というのがあり、案外知れ渡るこの業界、
もしかして知ってて怒ってるかも、と思った。
その答えは結局わからなかったが。
リハでは私がオープニングで「魅せられて」を歌うと、
今のモノマネ何点、何点、何点!と出て
ジュディさんが最後に0点と出す、というはずだった。
しかし本番で、ジュディさん、最後に100点! と出した。
ぜったい、ジュディだなあ。

そのあと「す」という変わったネーミングの
私のラジオのゲストに服部幸應さん。
私は食べることの話は大好きなんだけど、
服部さんはマニュアルどうりで、
話をしてて今イチおもしろくなかった。
知識を立て板に水のように話すんだけど、
それこそインスタント食品のよう。うまいけどね。

ここのディレクター松野さんが牡蠣にあたって緊急入院。
心労も手伝ったらしい。
お見舞いに大塚病院に行く。
その姿があまりに新鮮で、
あんたの写真撮ってもいいか、と聞いて
笑いこらえつつパチリ。
着替えなどの時間、休憩室にいると、
そこにみんなの読書棚コーナーがあり、
自分の顔マネの本置いてきちゃった。

1999-03-11-THU

第45回

3月6日・土曜日
街のパトロール30分。
というPTAの義務。
といってもてきとうに主婦が街をうろつき、
ヤクをやってる人いないか、
不純異性行為してないだろうな、
と近所を見まわりするのが目的なのらしいが、
どう考えても日中堂々とそんな行為をしている人が
いるわけがない。
しかし、やらなければならないのだ。
こんなことでだいじょうぶなのかな、公立小学校。
しかし、私は今、パトロールしている、
という気分は人生でなかなかないもの。
と、自分をはげまし、片手をかざし、夫に
「行って参ります、ハッ」と挨拶して出る。
途中やはりアホらしくなり、本屋さんで本官、立ち読みす。
コドモと映画「ドラえもん」観ようと誘い、新宿へ。
「よかったねえ!」と言うと
「あんた、寝てたじゃん」とのこと。

3月7日・日曜日
知り合いの大久保太郎くんの挙式に、夫婦で出席。
私は歌を歌う予定。
その前には、誰が何すんのー、と聞くと
「鈴木慶一さんが謡をするそうです」
という。
しかし、鈴木さんは来ず、早めに歌となる。
フケたもようです、との事。
解散する途中、ニコニコ鈴木さん顔を出す。
あんた今ごろ何やってんだ、と叱る。
しかし、顔が神様みたいなんで、どうしても憎めない。
いつかは私を呼んでくれてありがとう、
こないだ聞いた新譜がとてもよかった、と言いたかったが
なんとなく言えずに別れた。
そのあと前のマネージャーの古都美ちゃん、
夫婦連れで家に来る。
コドモとトランプのスピードなどやって
名古屋に帰っていった。

1999-03-14-SUN

第46回

3月8日・月曜日
恵比寿の山手歯科へ。
帰りにDEPTとHRMで洋服を買う。
焼き魚と味噌汁、タコスにチリ、
挽肉、レタスと不思議なメニュー。
食後、夫とプロレス。
コドモが本気で母をかばうのでかわいい。
「リングでは相手がワルツを踊ろうとしたら
 ワルツで返すのよー!」。
と、聞きかじったセリフをコドモに教育。
は?と言っていた。
アゴタ・クリストフの「悪童日記」読み始める。

夜、ディズニー映画のパンフレット見ながら
「わあ、かわいい名前!
 こんな名前があるんだ、こんなの見たことない!」
とコドモ。
いいなー、こんな名前ー。
としげしげながめて見入っている。
どれどれ、なんて名前、と聞くと
「木の実ナナ」というので、吹いた。
確かにかわいい名前に思える。
ハムスターの名前、木の実ナナにしなよ、と言ったらだめ。

3月9日・火曜日
天才てれびくん打ち合わせ。
そのあとVTR出演2本。

「NHKマンガ夜話」ゲスト。
ディレクターが「トップランナー」で
さくらももこさんを後姿で出演してもらった経歴あり、
いつかは大瀧さんを、と希望に目を輝かせておられた。
出るかなあ、彼は、ふふふん、と知ったような顔で答える。
この時ご一緒した東ちづるさんは、昔見た
「ちんころ姉ちゃん」、というマンガのイメージに
なんとなく似てるので心の中でいつも小さく
ちんころ姉ちゃん、と呼んでいる。
すみません。
この時一緒だった堀井憲一郎さんに
廊下ですれ違いざま、
「なんでも数えるなよー」
と言ってみると、
「あ、何でそんな言われるスジアイあるですか!」
と吠えた。笑った。
結局、今日一日お弁当の一食しか食べなかった。

3月10日・水曜日
日テレに行く途中、路上でぐうぜん、
携帯電話中の堀井憲一郎さんを発見。
すばらしきシンクロ二ティ。
「聖なる予言」もびっくり。
お隣にたぶんバイト学生とおぼしき男の子連れ。
「おーいホリーさーん」と呼んでみると、
近づいてきて「親しげに呼ばないでくださいね!」
と言われる。
学生さんに「あんたも何でも数えるのやめてね」と告知。
「は、はい!」と敬礼顔。
堀井さんの「なんで数えて悪いんだー!」という声、
遠くなり、また笑えた。

夜、事務所でこの日記書き始めると
無償にタバコが吸いたくてたまらなくなる。
やさしい性格のマネージャー、
ヤノッチの机の中を探してみたら、
1カートン買ってあった。
まったくこんな事じゃ困るわあ、
と思いつつせっかくなので吸った。

3月11日・木曜日
ヤノッチ怒ってた。
人の机、勝手に机あけたな、と言う。

ビバリー。ディレクターの橋内さん、新婚旅行、
フランスからお帰りなさい。
ほとんど外食せず、
アパートメントを借りた部屋で料理を食べたそうだ。
この時、橋内さんの後輩たちが見学にきてて、
お菓子をいただいたら、まずかったので、
それをどうまずいか、語る。
ひどい女だ、と高田さん。
でもそれはベルギーワッフルの次に来る、
と言われてるお菓子「ポルト」で、
今年、流行するであろう、といわれてるもの。
うす甘く、うす塩味。
おととしのカヌレもどこがいいのかしら、
失敗みたいな風味じゃないの、なんて思っていたのだが、ヒットした。
ポルトも、ヤノッチはじめみんな、おいしい、と言ってた。
さすがに気まずくなり、
私の大切なチョコレートを差し出す。
そのあと、中京テレビのいたってまじめな番組の
ナレーション撮り。4時間もかかった。難産。
TBSに入ると、また堀井さんとすれ違う。
なんだ、あんたはブームか。
生放送中、クレジットカードの話になり、私が
「私の暗証番号は4325!
シミチコと覚えてくださいね!」
と冗談で言ったら、まわりが騒然となったのにびっくり。
プロデューサーまで飛んできた。そんな?

1999-03-20-SAT

第47回

3月12日・金曜日
NHK生放送。
リハで、高見知佳さんにパンプディングと、
シュークリームをいただき、それがブランチとなる。
朝のまだ起きてない脳にしみ入る糖分、
とてもおいしくしみわたり、お店の名前を聞き、
今度「料理王国」の原稿に使わせてくださいよねー、
とカメラでパチリ。
しみわたる糖分

そのあと天才てれびくんの打ち合わせ。
最近のコドモはなんと家族でカラオケに行くのらしいが、
それにあやかり、ひいては清水さんに
「モノマネをコドモに教えるコーナー」を
4月から作りたいとの事。
しかし、最近のシンガーで、と言われ、
できましえん、桜田淳子止まりなの、と泣くが、
似てなくてもいいのです、そういう姿こそ面白いのです、
なんて言う。
とりあえず、月末収録の、宇多田ヒカルが一本目。無理。
でもちょっと面白そう。

そのあと日テレでIZの収録。
坂上みきです、ワーオ。
夕方、おなかがすいて
スタッフとともに近くにあった中華料理店へ。
ぴーたん、じゃじゃめん、餃子、棒棒鳥などで
体があったまる。ヤノッチ、デザートに杏仁豆腐。
私は寒がりなので、最後にまた暖かい中国茶を所望した。


3月13日・土曜日
顔マネ写真撮る。そのあと原稿。
ジャズのCDに合わせてピアノ弾く。
思いっきり自由に、と念じるが
頭に描くコード(鳴らしたい音)の構成がわからない。
しかし、きのうの番組、IZでは
私に不可能なピアノなどないのです、と嘘をついた。
長時間没頭できて、気がついたら真っ暗な部屋だった。
今度、こういう練習を録音したやつを
この日記に連載していくと、立体的になる上、
私もうまくなるのではないか、と思ったが
禁煙の例もあり、却下。


3月14日・日曜日
朝からピアノ。気持ちいい。
最近、趣味は完全にピアノだ。
コドモがパジャマのまま、黙って踊りながら部屋にきた。
笑ってしまう。
しかし、
「いつかステージにこういう変な人が現われたとき、
自分は弾き続けられるか、という練習」
にしてみた。
没頭せよ、と思えば思うほど踊りが気になり、
そんな曲、だいたいないんじゃ、とも思い当たり、
ついでにコドモの歌もメシ、メシ、朝ごはんー
という替え歌付きにになってきたので、
じゃーその前にー新聞取ってこいー、と歌って、
ごはんにした。

夜8時、新幹線に乗って越後湯沢へ。
明日の早朝からなぎらさんとテレ東のロケ。
マネージャー・ヤノッチは金曜日から彼女の父親の持つ
越後湯沢の別荘に前乗りしてて、スノボーを終えた頃。
夫に東京駅まで車で送ってもらう。
別れる時いやに寂しくなる。
「ホームと家族」という図は、
いつも絶対しゅーんとくる一瞬がある。
しかもものすごく恥ずかしい。
夫にあがってた。
何なんだろう。
ホームスウィートホーム。

1999-03-25-THU

第48回

3月15日・月曜日
なぎらさんが私のことを
ミッちゃん、ではなくミチミチと呼ぶ。
この曲は、なんでテレビもない時代から
全国的にくまなく知られ、歌いつがれているのだろう。
そして私はあのような音3つ(ラソミ)だけでできてる
スカトロソングを一生歌われるのだろうか。
みっちゃんミチミチ、のところまでは洒落になってるが、
そのあとのウンチはかなりいきなりな展開だ。
ぜんぜん脈絡がない。
その上、紙がないからって、、、。
じゃ、最初から紙で拭くような人じゃ
なかったんじゃないの、とロケバスで寝ながら思った。

帰りの新幹線で、
なぎらさん、座席をわざわざくるりと回転させ、
私と食べ物しりとり。
けっこうむきになってしまった。
特にるのつく名前だとルッコラ、るいべ、
ルノートルのケーキ、あたりであと出ない。
しかも、結構、「る」で終わる名前は多いようなのだ。
あと「り」も。
今度ウィンドウズを買われるそうなので、
接続したらすぐにほぼ日から開くと約束。
なぎらさんと向き合っていると、なんでだか
「いまだに結婚しない息子とその母」
という図に見えてくる。
なぎらさんと

3月16日・火曜日
仕事から帰ると、コドモとその友達が家にいた。
また算数の宿題を見て
「くだらない!知らないってばよお!」と
笑っているのでどれどれと読んでもらう。
「一円玉の長さは2センチです。
約9000メートルのエベレストの高さまでになるには
何枚いるでしょうか。知らないっちゅーの」
「地球を一周するには何枚いるでしょう。
考えるなっちゅーの」などと言ってた。
大きな数に慣れるための練習問題なのらしい。
図を想像するとむずむずする。
コドモ同志でしゃれを言う。
それを言った者にすぐに
「さむーい!」などと言いあってる。
さむーいなんて言葉、小学生が言うとホントいやになる。

3月17日・水曜日
おわびの丁寧な手紙が届いてて、びっくり。
いつか、浅草キッドさんのアサ芸の連載
「アサヒ芸能人」が300回記念という事で、
コメントを求められたのだったが、
おめでとうございます、というのも平凡かと思い、
「いちいち私にコメント求めるのやめてください。
                  清水ミチコ」
とFAXしたのだった。
ところが、今日速達で編集者の田口さんから
おわびと反省(今までもささいなことでコメントを
お願いしておりました自分が恥ずかしく)などと、
心のこもった手紙をいただき、
わあ! 田口さんへの返事と思ったのか、とあせり、
コメントのつもりだったと、アサ芸編集部に電話するが、
田口はもう帰りました、とのこと。
自宅の連絡先を教えてください、と言うと
それはちょっと困ります、と言う。
緊急なんです! そこをひとつ!
と名前を出し(やらしいな)連絡先を聞き出し、
本人にあやまるとホッとしておられた様子で、
こっちがホッとした。
「ちなみに掲載文ってどうなったんすか」と聞くと、
勝手ながら「おめでとうございます」のみに
させていただきました、との事。
今の私にこそふさわしい言葉だよ、などと言って笑った。
田口さんのみならず、ここの編集者は(会ったかぎりでは)
誰もがとてもまじめで性格がいい人が多い。
驚くほど、って失礼だけど。
私も一度、反省しつつわびた手紙を書いたことが
あったので、そん時の気持ちになってしまい、
読んだ一瞬は、暗ーくなってしまった。
でもそのあとレンタルしたドラマ
「愛していると言ってくれ」シリーズを見て、
すっかりのめり込む。

1999-03-28-SUN

第49回

3月18日・木曜日
ビバリーのあと、
車内でハンバーガー食べつつ移動し、
事務所でテレビの打合わせ。
そのあとTBSへ。
何かの話の時、
「おばあちゃん(自分)は、そうだねえー、、、」
と、一段と声を低くして言ってみら、
アナウンサーの方にニコニコと
「まだまだお若いですよ!」なんて言われる。
この、さりげないやさしさが。
ここに野沢直子がいたらどんなに笑っただろう。

ところで、
いくつでも若く見られるとつい喜んでしまうのは、
なんでなんだろう。
まだ少しでも死に近づきたくない、というカンジかな。

私は20才の頃、ばあちゃんが死んだとき、考えました。
もし、次の人生がまたあるとして、どっちがいい?
自分の子供への選択としてもいいです。

120才までの長生きだけど、結構つらい暮らしの一生と、
13才でとても幸せな一生にして死んでしまうのと。

この120才の人は早く死にたい、
なんて時があるかもしれないし、
死ぬ間際に死ぬ事に本当に感謝するかも。
そして家族も、お葬式の時は悲しみが少なくなれますね。
13才は、ああ、死にたくない、と
きっと一番死を恐れるでしょう。
そして、家族もどんなに悲しむでしょう。
幸せだと死への恐怖がつのって、不幸だと死が恐くないの。
ここだけは人類みんなが平等なのが皮肉ですよねー。

3月19日・金曜日
NHK「ぴかいち倶楽部」の最終回。
「けっこうNHKの人は固いかと思ってたら
軽い人が多かった」と、
ここだけは言ってください、と言われ、うっそ、と笑う。
しかし打ち上げは楽しかった。
すごく凝ってくれてて、やさしーんだなあ、と思った。
レギュラーの清水伸くんに
「最近はまってて、ラジオもテレビも
イトイ新聞も欠かさずチェックしてますが、
TBS、今ひとつノレませんね!」
とミクロな指摘。
うるさいよ、などと言いながら
二次会出られず、移動してナレーション撮りへ。
ぴかいち

3月20日・土曜日
コドモのクラスのお楽しみ会へ。
歌いたい子のカラオケを聞く。
(といってもCDに合わせてそのまま歌うという、、。)
歌う曲の中に、つボイのりヲの「キンタの大冒険」があり、
不変なんだなあ、この世界、と思った。
みんなくすくす苦しそうに笑ってた。
しかし、父兄はこの曲を知らなかったようで、
なんなのこれ、という表情。
これはですね、名古屋の、、、と説明するが、
うなずかれるたび、
知ってる自分が恥ずかしくなった。

そうだ、ベルマーク委員会へ提出する
ベルマークのちまちま集計、間に合いそうもないぞ、
とハタと気がついて、暇を持つ知人の妹にバイトで頼む。
テレ朝のドラマ、なかにし礼の「兄弟」にはまった。

1999-04-02-FRI

第50回

3月21日・日曜日
花粉症つらい。
めそめそしながら原稿書く。
こないだ、ペットショップに行ったら、
「ハムスターは、歯だけが異常に成長します。
そのため、エサを食べられなくなり、死んでしまいます」
という説明文とともに
「ハムスターがかじる木」が売られていた。
しかし、どうも脅されてるみたいな気がして、
その時は買わなかったのだが、
その効果はのちのち効いてきたらしく、
やはり今日になって買いに行く。
しかし、巣箱に入れてもちっともかじらない。
「僕ら今までかじってきたもんで、充分っすー」
とでも言ってるようだった。
ピアノ奏法(井上直幸)読む。

3月22日・月曜日
祝日。
コドモと約束した新宿の映画館(バグズライフ)へ。
その前に紀伊國屋書店へ寄って
あがた森魚、ハンプトンホース 、民族音楽のCD、
「兄弟」と「五体不満足」など買い、バッグ重くなる。
映画が始まる時間までけっこうあったので、
ハンバーガーをやめ、中村屋の2階で食事。
「バグズライフ」に出てくるドット、めちゃかわいらしく、
自分用にドットのミニバッグを買った。
コドモは携帯のストラップを欲しがり、
これをランドセルにつけるんだー、と言ってた。

3月23日・火曜日
霞ヶ関ビルでNTTデータのイベントで
パソコンについてトーク。
途中、女性のお客さんの携帯が鳴り、
どれどれ、とちょっとその人とトーク(兼・ウケねらい)。
吉村作治さん思い出す。
事務所でパソコン雑誌の取材。
予習してたようなものだった。

家に帰るとコドモ、
通知表や絵などの作品をいっぱい持ち帰ってた。
君も頑張ってるねえ。
担任の先生、若くてベリーかわいい女性で、
今年で担任ではなくなるかもしれず、PTA全員で、
お礼の言葉を書いたアルバムを作ったのだが、
今日、子供達がそれを渡したところ、
瞬時に泣いておられたそうで、
私たちまでうるうるきちゃった、らしい。

夜、スチャダラの生番組(SKY PERFECTV)に
来週出る約束を電話で。
「清水の母です」と、最後まで声低くして話す。

3月24日・水曜日
今日も霞ヶ関ビルでトーク。
途中、パソコンギャルに、
「洋服いつもかわいいですが、どこで買うんですか」
と聞かれ、これはですねー、青山のー、
と上機嫌でペラペラ。
帰りにYAMAHAに寄り、
来月の高木ブーさんの「趣味悠々・ウクレレ編」用に、
ウクレレを買ってみる。
箱を開けたら、注意書きに
「ウクレレはちゃんとした楽器です。
あまりバカにしないで」
という意味の事が書かれてあり、
自意識感じ、笑ってしまった。

3月25日・木曜日
LFに行って、日テレへ。
スターバックスでカプチーノを買いつつTBS。
カモネギ生放送、最終回で、
好きだったスタッフさんたちと写真撮る。
丸一日ずーっとノーメークだった。呼吸。

家に帰ると
事務所に10年いてくださった美鶴ちゃんから暖かい手紙。
お子さんができて、なかなかカムバックできそうになく、
退社されるのだ。
「ただ、ここを去っても、キンタマの会はやめないです」
とは書かれてなかった。継続。
ちなみに赤ちゃんの名前は、美雨ちゃん。
やはりファンである矢野顕子さんのお子さんの名前を
ぱくったのだそうだ。
ぱくり事務所だ。
夜、ドラマのセリフ覚える。

1999-04-04-SUN

第51回

3月26日・金曜日
日テレのドラマ「ロマンス」の収録。
主役の宮沢りえさん、会うなり、
「おっはよーごじゃいましゅー! ラブラブなんれすー!」
と、吉川ひなののモノマネをしてきた。
「それじゃあ、ただのアブナイ人だよ。こうしてごらん」と、
ひなのちゃん声を教える。
しかし、何度教えてもうまくならない。
「ちゃんとひなのちゃんの顔思い浮かべてる?」と聞くと、
「ううん。私、幸田シャーミンもやるんだけど、
いつも清水さんの顔を思い出しちゃうの」
と、これまたきれいな声で答える。そこだな。
しかし、つくづくその美しい顔を見ていると、
モノマネしたいという気持ちになる方が
まちがってるような気がした。
いらないじゃないの。

秋本奈緒美さんにも10年ぶりで再会。
中国でのロケ以来なのだが、あいかわらずさっぱりしてた。
彼女はなんと、当時撮った、(大きな口を開けて笑っている)
清水ミチコと自分の2ショットの写真を
玄関に貼っているのだそうだ。
ここまでは嬉しい。そのあとだ。
家に友達が来ると、その写真を見つけて、
誰にもぜったいに同じ事を言われるのだと言う。
「ついに会ったの? サイババに!」だって。
私が、あのサイババに似とるらしい。
しかもその言い方が、「さもおもしろそうに」でもなく、
実にマジメにさっぱり、と言うので、感心してしまった。
感心しとる場合か。


3月27日・土曜日
ビバリーの放送作家、松岡さんの結婚式のため、
恵比寿のQ.E.Dへ行く。
松村邦洋さんと二人で、モノマネで祝辞。
当日に打ち合わせ。一人5人ずつ交代して、
合計10人の著名人の祝福。
べんりなコンビがあったものだ。
そのあと、
しめやかに花嫁と花婿二人の写真を撮る時間になり、
「今ここで、なぜか私たちが前に出てって、
隣でニコニコしてると面白いんじゃないか?」
と松ちゃんに耳打ちし、本当に横に並んだ。
結婚式

3月28日・日曜日
小堺一機さんの番組に出る。
村松友視さんとは初対面。なんとおやさしそうな。
打ち合わせの時、何かの話題から、
「だって小堺さんなんて、司会も踊りも楽器も、
なさるじゃないですかー」などと言う。
言いながら、ああ、それに比べて隣の村松さんは
きっとどれも苦手だわ。芸がない男って何てカッコいいの。
と、横目で見ながらしみじみ思う。
その間も、小堺さんはずっと器用にモノマネをして
皆を楽しませておられた。人間平等だ。

村松さんは、昔、
私の実家の店にいらした事があるとかで、
それを聞いて、えー、いつ頃ですか、と驚いてると、
小堺さんがなぜかタップを踏み始めた。
それがまるで、
あんたはこっちの人間、と誘われたかのようで、
思わず「踊るな!」と言うと
「僕ねー、いつもこうやって清水さんにしかられるのよー」
とこぼしてた。笑った。
そういえばそうだ。
先輩なのに、思い出せば、
会えばいつも最後にはうるさい、などと叱ってる。
そのあと、「天才てれびくん」2本撮り。
宇多田ヒカルとキロロになって歌った。
なったってことはないが。
小堺一機さんの番組に出る

3月29日・月曜日
夫が会社に行くと同時に、コドモ、塾へ行った。
結構楽しいらしい。笑わせてくれるんだそうだ。
私はエステに行って性格を(?)直した。
というのは、ここへ来て肌をいーこいーこしてもらうと、
感謝の気持ちが自然とわき起こり、
明日からちゃんとしよう、とか、
なんとも気持ちがやーさしくなってくるのだ。
その効果は約2日間もつ。

帰りにコドモと待ち合わせし、二人で歩いていると、
「最近、二人とも同じところで笑えるから、いいよ」
と言う。
「今までって、私が小さかったからー、
私が笑うときはママはそんなでもなさそうだったし、
ママが笑ってる時は私、
よく意味がわからなかったんだけど、
今は二人とも同じ話で笑えるじゃん」。
そんな事を思ってたのか。
大きくなったんだなあ。
しかしそのあと、
「歩きながら、せえので一緒に、別々の歌を歌わない?」
と言った。
なんで別々なんだ。
1日禁煙できた。

1999-04-07-WED

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