Yeah!Yeah!Yeah!
マイクロソフトの
古川会長がやってきた。



今回は、古川さんが、自ら、
開発者か広報担当者か、セールスマンかのように、
「Webテレビ」のプレゼンテーションをしてくれる。
熱心で、わかりやすくて、とても論理的だ。
しかし、まてよ、とも思う。
この「立て板に水」ぶりは、
ひょっとすると、プレゼンの受け手のほうには、
ちょっと、逆に伝わりにくいのではないだろうか?
そういうこと言って、とても失礼なんだけれど、
「正しくて親切である」ことの外側に、
コミュニケーションの秘訣というものは、
いたずらな神のように踊っているのではあるまいか?
あとで、こんなこと言って申し訳ないけれど、
その時には納得したのに、
あらためていま読んでみると、
かなり読み続けるのに気力が要る。
あ、もちろん、スタッフのテープおこしの技術が、
上手じゃないという問題も、
古川さんの早口という問題も、
あるんですけどね。

「ほぼ日」読者は、どんなふうに感じるでしょうか?


糸井: 古川さんにこの間お会いしたときに、
パーソナル・テレビ・チャンネルの
プレゼンテーションを
なさったじゃないですか。
「僕が今やりたいことは・・・」みたいなね。
あの話は、もし伝えられるんだったら、
「僕はどういうふうに考えて
こういうふうなことを
やりたいんですよ」
というようなかたちでおっしゃってほしいですね。
古川 僕はあれを最初に見ていただいたのを
すごく後悔してるんですよ。
あれって、まあ、ひよこの刷り込み現象と同じように
「こんなパソコンのノートブックの画面の中に
 テレビなんか出てきたって、俺は見ないぞ」
って思っちゃったでしょ?
糸井 はい。
古川 そういうものを作りたかったんじゃないんです、
って改めて説明するのに時間がかかるかな、
とまた思っちゃったんです(笑)。
だから最初にあれを見てもらったのは失敗でした。
糸井 じゃあ今日見せてください(笑)。
古川 違うものから見ていただいたほうが
きっといいかな、と思ったんです。
それは、僕自身が望んでることは、
決してパソコンのキーボードがある環境で、
画面の内側にテレビを映そうとか
いうことじゃないんです。
元々、僕が考えていたことってのは
コンピュータの持ってるパワーを
人と人とのコミュニケーションの
よりよい道具に使いたいということなんです。

それは昔から、マクルーハンが
TVなどのメディア論で語っていた言葉だけれども。
たとえば聴覚の延長線が電話で、
目の延長線がテレビで、
足の延長線が車で、
耳の延長が電話だとすると、
他に人間の五感をそのまま拡張させるものがあるとしたら、
と、考えてみてね。
頭のなかのアンテナがウニのトゲみたいにね、
ピーンと張り巡らされたみたいに、
触覚なり感覚が鋭くなるような道具が
もしあるのならば・・・
そのような思考を拡張する道具として、
ひょっとしたらコンピュータの力を
借りることができるかもしれない。

だけれども、主体がどちらにあるのかを考えたときに、
コンピュータに使われる自分というのは醜いものだし。
メディアとして楽しんでる時間に、
コンピュータの操作を覚えなきゃいけないとか、
非常に気持ち悪いデバイスを使いながら、
自分の意思とは離れたところで
一所懸命何かを使って操縦しているのって、
やっぱりすごく嫌だと思うんです。
電話の場合は、電話をかける瞬間は
ボタンを押さないとつながらないけど、
かけた後っていうのは
完全に意識は相手と会話をしている状態に
集中されてるんですよね。
会話をしながら何か操作しないと途中で切れちゃう
なんてことはいっさいないわけです。

ところがコンピュータの場合は、
「次のコマンドはなあに?」
と出たりして、入力を間違えると
「バカじゃないの?」
とバカにされたように停止してしまうから(笑)、
メディアとして考えたときに、
やさしさだとか同じ痛みを感じられるとか、
やさしい気持ちになるとかいう部分で、
どうもいつも興ざめしてしまう。
そういう状態じゃなしにテレビの内側に
今までのテレビの視聴環境と
まったく同じような状況なのに、
見えないところに
こっそりコンピュータを入れてあげたらどんなことが
できるだろうか、ということなんです。
たとえば、テレビを見てて何がイラつくかって言うと、
僕なんかいつもザッピングですから。
チャンネルを選んだ瞬間に、
それは、コマーシャルはコマーシャルで
見なきゃいけないんだけど、
「これは今、本当は何の番組なのか」、
ということが瞬時に判らない。
「何の番組なのか早く教えてよ」
という間にもう我慢できなくなって、
次のチャンネルに回しちゃう。
もし、チャンネルを回したその瞬間に
画面の下に何の番組なのか番組名がちょっと出て、
ひゅっと消えてくれたら
ちょっといいかもしれない、と思うんです。
それから、手元でテレビガイドとか、
新聞のテレビ欄を見ながら
「次何みようかな」
ってやってる間があるなら、
テレビに番組表が出てきて、
自動的に「今日はこの順番に見るぞ」
となるような仕組みです。
「あっ、8時から見たい番組が2つ重なってるよ」
と言った瞬間に2つ並んでるその番組をずらせるんです。

その方法は
「9時から俺見たいものないから」
と自分のパーソナル・チャンネルにずらし、
もしくは、番組をつまんでそのまま9時の場所に置くと
8時から始まった裏番組を、
9時から“私(古川)チャンネル”で
見ることができるわけです。
糸井 とっといて?
古川 “とっとく”という概念すらもないんです。
「今日は10時半から会議があるから
その間はテレビ見られないんだ。
12時からは、プライベートなメールの
チェックの時間が持てるから、そのついでに、
午前中のこのスポーツ番組の結果をちょっと見たい。
それから夕方6時から会議が始まるんだけれども、
そろそろ野球が始まるからずらせないかなあ」
という人間のわがままを可能にしてみたいんです。

時間をシフトさせて
自分のプライベートチャンネルに並べることによって、
放送という順番で流れてくるものは
全て私の1日のスケジュールに合った
プライベートチャンネルにできるといった仕組みです。

それと、人間だからきっと1時間の番組を
1時間で見るだけじゃないわけですよね。
1時間の裏に同時に3個並べておいて
どれにするか決めたいときに
“ネクストチャンネル”の上下を押したときは、
見たかったチャンネルが
グルグル回るだけっていうモードに
テレビが自然に変わってくれたりとかね。

また、たとえば録画をすることすら
忘れてしまってもいいように、
先週自分が見たのに
「今週も見たかったでしょ?」
ということをテレビがかってに気を利かせて
ハードディスクに入れておいてくれるとか。
そして、後からテレビを見ると
実は先週見た8時のドラマの続きをやっている。
帰宅が遅れて見られなかったときでも、
仮に12時に帰宅してテレビ見た瞬間に、
その時刻のテレビ放送以外に
「8時のドラマも今から見られますけど、
どうしますか?」ということを
テレビが教えてくれるという仕組みですね。

人間の意識として今までは、
テープを入れて録画するということを中心に
考えていたけれど。
やっぱり人間が番組を見ている趣向に合わせたうえで、
時間から解放されるとか、同時に見たい番組が2つ
あることに対するジレンマを解決してくれるだとか、
人間の意識が他のものに集中したその瞬間に
「悪い、テレビ待ってて」と、
ポーズしたりしたいですよね。
「電話かかってきてるんだから、
3分間でいいんだから、ちょっと待ってろよお前」
みたいなね。
生テープ入れて、録画開始して
それから電話とるなんてできないんですからね。
リモコンに向かって一時停止すれば、
意識としてビデオを回してようが、
レーザーディスクを回してようが、
DVDだろうが、生放送の番組だろうが
一時停止は一時停止だから。
解除したらまた動き出せばいいんだから。
早送りすると早送りする、っていうその概念だけが
ビデオでもDVDでも一般の番組でもできるわけです。
そうなると、時間に対する考えもちょっと変わりますよね。

僕らが今分からないのは、
それをやることが果たして
視聴者だとか番組制作者の人が望んでいることか、
という部分なんです。
先日、楠田枝里子さんにこの話をしたら、
「あなた何言ってんのよ。あなたはテレビの世界が
全く分かってない」
と怒られたんですけれどね(笑)。
「私たち番組作ってる人間は火曜日の8時に
『こんばんは!』って言っても、
その気持ちに完全になって、
日曜日の午後に収録してるんだから。
それを勝手にずらされると
『火曜日の8時ですよ、今晩は』っていうのが
完全に崩れてしまうんです」と。
「それは広告主だって望むことじゃないし、
番組を制作する人間たちは完全に放送の時間帯の
そのときの視聴者を想定してるから、
時間をシフトすることなんて誰も望んでいないし、
それで視聴率なんて稼げるわけがないのよ」
と怒られたんです。

でも僕はそこで「ちょっと待ってくれ」と。
たとえば、もし大相撲ダイジェストだとか
プロ野球ニュースだとかの番組が、
朝の5時からでも自由に見られる、となったら
おじいちゃん、おばあちゃんの視聴者が
増えるかもしれないし、
ひょっとしたら子どもが特定の(番組)プログラム
から関心が離れてしまったとしても、
小学校から帰ってきた後にプロ野球ニュースや
大相撲ダイジェストが見られれば、
子どもたちは子どもたちのための
新しいインターフェイスを使って
相撲を見たいと思うかもしれないと、言ったんですね。

つまり、「バーチャファイター」のような
メニューで対戦相手を選んで、
選んだらその対戦が始まるみたいな
インターフェイスを作って
それで大相撲の対戦を選ぶ、なんていうふうにしたら、
今の子供も相撲が好きになるかもしれない。
それによって、たとえば時間軸が変わることによって
ちょっとした見せ方を追加で変えてあげるというか、
そのためのスポンサーシップを
うまくかぶせることによって
ひょっとしたら
新しい番組の価値って生まれませんか? と。

それから、今までの
マスの世界だから良かったようなものに対して、
プライベートなものを
どんどんかぶせることがすごく今は美しいことである、と。
今までは100万人見ててもらって、
視聴率27%っていったらお化けな番組だという考え方
だったけれども。
糸井 母数思考ですよね。
古川 それはたしかにある物差しであって、
重要なのかもしれないけれども。
でもひょっとしたらその27%のうちの、
1%でもいいから
その地域のことを考えられる可能性が増えることはある。
たとえばトヨタのすごくシャレたコマーシャルが
流れているときに
「お近くの販売店まで」
と冷めた言葉を言った瞬間に、興味を失っちゃったりね。
最後に
「www……のホームページにアクセスしてください」
って言った瞬間なんかもそうですね。
糸井 ガックリ来ますよね。
古川 一気にこう、なんというか冷めるわけでしょう。
糸井 「覚えなきゃ!」ってね。
古川 「覚えなきゃ」っていうストレスと、
コマーシャル全体の
15秒の中の1秒間をここで台なしにしちゃったな、
という状態になるでしょ。
ところがもし「お近くの販売店に……」
ということをしゃべらず、
画面に文字も出ずに、
「城南西販売店の担当フルカワまでどうぞ」
というふうに出てきて
「試乗をご希望の方は、
今からリモコンのボタンを押していただくと
予約が入ります」
というような本人に対するメッセージだとか、
その地域を担当している担当者が
全国放送なのに、一緒にフッと出てくる。
そういうことがかぶさることによって
全国放送の一部分がインターネット的なもので、
実は極めて地域性を重視したメディアになると思うんです。

それから(もうその段階では)
誰がどこで見ているかは分かっているから
最初に「糸井さん今晩は」と始まるニュースがあっても
実はいいわけですよ。
その一言を言ってくれるんだったら、
「それだけで私ファンになっちゃう」
っていう人がきっとたくさんいるわけですよね。
で、インターネットの場合は文字で立ち上がった瞬間に
「古川さん今晩は」
と出すだけでなくて、
ひょっとしたら糸井さんの声で
自分自身の大事な今日を祝ってもらったり
「おはようございます」
と言ってもらうことも可能になってくるしね。
そういうことが実は非常に面白いメディアとしての
価値を持つんじゃないかな、と思うんです。

今ちょうどAOLとマイクロソフトでは、
お互いインターネットでログインしているときに
誰がログインしているか瞬時に分かり、
その人にチャットのやり取りができるような環境を
試してるんですね。
AOLのほうではマイクロソフトを
入り口で堰立てて止めちゃったりなんかもしてるんですが、
結局それはパソコンどうしの矮小な世界でしかないんです。
マッキントッシュも含めて、ひょっとしたら、
全体としては矮小な世界でしかないことなんです。

ところが、新しいテレビでは
こんなふうにその機能を生かそうと考えています。
たとえば、1人の子どもが木曜日の8時に
ドラマを見ていて、そのテレビを
「僕のおばあちゃんも見てるかもしれない」と思って
「おばあちゃんは何してるの?」
と思ったときに、おばあちゃんも見てた、
というのが画面で分かるというような仕組みです。
そうすると同じテレビを見ながら感想とか感激とか
喜びというものを、お互い共有できるようになる。
それがこれからのテレビですよ。
糸井 映画館で見る映画って、隣は知らない人でも
誰かが一緒に見ているという喜びがありますよね。
ああいうのに近いんですよね。
古川 そうなんですよね。
今までのテレビは視聴者の参加番組だとか、
リクエストカードを取ったり、
テレゴングで電話をかけてもらう形で
参加を呼びかけてきたというものはありました。
しかし、新しいテレビでは、臨場感という形で、
遠く離れた恋人どうしが電話で話しながら
同じ番組を見ているのと、
全く同じような感覚の臨場感を表わせるんです。
つまり“1つのメディアで同じものを見ている感動”を
共有できるんです。
そうなった瞬間に、
ワープロで文章を作っている最中にテレビを見る感覚や、
テレビの内側にインターネットが映っていて、
インターネットとテレビ画面が
バタバタひっくり返っているのとまた違った
新しいメディアがきっと生まれてくると思うんです。

そういったことを幾つか試行錯誤を続けているなかで、
「技術的にこんなものできます」
というのを全部並べると、テレビで成功してきた人や、
アーティストなんかは
「ばっかじゃないの」
と言ってたんですよ。
「技術的には面白いけれど、
それって視聴率を取るためには
何の役にも立たないよ」とか。

それから、お客様が望んでいるものと
あまりにもかけ離れてるんで、
「こんなテクノロジーじゃだめだよ」って言われたんです。
でもね、そう言われたもののなかで、
10個のうち、2、3個はヒントがあるんですよね。
糸井 そうでしょうね。
たとえば楠田さんがおっしゃってる
「私は日曜日に収録してても、
火曜日のつもりでコンバンワと言っている」
という話がありましたけれど、
あの……海外から買い付けたフィルムっていうのは、
全部その時差が飛んでるんですよね。
だから作り方のなかにその要素が入ったものと
入らないものと分化していくんだと思うんですよ。
やっぱりオンタイムのすごさって
僕はどこまでいってもスポーツなんだけど、
スポーツって、終わってるものはビデオで見ないんですよ。

たとえば先日の辰吉の試合をビデオに撮っていたのに、
結局(録りながらもオンタイムで)見ちゃったんですよ。
野球と2画面にしていて。
ビデオに撮ったものを後で見ようとは思わない。
そういう種類のものと、いつ放映してもいいものとは
作るときに一緒にしちゃダメなんだと思ったんです。
だから楠田さんがおっしゃってることは、
意味は分かるんだけど、
「じゃあ楠田さん、プロデューサーと相談して
いつ流してもいいような作り方っていうので、
あとどう面白くするか考えてみてよ」
という、一回引いて攻めていくみたいな……。
古川 それから、メディアの特色を逆に取り込んで、
それをまた生かしたものの作り方を考える人も
出てくるだろうと思うんです。
今TBSのニュースの作り方も
CS放送で流してるニュースはコストを
下げなければいけないから、
こういう手順で作ってるんですよ。
女性アナウンサーが
「5時のニュースです、今晩は」
と言って、その次に、
「6時のニュースです、今晩は」、
「7時のニュースです、今晩は」
というのを撮って、それを全て
ハードディスクに入れておくんですね。

5時のニュースが始まったその瞬間に
ハードディスクからさっきのデータが流れ始めるんです。
「5時のニュースです、今晩は」って。
で、ジングルが流れる間、5時3分から始まるニュースの
打ちあわせをしているんですよ。
つまり、一度に収録してしまうことで、
コストを下げているだけでなくて、
リアルタイムで放送を流さずに、
3分から最大で10分くらいをたえず先行してるんです。
ハードディスクに録画しながら、
それを送り出すことによって、
放送事故を防ぐとか、
15分で繰り返し同じニュースをグルグル回すから、
その間に他で編集してきたものをですね、
画面のなかでドラッグ&ドロップしながら
データベースの先頭、お尻を編集したものを
ピンセットでつまんでキューテーブルに置いてくだけで
どんどん放送が流れていくわけです。
糸井 究極的な使い方ですね。
古川 15分のうち2分、ジングルが流れるとすると、
それをまとめて実時間より前に撮ることによって
その間に編集する時間だとか、
他の打ちあわせをする時間を作りながら
どんどん流していけるということです。
7時のニュースの時間になっても編集が終わらずに
次のデータが入ってこなかったときは
同じものを繰り返して流すということも
時間軸のなかで使っているでしょう。
24時間ニュース番組を見ていると
確かに20分とか1時間の間に
同じニュースが繰り返し流されていて、
いつの間にかどれかが置き換えられている。
そういう編集の仕方をみていると、
絶えず、その瞬間をターゲットにしてる。
ちょっとだけ生を入れて、
繰り返しが入りながら番組を構成することもあるんです。

(つづく)

1998-09-30-THU

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