糸井: |
インターネットで、ちょっと
ひっかかっていることがあるんです。
インターネット上の原稿や会話というのは、
ほんとうにユーモアがないんですよ。
たとえば、退屈な日常を送っていると思っている人の
ホームページというのは、
妙に、「退屈だ」ということを強調しますよね。
「とるにたらないページですが」とか、
そう言っていること自体が、
もうすでにクソマジメだと思うんですよ。
何でもないことを堂々と言い続けてればいいのに、
「まァ誰も来ないページですし、
こういうくだらないことを言わせていただきます」
と、必ず、書いている。
じつは、これは人のページだけの話じゃなくて、
自分も同じだと気づいたんです。
インターネットには、そういうマジメな自分がいる。
ゆとりがない。
真剣さがないと読んでくれないので、
言いたいことを全部言っちゃう、というふうに、
つい、真剣に書いちゃうんですね。
「どっちでもいいや」って文章が、書けなくなる。
ぼくら、根っこがふざけている人間なのに、
タラリ、と真剣な汗が見えるんですよ。
すると、その汗に対し、また反応があるわけですよ。 |
古川 |
(笑)。 |
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糸井 |
「糸井さんたいへんですね、倒れないですか」
とか言われると、ちょっとヒロイズムになるわけ。
俺ね、この循環、まずいなぁ、って思うんです。
じゃあ、そうじゃないページってあるだろうかって
インターネットで探して見ても、ない。
お笑い芸人さんのページですら、クソマジメなんですよ。
日記なんか読むと、
「誰々と飲んで、何々の問題について熱く語る」
とか書いてあるわけです。
まずいぜ、それは、と思う。
テレビのほうが、よっぽどふざけてるじゃないか。
これ、大問題なんですよね。 |
古川 |
星野監督はいつも怒りまくってますよ(笑)。 |
糸井 |
星野監督だってガマンして笑ってるじゃないですか(笑)。
無理な笑いをつくって。あそこまで行かないと、
インターネットは「見ても見なくてもいいや」っていう
メディアにはならないな、と思うんです。
たとえば、東芝問題が起こったときって、
ものすごくクソマジメなところで、
情報を交換しているんですね。
ぼくはあの事件については詳しくないから
どっちがいいとか言いにくいんだけれど、
あのマジメさって、息が詰まるんですよ。
もっと、世間の人どうしで「会っている」ような
会話にならないものかなあ? 東芝問題にしても、
一方は「法人代表」で、一方は「消費者代表」。
ぶつかりあって何が生まれるんだろうか、というと、
「どことどこがどう悪かった」ということを、
お互いに出し合うしかない。
そんなの、コンピュータどうしで、
AI(人工知能)で会話してれば? って言いたくなる。
人の会話が、実際には、顔つきひとつで
全く変わったりするのに、そういうものが、
見えてこないんですよ。
そんなふうに、インターネットが世知辛く見えている。
これをどうしようということが、ぼくの大問題なんです。
「ほぼ日」は、そうじゃないためにつくったのに、
俺が一番くそまじめじゃん!? って。 |
古川 |
(笑)。 |
糸井 |
古川さん笑うけどね(笑)、
ほんとにまずいと思っているんですよ。
俺、こんな人じゃないんですよ。 |
古川 |
日によって、トーンがせっぱ詰まっている
ときがありますよね。 |
糸井 |
あります。あれ、疲れているんですよ。 |
古川 |
本当に忙しいのに、でもこれもやらないと、って。
「なんで?」ってところに自分を追い込む。
ぼくも、仕事をふやすために
インターネットを続けているんじゃないかって
思うことがあります。 |
糸井 |
「そんな忙しいやつの言う事だから聞いてやろう」
という人は、確かにアテにはできるんですけれどね。
「ああ、あいつもたいへんなんだろうし、
俺も聞いてやろう」ってうなずいてくれるわけですよ。
でも、そういう姿勢の中から生まれるものって、
やっぱり「宗教」でしかないと思うんですよ。
そうなると、殉教するしかない。
俺はヤなんです、そんなの。
俺は、最終的には北島三郎のような御殿にね、
金のしゃちほこ両サイドにつけて、
儲かったものは全部俺のものにするぜ、
って高笑いしながら、違うことしてたいんですよ。
だから「皆さんのために」ってことは
ひとつもないわけです。
「面白いし、皆も役に立つじゃない?」
ってとこでやりたいのに、どこかで、
自分が世のため人のためになっているような、
そういう背負ったものを感じている。
こんなことをしてたんじゃお客さんは本当に、
わかってはくれないだろうな、と思うんです。 |
古川 |
インターネットでひとつネックになっている
ことがありますね。
入力するため、編集するための道具と、
見るための道具っていうのが、まだ同じですよね。 |
糸井 |
あ、それは大きいですね。 |
古川 |
「オーディオ装置はこうでなくちゃダメなんだ」
っていうオーディオ評論家の説教を聞きながら
音楽を楽しみたくはないですよね。
それに比べると、ラジカセだとか、ウオークマンだとか、
CDプレイヤーのポータブル型のようなものが、
実は非常に気楽に音楽そのものを楽しむことに集中できる。
それをインターネットに置き換えて考えてみると、
いまのインターネットというのは、
発信者が使う道具と、受信者が使う道具は全く同じである、
ということになってますね。
それは、受信しているときに
「構え」がいるということなんです。
テレビを見るときに「こういうポーズを取らないと
TVは見れませんよ」という条件を課せられているとか、
「本を読むときは正座して読みなさい」って、
お父さんに言われたような状態ですよ。 |
糸井 |
最悪ですよね。 |
古川 |
情報を受けとる側が楽しめて、
それに対して自分が情報を跳ね返すときって、
受信側の道具がちょっと形を変えるだけで
キー入力が出来るようになっている、
そういう形の方がいいですね。
たとえば、「ほぼ日」に、携帯電話のiMode専用に
編集されたページがあったとしますね。
「ほぼ日」のある部分がiModeで5000人、
1万人に届いています、っていうような状態をつくったら、
今までの読者とは全然違った人たちが、
それを見て楽しむことができますよね。
「お返事は1か2でボタンを押してください」
というようにすれば、彼らのやり方で
フィードバックをかけてくるでしょうし。
そういうふうに、インターネットを受信する形として、
これから先、携帯電話的なものがいいのか、
それともポケットサイズのデバイスがいいのか、
耳につけるようなデバイスがいいのか。
ひょっとしたら、ケースによってはね、
ぼくは、コンビニのコピーマシンでもいいと思う。
ボタン押したらザッザッザ、ってインターネット上の
欲しかった情報が印刷されて出てきてね。
それは、やっぱり読むときって、紙媒体で読まないと
気が済まない人って絶対にいるから。
もしセブンイレブンのコピーマシンから
「ほぼ日」が自由に印刷できる、ってなったら、
週刊誌買った帰りに、ほぼ日印刷して、という人が出る。
一部、20円とかでね。 |
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糸井 |
20円、いい感じですね。 |
古川 |
インターネットにアクセスする道具っていうのは、
パソコンでもいいし、iModeでもいいし、
セブンイレブンのコピーマシンでもいいんです。
液晶表示の「何枚コピーしますか」という
メニューのなかに、「この機械で印刷できるもの」の
一覧があって、そこに「ほぼ日」がある。
「ぼくは毎日これ読まないと、寝つきが悪いんだよね」
というようなメディアであるならば、
コピーマシンからだって出しますよ。 |
糸井 |
なるほどなあ。 |
古川 |
ぼくが将来作ってみたいデバイスがあるんです。
ポケベル的なものとか携帯電話的なものに、
インターネットを見る道具としての機能と
リモコンの機能を持たせるんです。
「私はこのサイトが見たい」と思った人が、
携帯電話を持っているとしますよね。
テレビに向かって携帯電話で「出てこい」という
信号を出したら、ヒュッとテレビの画面に
そのサイトが映し出される。
たとえばどこかのホテルに泊まっているとします。
テレビで流れてくる情報を、
「これいいな、ちょっと印刷したいな」
と思ったら、部屋に据え置いてあるファクスに向かって、
「出てこい」という命令を、携帯電話で操作する。
そうすると、その情報が紙に印刷されて出てくる。
その命令も、現在のインターネットのように、
「いちいちまるいち・ドット・コム」
でもいいけれど、もっと簡単に、
「自分は、今日の更新だけが印刷したい」
って言った瞬間に、おのおの違ったデバイスが、
「ご主人様、わかりました!」と判断して、
テレビにプッと出したり、
ファクスからズズッと出てきたり、
そのコピーマシンからプリントされて出てくる。
これを見る人間のダイナミックレンジが問われるけれど。 |
糸井 |
そこなんですよ! いまのダイナミックレンジって、
やっぱり狭いんですね。10人にひとり、
いるかいないか、って。
「ほぼ日」の平均視聴時間っていうのが、
1日20分なんですよ。
この20分というのは、インターネットの世界では、
どうやら、ものすごく多いらしい。
20分読むために来てくれる人というのが、
こんなにいるということは、うちは、よそと、
味が違うんだ、と思うんです。
ただ、ぼくがその味に対してね、
お客さんの反応があると嬉しいものだから、
ついお神輿のてっぺんにのぼって、
大声出して旗ふっちゃうんですよ。
で、そんな自分がイヤなんですよ。
「今日は本当に堅いこというからさ」
っていう日に、
「くっだらねえな、今日は」
っていう日が意識しないで混じらないとダメなのに、
なんか、「みなさまのために」っていう匂いが、
自分の中にあるんです。
ちょっとサヨク入ってるんです(笑)。
これが、イヤなんですよ。 |
古川 |
壇上に立ってヤジっている「私」が、
いつのまにかみんなの歓声に躍らされている、という。 |
糸井 |
そうなっちゃ、ダメなんです。
やっぱり即時的な反応があるものって、
つい、行きたくなっちゃうから、
そうすると「熱心な人ほど、大事にしちゃう」
ってところがあるんです。
それは、気をつけているんです。
インターネット触ったことない人から、
「このページがあるんでパソコン買っちゃいました」
ていう反応があるとものすごく嬉しいんですよ。
実際に数えたらそんなには多くないだろうけれども。
でも、そういう仕事をしていると、
「宗教」になっていくに決まってるんで、
そこをなんとか避けて、ほんとにゴロ寝で見てくれて、
「“おお、これ、真剣に読もうぜ”って、
ピョン、と起きちゃった──そういう日がありました」
っていうのがメディアとしては理想ですよね。
……古川さん、デバイスの話を
しているときって、ものすごいイキイキしますね。 |
|
古川 |
ずっとそれを作りたくて
20年やってたようなものだから(笑)。 |
糸井 |
得意技なんですね(笑)。技術顧問に雇いたい!(笑) |
古川 |
いろいろな機械がそれぞれデジタル化しているにも
かかわらず、それが何で連動してくれないの?
というのがありますよね。 |
糸井 |
あります。 |
古川 |
たとえばこういう対談にしても、
カセットテープやMDで録音した後に、
ワープロの原稿に落とすまでのプロセス。
やっぱり、書き起こしって…… |
糸井 |
すごく大変なんです。 |
古川 |
MDやカセットを、そのままマックやウインドウズに
つなげたら、バーッって文字が出てきて
テキストに変換してくれたらいいですよね。
変換を間違えたところだけクリックすると
次候補が出てきて修正できるとか。
1回直した言葉は、だんだん、ワープロのような
変換効率だけじゃなくて、
音声を文字として認識する効率も高まって、
何回も同じ修正をしなくていいとか、
次にまたインタビューした原稿をソフトにかけると
認識率が高まっているとか。
そういうのも、できますよね。 |
糸井 |
それに近いものはあるんですよね、もう。 |
古川 |
でもいまはやっぱり、メディアの変換に、
非常に面倒なことが起きている。
たとえば、MDやカセットのコネクタって、
似たような形状でありながら、パソコンに直接入っていく、
一対一でつなげられるものって、一切ないんですね。
パソコンにもマイク端子とかライン・イン端子とか
あるでしょう? でもそれは音声認識をするための
蛇口ではないんですね。それを使って接続したら、
60分のデータは60分かかるわけです。
そういうのは、やってられない。
入れたデータは、たとえば15秒でドンッと
高速の光で出力する端子で飛ばせる、とかね。
これから先はたぶん、そういうことが
できなくちゃいけないですね。 |
糸井 |
人間が汗水たらさなくてもいい部分を
どんどん増やしていくと、
違う部分に頭を使うようになるだろう、
という期待があるんです。
それをぼくらも望んでいるんだけれど、
頭を使わなくていいはずの機械を憶えるのに、
知らないうちに頭を使っているという(笑)。
ものすごい悪循環ですよね。
これをぶっとばしたいんですよね。 |
古川 |
たとえば2画面のテレビでも、
その両側に、おのおの自分の好きな映像を出すのって、
けっこう時間がかかりますよね。
だけど、ひょっとしたら2画面じゃなくて、
そのサイズが自由に変えられたり、
自由に配置が出来たり、
簡単にそれを操作できるようになったら、
やっぱりもう少したくさんの人が使うかもしれないし。 |
糸井 |
そういう親切心って、
「モノ」になるのに時間がかかるんですか? |
古川 |
技術者によってはろくでもないものができますよね。
たとえば、複合商品(複数の機能がひとつの機械に
入っている商品)の話なんですけれど、
「ついついやっちゃって」というのはよくある話なんです。
昔、シャープがいろんな複合商品をつくったときに、
「組み合わせて絶対意味のないものを100個挙げよ」
とか、開発者がそういうクイズをお互いにやってね、
「便器冷蔵庫!」
「便器炊飯器!……やっぱ、ダメだな」
とか(笑)。
「便器を開けると冷えたビールが出てきました」なんてね。 |
糸井 |
そういうものを「ありがたいねえ」って言う人は、
いないですよね(笑)。
(つづく) |