古川 |
デバイスというレベルで考えても
デジカメだとか、いろんなものが出てきましたよね。
そのなかで、今までと目のつけどころが違う人達が
ふっと出てきた瞬間に、
もう全然思いもしないところでひっくり返されることだって
あるかもしれない。
たとえば、パソコンが年間900万台前後の勢いを
持っているわけだけれども、
パチンコは470万台、自動販売機は400万から
600万台ぐらい出ている。
もし、自動販売機とパチンコの市場を完全に制覇したら
パソコン全体くらいの市場規模になるわけですね。 |
糸井 |
そうですね。 |
古川 |
自動車のなかには、セルシオだとかレクサスなら、
35個くらいCPUが入っている。
ドア1枚にもCPUが入っているし、ドアと本体の間にも
光ファイバーでネットワークを張っている。
ハンドルにもCPUが入っている。
そこの全体を制御するОSって、
誰もまだ考えていないんですよ。 |
|
糸井 |
ほほう……! |
古川 |
ОSを制覇しようっていう話じゃなくてね、
自分が考えたいことっていうのは、
そのなかでも情報が自由にやりとりできればいいのにな、
ということなんです。 |
糸井 |
小さなCPUを人体にバラバラに埋め込んだら
面白いだろうな、という発想に近いものを感じますね。 |
古川 |
人間のそこの部分は、最後までとっておきたい、
という気もしますけどね。
孫正義さんは、最後にそれをやりたいって、
いつも話してますよ。
「もう勉強するのイヤだから、小さなチップを頭に
組み込んで、『社会の勉強!』ってピューッて
知識が入ってくるようになれば」
って。その商標ももう取ってあるって。 |
糸井 |
えっ!? |
古川 |
「チップエレキバン」。 |
糸井 |
…………聞かなきゃよかった……(笑)。 |
古川 |
ボクじゃないですからね! 孫さんですからね! |
糸井 |
ウオノメパッドくらいで済ませたかった……(笑)。 |
古川 |
でもね、こういうのは可能になってきてるんですよ。
PHSの小さな発信機を、子供がキーホルダーなんかに
くっつけていると、迷子になっても、どこを歩いているか
わかる、というもの。もともとは徘徊老人のために
開発されたんだけれど、これを子供がランドセルに
ぶらさげるだけで、子供の居場所がわかるようになる。
それと同じデバイスは、今、北海道の熊に使ってるし、
これから先、全ての牛に使われる予定なんです。
耳たぶなんかに埋め込んで、牛がどこにいるかとか、
そういう管理をしていこうと。
それから、サルや熊の調査に使うだとか。
携帯電話をしょった熊が、そこらへんに徘徊していると
いうわけなんですよ。
携帯電話を持っている人達は今4000万人から
5000万人まで来ているけれど、
9000万人まで来た瞬間にサチュレーションを
起こすことはわかっているから。 |
糸井 |
サチュレーションってなんですか? |
古川 |
臨界点まで来てしまって、飽和状態になってしまうこと。
日本でも、テレビなら、各世帯に2台ずつ入った状態で
ちょうど9000万という数字が出るわけです。
1世帯に2コンマ何人しか家族がいないときに、
2コンマ何台の携帯電話で需要が飽和点に達するとすると、
それを3億個にまで拡大するためには何が必要か?
それは、二足歩行だろうが車輪がついていようが、
動くものには全部携帯をのせろ、という話なんです。
いまは、価格の問題があるから、自転車に携帯電話を
入れるというのはバカバカしい話だけれども、
でも、自転車についていればね、盗難に遭っても
どこにあるかがすぐにわかる。
そういうふうに考えると、自動車の中にも入っていて、
携帯電話と自動車を別々にしないでおくのもいいし、
ひょっとしたら旅行鞄だとか、ころがして移動する
ものは、すべからく、猫だろうが犬だろうが、
携帯電話をつけていったら、という発想になるんです。 |
糸井 |
デジタル時計に近いですね。
つまり、飽和点に達しつつある商品というのは、
どんどん、自分を無化していくことで生き残っていく、
みたいになっていきますよね。 |
古川 |
その結果、すべての営業マンがどこで何をしているのかが
管理の対象になったり、浮気の現場を押さえられたりとか
しちゃうかもしれないけど。
今は建物は平面だけじゃなくて、高さがあるから、
「ホテルだって? レストランにいただけだ!」
「あなたが18階にいたの、わかってるのよ!」
とかなっちゃったらどうするか(笑)なんて話にも
なるわけだけれど。 |
糸井 |
「そんなに知ってどうするの?」という世界になりますね。
知らなきゃよかったのに、って。
これからどうなっていくか、ってことなんですけれど、
まあ、どうなったっていいような気もするんだけれど、
どこのところが変わると、人間という生き物にとって
よかったな、という社会になるんでしょうか。 |
古川 |
同じことを繰り返ししないで済む、ということ。
これは非常に単純な事でもいいんです。
たとえば、停電した後に、家の中で時刻をセットしなくちゃ
いけない場所が、何ヵ所あるか? と考えたら、
きっと10ヵ所以上ありますよね。
そんなものは、「いま時刻は何時何分です」ってことを
無線で飛ばしてくれるデバイスがあれば、
全部一度に入るはずなんですよ。
ひとつ賢いデバイスがあれば、そのデバイスを持って
近づくと、時刻に差がある場合、
「こっちのほうが正しい」
っていうことをデバイスが判断して、
全部修正してくれる、とか。
繰り返して人間がやらなくても、同期をとってくれる。
それから、メディアの違いをのりこえて、
情報をやり取りしてくれるもの。
ただ携帯電話に入ってきた情報で、いいな、と思って、
それを音や映像で見たい、となったら、それを
テレビやファクスに出してくれる。
つながっている経路も違うし、メディアの密度も
違うんだけれど、関連した情報に関しては、
それを乗り越えて伝えてくれる。
メディア変換しなくていい。
たとえばこの対談にしても、録音しているテープっていう
メディアと、キーボード叩いて文字原稿にするっていう
ことの間にあるのは、人間が介在して……、 |
糸井 |
無駄に見える作業をしている。 |
古川 |
その作業は本来、テクノロジーがやってくれたら
いちばんいいのに、いちばん気を利かせてやってくれる、
メディア変換ができる機構っていうのがなくて、
人間がテープ聞いて、キーボードを叩いている。
そういう部分は、人のかわりに置き換えられるもので
あれば、そこの部分の人間の作業を
限りなくゼロに近くする。
そして、文章のこの部分にハサミを入れて、
こういうふうに仕上げよう、という編集の部分に
人間は集中することが出来る。 |
糸井 |
「君じゃなきゃできないことをするのは、君なんだよ」
っていうのは、最後の理想社会なんですよね。 |
古川 |
そしてね、「君」というだけではなくてね、
最後に、いちばん「痛い」ものとか、「嬉しい」ものだとか
そういうものに、より自分自身の神経を
集中できるようにする時代にすること。
前に話した「心は一切変わっていないんだ」
とおっしゃる部分ですよ。
心を、じゅうぶん注ぐ、もしくはそれを使って感じ入る、
感じた後に涙を流す、やさしい気持ちになる、
という時間がないほどに、いろんなことに追われている。
それ自体を少しずつ減らしていくことによって、
もう少しやさしい時間というのかな、
一緒に泣ける時間が、生まれてくるんじゃないのかな。 |
糸井 |
うんうん。 |
古川 |
今は、本来、道具であって欲しいものが
目的化しちゃってるんです。
インターネットなんて本来は道具でしかすぎないのに、
それをやること自体が目的化しているものために、
なんかちょっと方向、まちがっているんじゃないかと
思うんですよ。 |
糸井 |
「過渡期」を感じますね。 |
古川 |
僕、よく言うんだけど、「マルチメディア」という言葉を
語っている時代があった。過去、ぼくらはそういうことを
前面に出して主張してうたい文句にしたり、
人を惹きつける言葉として使ったことがあるでしょう?
それは、白黒映画の時代に、カラーの映画を
「総天然色」ってうたったものがたくさんあったのと…… |
糸井 |
同じですよね。 |
古川 |
そういうものが前面に出ているのは何だ? っていうことを
考えると、映画に色のついていない時代だから、
色がついている映画が1本出てくると
「総天然色」って言わなきゃいけない。 |
糸井 |
やたらと色のついた花を映したりしてましたよね。 |
古川 |
本来そのなかで主張されるコンテクストじゃなくてね、
「色がついているんだぞ、すごいんだぞ」
っていうところにエネルギーを集中しちゃうために
かえって時間をつかってしまったり、
本質を見えなくさせてしまっている。 |
糸井 |
全く賛成だなあ。
「できる」ってことを喜びすぎていますよね。
できて、何を流すの? っていうことを忘れて。
僕、もっと素人の時から、マルチメディアがどうのって、
必ず会議とかで出るんだけど、
「早い話が、マルチメディアという言葉を使って
いちばん嬉しいのって
この研究会に出ている人じゃないの?」
ってイヤミを言ったことがあるんだけど(笑)。
その人達は面白いだろうけど、
何だかピンと来ないですよね、って思ってて。
そのときの気持ちって言うのは、「何流すの?」
ってことで。水道管をひく工事ばっかりに夢中になるけど
「出てくる水は何なの?」っていうところで、
おいしい・まずいがわからない人が水道管の話してると
取り残されたような気がするんですね。
そうでなくてもクリエイティブ単価がどんどん
下がっていますから、
「誰でも出来るものをやりとりしているだけ」
ってなっちゃったときには、やっぱり、
本当に面白いものってない、ですよね。 |
|
古川 |
僕はもっともっと、各業界で生きてきたプロの人、
……映像のプロなり、物を書くプロだったり、
それから絵を描くプロだったり、写真のプロが、
インターネットをひとつの道具として、
面白いと思って選択してくれたときに、
「活版印刷じゃなくてオフセット印刷ができたから
自己表現もよくなったね」
っていうレベルに実際にたどり着いたと、
認めていただけたらいいと思うんです。
たとえば下版までのスケジュールがあと3日
余裕ができるだとか、それから実際に印刷したときには、
色の表現にしてもよくなったと認められるような
メリットを感じられるような。
いまのインターネットというのは、
他の業界で生きてきたプロが混ざらないうちに、
技術者だけが固まって、「こんなものができる」
なんて言ってるようなものなんです。
それは素人の文化祭の発表会だよ、ってことでね。 |
糸井 |
やっぱり、新しいメディアに関わっている人達って、
今までと違うことをしようという意識がとても強いから、
アンチ・テレビになったり、アンチ・雑誌になったりして
インターネットをやっちゃったりしがちなんですよね。
僕は、たまたま素人として始めたおかげで、
へたくそなんだけど、アンチの気分は何にも持ってない
んですよ。「全部ほんとうはつながれるはずだ」
っていう気持ちがあるんで、ひとつのセットにならなくても
「俺はいま、じゅうぶん、マルチメディアだよ」
っていう気分はあるんですよね。
(つづく) |