第3回 あの世とこの世の 境がない。

石井 これは、砂場で砂をいじると、その形状を
コンピュータがリアルタイムで
キャプチャーする、というものです。
例えばゴルフ場は、
「水はけ」って大事です。
あるいは、ハイウェイを作るときに
どうやったら眺めがよくなるか、
というようなことも。


糸井 ええ。
石井 人間がフォームギビング──つまり
形を与えるときには、
砂や粘土をこねるように、
手を通した「感触」が要ります。

一方で、コンピューターというものは、
あらゆるものをリアルタイムで
計測していきます。
「ここにビルができると、影がこうなって、
 植物に充分な日照がない」
とか、
「大雨が降ったときに、水がどう流れて、
 水はけがこうなる」
など、いろんなものを分析できる。
この装置は、
美しい形を粘土をこねるように与える
アート的なアクティビティーと
アナリティカルな分析をする
コンピューテーションを同時にできます。
それがまさに、
タンジブルビッツと言われてるものです。
糸井 つまり、実態のあるもの、
触れられるものをデジタルで扱う、
ということですね。


石井 そうです。
フィジカル系アナログ系と
デジタル系のセパレーションではなくて、
いかに情報をタンジブルで
タクタイルにとらえるか。
そしてなおかつ
コンピューテーショナルでもある、
という発想です。

また、ひとりでマウスクリックするのでなく、
5〜6人同時に手を伸ばして操作できることも
大きな特徴です。
糸井 これで、たとえば風水を
解説できますね。


石井 できますね、風水、できますねぇ、
あるいは音楽にもできます。
鳥取砂丘の砂でもって
風が風紋を作ると、
それで音楽を奏でるとか、
水が流れたことで変わる形状を
キャプチャーして音楽にするとか、
いろんな発想がでてくる。
糸井 いろいろできますね。
石井 「この丘を少し高くしたい」と思えば、
普通ですと、
そのモデルを作んなきゃいけません。
しかし、自分の身体(手)をここにもってきて、
じっさいに丘を高くできる。
人間のアナログな身体は
デジタルの世界には
そのまま入っていけないんです、
スキャンインとか
「儀式」を経ないと。
糸井 そうですね(笑)。
石井 でもこれはそうじゃなくて、
周囲で見つけたオブジェクトを、
たとえば‥‥このリモコンを、
いきなりポンと持ってくるだけで、
それが新しいビルディングの
表現になってしまう。



いままではスキャンしてPDFにしないと
自分のアイデアを相手に送れませんでしたが、
どんなオブジェクトでも
デシタルな風景の
一部に「即」なる、ということです。
糸井 即興で、
行ったり来たりが容易になる。
あの世とこの世の
境がないってことですね。
石井 まぁ、そういう感じかもしれませんねぇ、
ちょっと怖いですけども。
でもこれはある意味チャネリングで、
恐山のいたこを通して、
亡くなってる人とつなぐのと同じように、
フィジカルワールドと、
デジタルワールドが
行き来できる‥‥。
糸井 うん、うん。
石井 こういう仕事は
3DのCADでもって、
当然、マウスでできます。
しかし、ここではみんなが同時に
2本の手を使って操作できるんです。
非常にデモクラティック(民主的)にね。
糸井 大衆が制度に
手を出せるってことですよね。
石井 そうです。
街に新しいビルディングが建つとき、
環境がどうなるかとか、
アセスメントが気になりますでしょ。
建築会社はすごい金使って
ビデオ見せてくれますけど、
それを見てもなかなか信じられません。
だって、それは彼らのポジションから見た
オプティマイゼーション(最適化)だから。

でも、これを使えば
実際にみんなが
デモクラティックに手を出していけるんです。

糸井 こういったものを作られるときに、
「デモクラティックな」という言葉が
自然に混じってたのが
おもしろいです。
石井 ああ、そうですね、
あらゆる環境に対する評価は、
コンセンサスが大事です。
ぼくらの目指すものは、
過程の中で「誰でも触ってください」というふうに
誘うものです。
お客さんや住民のみなさんに
「こうしたらどうでしょう」
「こういうことも考えられます」
といったインタラクションをやっていくことが
大事だと思っています。
糸井 メディアラボのような研究室で、
「デモクラティック」なんて言葉を
使おうと思ったのは、
先生がオリジナルなんですか。
石井 いや、そんなことないと思います。
メディアラボには
ソーシャルアクティビスト的な研究もあるし、
アーティストもいます。

Twitterをはじめとする
新しいソーシャルメディアを
アクティビズムに使って、
いかに「権力をもったすげーヤツ」と
戦っていこうか、と
研究してる連中もいます。
ですから、わりと自然に出てくる言葉です。
糸井 それは、いつごろからでしょうか。
石井 もう20年ぐらい前、
メディアラボができたときからでしょう。
当初から、人々のエンパワーメントのために
いかにテクノロジーやコミュニケーションを
使っていくか、という考えが
根底にありました。
技術の機能や性能の向上ということより
技術が人にとってどういう価値を持つかを
考えているんだと思います。

先ほどからご紹介しているものも
別に、問題を解決してるんじゃありません。

新しい表現の可能性を見せることによって、
世界が違って見える。
例えば、紅葉の、美しいもみじ。
‥‥冗長な表現だな。
糸井 いやいや。
石井 えーと、いいや、
もしすばらしいもみじを見たとすると、
I/Oブラシの経験から、
「このイメージを使って
 どんな新しい作品を作ろうかな」
というイマジネーションが湧いてきます。
新しい表現というのは、技術ではなく、
そういったヒューマニズムなところから
起こってきます。
糸井 そうですね。

(つづきます。
 砂場のようすも、動画でごらんください)


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2011-05-13-FRI

HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN