石井 |
これは、砂場で砂をいじると、その形状を
コンピュータがリアルタイムで
キャプチャーする、というものです。
例えばゴルフ場は、
「水はけ」って大事です。
あるいは、ハイウェイを作るときに
どうやったら眺めがよくなるか、
というようなことも。
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糸井 |
ええ。
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石井 |
人間がフォームギビング──つまり
形を与えるときには、
砂や粘土をこねるように、
手を通した「感触」が要ります。
一方で、コンピューターというものは、
あらゆるものをリアルタイムで
計測していきます。
「ここにビルができると、影がこうなって、
植物に充分な日照がない」
とか、
「大雨が降ったときに、水がどう流れて、
水はけがこうなる」
など、いろんなものを分析できる。
この装置は、
美しい形を粘土をこねるように与える
アート的なアクティビティーと
アナリティカルな分析をする
コンピューテーションを同時にできます。
それがまさに、
タンジブルビッツと言われてるものです。
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糸井 |
つまり、実態のあるもの、
触れられるものをデジタルで扱う、
ということですね。
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石井 |
そうです。
フィジカル系アナログ系と
デジタル系のセパレーションではなくて、
いかに情報をタンジブルで
タクタイルにとらえるか。
そしてなおかつ
コンピューテーショナルでもある、
という発想です。
また、ひとりでマウスクリックするのでなく、
5〜6人同時に手を伸ばして操作できることも
大きな特徴です。
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糸井 |
これで、たとえば風水を
解説できますね。
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石井 |
できますね、風水、できますねぇ、
あるいは音楽にもできます。
鳥取砂丘の砂でもって
風が風紋を作ると、
それで音楽を奏でるとか、
水が流れたことで変わる形状を
キャプチャーして音楽にするとか、
いろんな発想がでてくる。
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糸井 |
いろいろできますね。
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石井 |
「この丘を少し高くしたい」と思えば、
普通ですと、
そのモデルを作んなきゃいけません。
しかし、自分の身体(手)をここにもってきて、
じっさいに丘を高くできる。
人間のアナログな身体は
デジタルの世界には
そのまま入っていけないんです、
スキャンインとか
「儀式」を経ないと。
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糸井 |
そうですね(笑)。
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石井 |
でもこれはそうじゃなくて、
周囲で見つけたオブジェクトを、
たとえば‥‥このリモコンを、
いきなりポンと持ってくるだけで、
それが新しいビルディングの
表現になってしまう。
いままではスキャンしてPDFにしないと
自分のアイデアを相手に送れませんでしたが、
どんなオブジェクトでも
デシタルな風景の
一部に「即」なる、ということです。
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糸井 |
即興で、
行ったり来たりが容易になる。
あの世とこの世の
境がないってことですね。
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石井 |
まぁ、そういう感じかもしれませんねぇ、
ちょっと怖いですけども。
でもこれはある意味チャネリングで、
恐山のいたこを通して、
亡くなってる人とつなぐのと同じように、
フィジカルワールドと、
デジタルワールドが
行き来できる‥‥。
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糸井 |
うん、うん。
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石井 |
こういう仕事は
3DのCADでもって、
当然、マウスでできます。
しかし、ここではみんなが同時に
2本の手を使って操作できるんです。
非常にデモクラティック(民主的)にね。
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糸井 |
大衆が制度に
手を出せるってことですよね。
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石井 |
そうです。
街に新しいビルディングが建つとき、
環境がどうなるかとか、
アセスメントが気になりますでしょ。
建築会社はすごい金使って
ビデオ見せてくれますけど、
それを見てもなかなか信じられません。
だって、それは彼らのポジションから見た
オプティマイゼーション(最適化)だから。
でも、これを使えば
実際にみんなが
デモクラティックに手を出していけるんです。
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糸井 |
こういったものを作られるときに、
「デモクラティックな」という言葉が
自然に混じってたのが
おもしろいです。
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石井 |
ああ、そうですね、
あらゆる環境に対する評価は、
コンセンサスが大事です。
ぼくらの目指すものは、
過程の中で「誰でも触ってください」というふうに
誘うものです。
お客さんや住民のみなさんに
「こうしたらどうでしょう」
「こういうことも考えられます」
といったインタラクションをやっていくことが
大事だと思っています。
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糸井 |
メディアラボのような研究室で、
「デモクラティック」なんて言葉を
使おうと思ったのは、
先生がオリジナルなんですか。
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石井 |
いや、そんなことないと思います。
メディアラボには
ソーシャルアクティビスト的な研究もあるし、
アーティストもいます。
Twitterをはじめとする
新しいソーシャルメディアを
アクティビズムに使って、
いかに「権力をもったすげーヤツ」と
戦っていこうか、と
研究してる連中もいます。
ですから、わりと自然に出てくる言葉です。
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糸井 |
それは、いつごろからでしょうか。
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石井 |
もう20年ぐらい前、
メディアラボができたときからでしょう。
当初から、人々のエンパワーメントのために
いかにテクノロジーやコミュニケーションを
使っていくか、という考えが
根底にありました。
技術の機能や性能の向上ということより
技術が人にとってどういう価値を持つかを
考えているんだと思います。
先ほどからご紹介しているものも
別に、問題を解決してるんじゃありません。
新しい表現の可能性を見せることによって、
世界が違って見える。
例えば、紅葉の、美しいもみじ。
‥‥冗長な表現だな。
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糸井 |
いやいや。
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石井 |
えーと、いいや、
もしすばらしいもみじを見たとすると、
I/Oブラシの経験から、
「このイメージを使って
どんな新しい作品を作ろうかな」
というイマジネーションが湧いてきます。
新しい表現というのは、技術ではなく、
そういったヒューマニズムなところから
起こってきます。
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糸井 |
そうですね。
(つづきます。
砂場のようすも、動画でごらんください) |