ほぼ日・デリバリー版。

第74号 ホロリもの・その9。


こんにちは!

半年ぶんの「ホロリ」を特集しているうちに、
ついに9回目の特集になりました。
みなさん、今日はどのようにお過ごしですか?

さっそく、たくさんのメールをご紹介します。







・ダンナのおばあちゃんは、
 ずいぶん前になくなってしまいましたが、
 結婚したばかり、お盆に帰省した時に、
 「ちょっと2階においで」
 というのでついていくと、
 「これは、私からのお小遣いだよ」
 とのし袋を渡すのです。
 ありがとうございますと、受け取って、
 あとで見たら、
 10万も入っていて、びっくり‥‥。
 それが2回ありました。
 「私が持っていても使わないし、
  お父さんやお母さんに
  取り上げられてしまうから
  あんたにあげる、
  好きなことに使いなさい」って。
 若いときは店を切り盛りし、
 大柄ですごい美人のばあちゃんでした。
 ダンナはおばあちゃんっ子だったそうです。
 まだ、相手の家になれず、
 緊張しっぱなしだった私は、
 ホント嬉しかった!!!
 そのお金は、何年かあとに
 子どもたちのピアノに化けました。
 私の大切な思い出です。
 (y)



・私は20代後半の女子なのですが、
 この年齢になっても、
 人から恋愛対象として扱われると、
 その人やその場に対して、
 どうふるまったらいいかが、急に
 わからなくなります。

 自分がそんなことをされたら
 絶対傷つくにきまっているのに、
 なぜそんなことをしてしまうのかな。

 場をこわさず傷つけず
 にこやかに受け答えをしたいなぁ。
 (バニラ)



・今日は
 「喪中につき新年の御挨拶を御遠慮する」
 という内容の手紙を、したためました。

 父が他界した時にもハガキを書きました。
 銀杏や桜の葉の形を型押しした、
 静かな風情のハガキで、御挨拶。

 母にも、
 「このハガキで
  知人に喪中の知らせを書いたんだよ。
  味気ない既製のハガキじゃ
  俳句をやっていた父には
  つまらないとおもってさ」
 と手紙を出しました。その返事には
 「きれいでさみしい、いいはがきだね」
 とありました。

 俳句の句会が縁で
 道ならぬ恋に落ちたふたりのあいだに、
 わたしは産まれました。

 こうやって気持ちをどこかに書く時、
 やっと涙をこぼさないくらいになりました。
 (あ)



・8歳も年下の人に片思いをしています。
 こんな年になって、
 こんな想いをするなんて
 思ってもみませんでした。

 10代の子どもがいます。
 夫は、6年前に亡くなりました。
 恋なんてとんでもないし、
 やさしかった夫を思いながら
 おばあちゃんになっていくんだろうなぁ、
 と、ずっと思っていました。
 ところが、その人に逢うと嬉しいし、
 ドキドキするし、メールの返信を
 待つ私がいるのに気がつきました。

 それから1年になります。
 この気持ちを相手に伝えたい自分と
 知られたら困るという自分がいて、
 とても苦しくなる時があります。
 勝手に好きになっているだけで、
 どうこうしてほしいのではなくて、
 ただ、好きなのです。
 せめて、月に一度でいいから
 食事に行けたらいいなと思います。
 手もつないでみたいかも。
 (りんご)



・昨日は友人の結婚式で、
 千葉まで仲間8人と出かけました。
 新郎の高校時代の仲間に、
 数人の彼女が加わったグループ。

 25歳にもなると、なかなか
 全員集まって飲む機会も減ってきて
 寂しい限りですが、
 仲間を大事に思う気持ちっていうのは、
 いつまでたっても変わらないものだなぁ、
 と思いました。

 今回結婚したカップルは、
 2人ともオヤジっぽい人たちで、
 みんなでいるときも
 「この人たち、ホントに付きあってるの?」
 ってぐらいサッパリしてて、
 イチャイチャしてるなんて
 想像もできないようなカップルでしたが、
 チャペルで新婦が
 感動のあまり泣いてしまい、
 新郎がコソっと耳元で何かささやき、
 二人でニコっと笑ったのを見て、
 表にアピールしなくても、
 深い所でつながっているんだなって、
 すごく感動しました。

 披露宴もとても楽しくて、
 実に爽やかなキモチになり、
 2次会前に、女三人でトイレで号泣してました。
 仲間内では2組目の結婚で、
 付き合って5年のカップルも残ってるので、
 その時はもっと泣いちゃうのかなぁ。 
 (あ)



・うちで飼ってたイヌは
 ほんとにおとなしい子で、
 滅多に鳴くこともありませんでした。
 庭で放し飼いにしてたんですが、
 家族が食事してるのを窓の外から
 じーっと
 ひたすら見つめるんですね。
 隠れると見えるところに移動して、
 また見つめる。
 たまらなくかわいかった。

 ほかにもツボは山ほどあるんだけど、
 3年前の海の日に死んじゃいました。
 ちょうど連休で、もう家を出ていた
 私や妹が帰ってこれるように
 その日までがんばってくれたようでした。

 今でも家に帰ると、
 あの子がいつも座ってたあたりを
 最初に見てしまいます。 
 (椎)



・保育者として働き始めた頃、
 毎日思うようになってくれない子たちに、
 ただただ、振りまわされていました。

 2歳児相手に
 本気になって怒っている私に、
 大先輩が教えてくれた魔法の言葉は、
 「タオルの丈にもなっていない子ども」
 でした。私がやっきになって
 腹を立てている相手というのは、
 フェイスタオルの長さよりも
 小さな子どもなんだっていうことを
 思い出させてくれるので、
 それからずいぶん経った今も、
 仕事中にいらいらしたら思い出します。

 若いお母さんたちが、疲れて
 子どもを怒りたくなったときの
 魔法の言葉として
 おしえてあげたりもしています。
 (ばむせ)



・実は 職場で 関係の悪い人がいます。
 このごろやっとわかってきたのですが
 ちょっとキライなところをみつけてしまうと
 全体を否定的に考えるヒトと、
 まあまあこんなところはイヤだけれども
 全体としては普通につきあえるというヒト、
 では、考え方の違いがあることなのです。

 ワタシは前者です。
 いろんなヒトがいるから、
 世の中はいいとかいいますが、
 その人の仕事への態度を見ていると、
 ほんまにこんなでいいのかなぁ、
 と思ってしまいます。

 まわりには その人のことを
 いろいろ言いながらも(腹を立てながら)
 うまくつきあっている人がたくさんいます。
 まぁ、そのへんが、
 私の足りないところなのでしょう。
 (匿名希望)



・私は16年ぐらいスイスに住んでいます。
 スイスではハリネズミは
 「幸運を呼ぶ動物のひとつ」
 に数えられています。
 他には、テントウムシとか、
 豚とか、なぜか煙突掃除人とかがそうです。
 日本で言う、4葉のクローバーな存在。

 それはともかく、車に乗っていると
 時々道路を渡るハリネズミを見かけて、
 慌てて止まったりするのですが‥‥
 もちろんハリネズミも止まってしまい、
 そんな時は
 「早く安全な所に行きなさい」
 と、車を降りて、
 退避させたりしなくてはなりません。
 時々、交通事故に遭った
 ハリネズミの遺体を見かけます。
 ところが、去年の春、夜、
 庭の家庭菜園の辺りで、
 何かごそごそしている物があり、
 なんじゃと思ったら、ハリネズミでした。
 思わず、家族を呼んで、
 御披露目してしまいました。
 ハリネズミ本人はきっと
 本当に怖かったことでしょう。
 でもあんまりかわいかったもんで。

 普通怖がりのハリネズミは
 昼間は出てきません。
 ところが、その夏、緑の芝生を
 横断するハリネズミのちび助を発見。
 あんまりかわいくて、またも
 ご近所のかたとか呼んでしまいました。
 人が見にくると、もちろん、
 動かなくなってしまうんですが、
 根気良く待ってると、動き出し、
 くりんとした黒目がかわいいちびでした。
 いったい昼間に出てくるなんて、
 どうしたんだろうと思っていましたが、
 数日後、ご近所の庭で死んでいたそうです。

 親がきっと事故かなにかで死んでしまい
 生活能力のない子ども 
 だったのではないかと思います。
 その子の写真は今でも大事にしています。
 (まど)



・会社の隣の席で仕事をしている同僚が
 「ズシさん『海馬』って本、知ってます?
  たくさん感心させられましたよー。
  ズシさんも読んだほうがいいですよ」と。
 ぼくは、それを聞いて
 「ほぼ日ってサイト知ってる?」
 と、URLを教えてあげると、同僚は、
 「これ面白いですねー」とハマってました。
 その様子に、「輪」が広がっていくことを
 実感しなんだか感動してしまい、
 少々ウルッときてしまいました。
 (ズシ)
 


・誰にも話したことがないけれど、
 誰かに知ってほしいのでメールします。
 アメリカの大学を卒業するとき、
 日本へ帰るかアメリカに残るか
 ものすごく悩んで、
 結局、反対した親への罪悪感や
 こちらで独立することの不安を抱えつつ、
 アメリカに残ることに決めました。
 その一番の理由は、
 今も付き合っている
 外国人の彼の存在でした。
 学校を卒業したとき、
 日本人の友達は全員帰国してしまったし、
 仕事のために新しい土地に
 引っ越してきたので、
 ここで友達と呼べる日本人は
 私にはいません。

 だから会社にいるとき以外の私の時間は、
 一人か、彼と一緒か、
 彼の友達と一緒かの、3択しかないんです。 

 そんな環境だから、
 自分の中で彼氏の占める割合が
 学生のときよりももっと強くなってきていて、
 彼の言動にバカみたいに一喜一憂して、
 自分でも収拾がつかないくらいの
 ハイとローがある毎日です。 

 日本にいる親や彼自身にも、
 彼がいるからアメリカにいるんだなんて、
 口が裂けても言わないけれど、
 自分で悲しくなるくらい、
 彼が私のここにいる理由そのもの‥‥。 

 すごく依存しているように
 聞こえるかもしれないし、
 以前はそんなことをいう人をばかみたいって
 内心思ってたくらいなのに、今は、
 理屈にならない思いもあるって
 きれい事じゃなく思います。
  
 日本にいたときは知らなかった
 孤独や疎外感のなかで、
 彼がいなかったら
 ここで一人では生活していけない、
 とすら思っています。
 自分でもどうしてこんな風なのか、
 どうしたらいいのかもわかりません。

 時々、自分の居場所は
 日本にもアメリカにも
 どこにもないように感じてしまうし、
 会社でも彼の友達の前でも
 笑顔でいるけれど、
 100%楽しめない自分がいます。

 前向きに、って言い聞かせてるけど、
 心の中はざわざわしてます。
 私、アメリカに来て
 少しずつ狂っちゃったのかなぁ。
 
 こんな生活でも、今日本へ帰ったら
 きっと後悔するって思うし、
 そう思ううちは、日本へは戻りません。 
 (匿名希望)



・10月に30才になりました。
 生きることが、すこし
 楽になってきたように思います。
 年上の友人と遊ぶことが多いのですが、
 数年前に30になった友人たちの意見は、
 そういうものが多かったので、
 けっこう楽しみにしていたんです。

 清く正しく生きなくてもいいんだな、
 って思えるし、最近、感銘を受けた言葉は
 「他人に嘘をついてでも、
  自分に正直に生きる」
 という友人のモットーだったりします。

 10代の頃からの私を知る人が聞いたら、
 耳を疑うような秘密も今は持っています。 

 ただ誕生日そのものはおさびし山でした。
 恋する人に思いきって出した
 「会えませんか?お食事でも」
 というメールには、
 なんの反応もありませんでした。
 断りならともかく、反応なし。
 その後もその人とは普通に会い、
 彼の口からは一度もそのことに触れた話題が
 出ないので、打ちのめされもしました。
  
 でも、そのことにひっかかっていると、
 暗くなってしまうから、
 恋する人の携帯メールに
 不具合が起きて読めなかったことにして、
 毎日、笑顔で働いてますよ。ええ。
 こういうことが、20代の時には、
 なかなかできなかった。
 自分に都合いいように
 考えを変えて前に進むっていうやり方。
 オバサン化ともいうのか?
 これがもっと進化すると「老人力」なのか?
 それでもいいや。

 世の中を変えるような人間には
 なれなかったけれど、
 職場で私の施術を受けたお客さまは、
 みなさん喜んでくれるし、
 両親と断絶せずに今も一緒に暮らしているし
 (子どもの頃は、一刻も早く
  家を出たいと願っていたんです)、
 うまく言えないけれど、
 自分がこうしたいと思った生活とは
 違うけれど、これもいいのです。
 (葉)



・小生のだいじな人は、
 高2のときの担任で、今は勝手に
 『尊敬する父』と慕っている先生です。
 小生には、一緒に暮らした父が居ません。
 その所為や、高3の時に起きた
 さまざまなことのお蔭で、
 先生に対する父としての存在と
 尊敬する気持ちが大きくなりました。

 小生はいつも先生に
 迷惑をかけているのに、
 先生はいつも小生を応援してくれて、
 時には救いの手を差し伸べてくれました。
 その救いの手で、何度も助けられました。
 しかし、いつまでも先生に『父親像』を
 押しつけてはいけないと思い、
 卒業と共に『父離れ』を決心して、
 その為に色々と試みました。
 しかし、小生の中の『尊敬する父』の
 存在は大きくなるばかり。
 卒業しても先生に元気付けられ、
 助けられっぱなしです。

 今はもう開き直って、
 心の中に『尊敬する父』を
 ひっそりとしまっています。
 そんな無口で無表情な『尊敬する父』は、
 小生にとって、とてもだいじな人です。
 いつものように迷惑がられると思うけど、
 いつの日にか一番喜ぶことで
 恩返しをしたいなぁと思ってます。
 (湯月)



・デリバリー版でおばあさんの話を読んだら、
 亡くなった祖父を傷つけて、
 ちゃんと謝らなかったことを思い出して
 泣けてきました。

 祖父の米寿のお祝いの会。
 私たち孫は、会に参加しない代わりに、
 お祝いの手紙を書くことになったんです。
 私はまだ大学生で、長生きすることに
 意義なんて見い出せない時期でした。
 自分は、60才まで生きれば
 十分だろうとも思っていたんです。
 でも、祖父には長生きしてほしい。
 手紙には、率直に、そう書きました。

 それは祖父にとっては
 すごくショックな内容だったようで、
 途中で私の手紙を読むのを
 止めてしまったと母から聞きました。
 しかし、そのとき怒ったという祖父は
 私に対しては何も言いませんでした。
 だから、私も忘れたふりをしていました。
 話を蒸し返して、怒られるのは嫌だったし、
 そのときの正直なキモチだったので、
 怒られるのは釈然としない思いが
 あったからです。

 数年経って、祖父は他界しました。
 あのときの手紙のことは
 結局謝らずじまいでした。
 いまは、私も祖父のことを
 わかる努力をするべきだったなと思います。
 怖がらずに話を聞けばよかったなって。
 取り返しのつかないことをしてしまったと、
 今になって悔しく思います。
 (ぽよよん)



・今日、なんだか
 かわいらしいおばちゃんに逢いました。
 私が仕事で東京から名古屋へ帰る新幹線で
 隣り合わせたそのおばちゃんは、
 「名古屋から大阪へ帰るところなの」
 と言いました。
 え?‥‥この新幹線は名古屋に向かうのに。 

 話を聞くと、
 名古屋の実家での法事の帰り、
 いつもエサをやっている鴨に
 今日もエサをあげなくちゃと
 慌てて新幹線に飛び乗ったら
 反対方向のに乗ってしまった、
 と説明してくれました。

 おばちゃんは、1時間の道のりを
 なんと5時間以上もかけて
 帰ることになってしまったのでした。
 乗り合わせたのは、
 20:40発のひかりだったから、
 おばちゃんが名古屋を出発したのは、
 18:30頃のはず。
 19:30頃には大阪に着く予定だった
 おばちゃんが大阪にたどり着けるのは、
 23:38‥‥。
 「車掌さんに説明しなくちゃ」
 と小さくなっていたおばちゃん。
 気をつけて帰ってね。 
 がんばれ!!!  
 (は)



・入社して2年半が過ぎて、
 やっと同期の男の子が好きなんだ、
 と自覚しました。

 たぶん、
 最初から好きだったのだけど、
 最近まで私には彼氏もいたので、
 まったく自覚していなかったのです。
 だけど、せっかく気付いたこの気持ちも、
 今更素直に伝えられなくて、
 同期の誰にも相談できなくて、
 毎日パンク寸前です。
 こんなに片想いが苦しいとは…。

 何度もなげやりな気持ちになっては、
 落ち着け、と自分を押さえ、
 せっかくだから
 頑張ってみようと思っています。
 (カ)






明日の「デリバリー版」コーナーに、つづきますね!

デリバリー版への激励や感想などは、
メールの表題に「ほぼ日デリバリー版」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

2002-01-09-THU

HOME
戻る