HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN 謎の爺 と ふしぎな「どうぶつたち」。80歳の版画家・望月計男さんの作品がすごい。
──
2013年に開かれた望月さんの作品展
「どうぶつたち」のことを
知り合いがFacebookで紹介していて
「わ、実物を見てみてたい!」と。
望月
ああ。
──
すぐに、この「Hasu no hana」という
ギャラリーにうかがいました。

すると、単に「かわいい」だけじゃない、
見る者をゾワゾワさせるような、
ふしぎな魅力の「どうぶつたち」の作品が、
額装もせず、壁にぺたぺた貼ってあって。
望月
ええ。
──
じーっと見てると
あちらからもじーっと見られてるというか
そんな魅入られるような感覚もありつつ、
「連れて帰りたい」
というような「親しみ」も感じたんです。
望月
そうですか。
──
作家さんについては、どのような人なのか、
何の予備知識もなく来たんです。

何しろ「望月計男」というお名前を
ネットで検索しても
情報がほとんど出てこなかったので。
望月
でしょうねえ。
──
そしたら展覧会場の隅っこのほうに
ご本人がちょこんと座っていらして、
失礼ながら
「え‥‥このおじいさんが!?」と。

作品の感じが、何となく今っぽいし
若い人かなとばかり思っていたんです。
望月
こんなジジイですよ。
──
びっくりしました。
望月
パソコンのことはわかんねえけど
インターネットに出してもらったらさ、
イタリアに住んでる娘が見て
「ぜんぶ、わかったよ。
 親父のこと、ぜんぶわかった」って、
そう言ってた。

娘も、図案やってるもんだからさ。
よかったよ、出してもらって。
──
ネットで検索しても
ほとんど素性の分からないおじいさんが
こんな版画をつくっているとは
「謎すぎて、すごい!
 世界ってまだまだ広い」と思いました。
望月
そうかい(笑)。
──
聞きたいことは山ほどあるんですが
まず、あの「どうぶつたち」は
どのように、生まれてきたんですか?
望月
まあ、もともと俺は版画じゃなくて
若いころは抽象とかやって、
春陽会や読売アンデパンダンへ出品したり
まあ、いろいろ失敗ばっかり、
人生、失敗ばっかりしてきたんだけど、
仕事を辞めてから
多摩動物園へ通うようになったんです。
──
退職後に、動物園に。
望月
そう。多摩動物園ってな、すごいんだ。

写真の人なんかと話したら
1年のうち200日ぐらい来てんだよね。
写真、写しにさ。
──
動物の写真を撮りに?
望月
ゴリラならゴリラだけ、
ユキヒョウならユキヒョウだけを
ずーっと狙って、
1年中、写真を写してんですよ。
──
お好きなんですかね。
望月
まあ、好きっていうか、
写真集を出したりしてる人もいるけど
朝から来てさ、
動物が、10時半ごろまで動くんだよ。

で、昼になってやつらが寝ちゃうと、
人間も酒を飲んで‥‥。
──
やることなくなりますもんね(笑)。
望月
3時半くらいまで寝てるわけ、おたがい。
そのあと、
3時半から5時くらいまで動き出すから‥‥。
──
人間もまた撮影をはじめる、と。
望月
そうそう。その点、俺なんかはさ、
いちばん通ってたときでも
せいぜい、1年に30日くらいなもんだしさ。
──
それでも多いですよ(笑)。
望月
まあ、うちで寝転がってたって
ばあさんが「粗大ごみは困る」って言うし、
年間券だったら
1800円だかそれくらいで入れるから。

朝から晩まで、さ。
──
つまり動物の版画作品をつくるために
お仕事を退職したあと、
多摩動物園に通ってたってことですね。
望月
そうです。
──
版画をやりはじめたのも、退職後?
望月
そう。動物の前は、人間の顔をやったんだ。
12年くらい前に「人間の顔」だけをね。

それで、はじめての個展をやったんだけど。
──
顔。
望月
そう、そこらのばあさんのイヤな顔とか、
そこらの親父のイヤな顔とか、
道っぱたの酔っぱらいの、イヤな顔とか。
──
イヤな顔ばっかり‥‥。
望月
銀座の養清堂って画廊でやったんだけど、
1枚も売れなくてさ。

‥‥いや、1枚か2枚、誰かに売れたか。
──
売れたのは、誰の顔だったんですか?
望月
裸婦だったかな。
──
裸婦のイヤな顔‥‥。

そもそも望月さんって、引退される前は、
何のお仕事をされてたんですか?
望月
はじまりのはじまりは、
芹沢銈介(けいすけ)のとこに2年いて。
──
芹沢銈介さんと言うと、
柳宗悦さんの「民芸運動」で活躍した
静岡のほうに美術館もある、あの。
望月
そうそう、染色工芸のね。
川端康成の『雪国』の装丁とかもやってた。

最後の仕事を俺がやったりとか、
まあ、死ぬまで付き合ってたんだけど。
──
どういう人だったんですか。
望月
そうだねえ‥‥とあるね、
芹沢さんがデザインやった作品をさ、
俺がシルクで刷ったんだけど
朝の4時ごろに来て
「どうしても紙の色が気に食わねえ。
 また9時ごろ、
 車で取りにくるからなんとかしろ」
つうんだよね。
──
ええ‥‥朝の4時にですか。
望月
俺はね、その前にね、4日くらい
仕事で寝られなかったわけ、あんまり。
──
4日も。
望月
ま、それはいいんだけど‥‥。
──
いいんですか(笑)。
望月
もう徹夜も3日目だってときにね、
俺だって寝てえからさ
庭にホルマリン撒いといたんだよ。

ほれ、ホルマリン撒いときゃあさ、
目がヒリヒリ痛くて
芹沢さんも近寄れないだろうと思ってさ。
──
大丈夫ですか、それ(笑)。
望月
入ってこられないようにしたわけよ。
こっちだって寝たいから。
──
猛獣対策のようです。
望月
そういう人だったよ。

でね、やっぱりさ、わかったのは
人間、2日ぐらい徹夜しても大丈夫だけど
3日目以後はダメだよ。
──
そりゃそう‥‥いや、そう思いますよ。
でも、そういう結論ですか(笑)。
望月
いまでこそ芹沢銈介っていやあ偉い人だし、
美術館までできてるけど
そんなふうに
俺らとやってるころは、飯食えてなかった。

棟方志功だって
まだ、食えてなかったんじゃないかな、飯。
──
そういう時代だったんですね。

で、すみません、望月さんの「素性」が
まだわからないのですが、
その芹沢さんのところの2年のあとは?
望月
まあ、その後8年くらい遊んだんだけど、
最終的には、シルク屋だよね。
──
シルク屋というのは、シルク職人さん?
望月
そう、定年までの30年、
シルクでシャツなんかに手刷りしてたよ。


<つづきます>
2015-05-11-MON