MASUNO
このごろのもりまりこ

ちょっと見知った人たちと呑んだ帰り。
タクシーの車窓を飛び去るネオンの消えた景色を
眺めながらすこしだけ思い出すのは
その日たくさんことばを交わした人のことではなくって、
あまりことばを通わせられなかった人のことだったりする。

いつもわたしはその人と逢うと、ことばをなくしてしまう。
けっして、無口な人ではないけれど。
どちらかというと雄弁なんだろうと思う。
だからといって。
けっしてこちらが喋るきっかけを失ってしまうほど、
じぶんのことばかりをキャンペーンする人ではないから。
ことばをかわすきっかけは、あきれるぐらいあるのに。

その人はわたしと話してくれるとき、
とても短いことばで返事する。
愛想無しとかではなくて、そのいっこのことばの中に
もしかしたらすごい意味とか気配とかを孕んでいるのかも
しれないと思うぐらい、ぜんぜん違うベクトルをわたしに
差し向ける。
そのことばを受けて他の誰かが、リアクションすることは
多いけれど。
いまのってどういう意味だったんだろう?
という思いに包まれるときはもう、次の話題へと
リエゾンしてる。

わたしは何度か逢ううちに気付いたのだが、
その人は、喋っている時と黙っている時の振れ幅が広いと
いえばいいのか、とにかくそのコントラストがはっきり
しすぎてるのだ。
たとえば、黙って煙草を吸う時。
気が遠くなるほど細く長く、紫煙を吐く。
よく、駅のホームで見かける、せわしそうな一市民を
演出するかのように、一本の煙草を無駄にする吸い方では
なくて。
とにかく、1秒をすこしでも引きのばしてみせるみたいな
感じで、息を吐く。
そして、まわりの友人たちとはなんの関係もなかったかの
ように、ひそやかにそこにいる。
『いないみたいそこにいる』のがおそろしく上手な人だ。

そして。
ときおり、皮肉なのか慰めなのかわからないことばを
友人たちに饒舌に放つ。
かなわないなと思うぐらい理論的だから、わたしなんか
話についていけないことがよくあるのだけれど。
そんなときの彼は、大勢の人たちを前にして
たくさんのことばでじぶんを守っているみたいで、
わたしにはとても分厚い鎧が目に浮かぶ。
痛ましいなんて云ったらきっと軽蔑されるのだろうけれど
とてもつめたい鎧を感じてしまうのだ。

その日。
わたしは彼のカラのグラスに水割りを作って渡して
あげようとしたら、すこしだけ彼のひとつの指先と
触れてしまった。
もちろん故意でもなくって、偶然に。
そのときわたしが、驚いたのは指が触れたことなんかよりも
彼の指先が思いがけずとても熱かったこと。
難解なことばを身にまとっていたはずの
つめたくて重たい鎧とその彼の体温のアンバランスさに
すこしおろおろしてしまった。

彼はパソコンなんかは使わないし、今でも手書きで
文字を刻むらしい。
だからもちろんメールもやらない。
今思えば、指先が熱かったのはアルコールが入っていた
せいかもしれない。
でも、わたしはすこしだけ想像してみた。
あの熱い指先をいつもたずさえながら、からだの
まわりだけには遠さのようなものをまといながら、
文字を刻むところを。

途方もなくあなくろだった。

わたしはそんなみんなと呑んだ帰り。
ことばを交わせなかった彼のことばかりを、
思い出してしまうのだ。いつだって。

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2000-02-03-THU

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