きっとわたしは世の中のOLさんよりも、たぶん
おやじさんと呼称される人々に対してのストライク
ゾーンなるものが広いと思う。
つまり、『寛容なるこころ』を彼等に
抱いているんだと思う。
それはきっと、職場にはいつも女の人ばっかで、
卑弥呼みたいな人たちに囲まれて、仕事をした経験が
多いせいかもしれない。あまりおやじさんで腹下しを
したり、ジンマシン出したりといったそんな害とは
無縁できたせいだろう。
だから、たとえば、おやじさんがやたら発する駄洒落。
『おやじぎゃぐ』なんかに対しても、
いちいち目くじらたてない。
どちらかというと、日頃そんな単語を耳にしないせいか
時折聞くそれは、新鮮でさえある。
わたしが『永遠のパパ』のように思っているとある殿方も
とにかく、会話の隅々にまでそれを
差し挟むのがお好きな人で。
いつもわたしはそのK氏のそばで、たたみかけるように
連発されるおやじ系の駄洒落の麻酔を打たれながら、
もう中毒患者のようにへらへらしている。
でも、そんな人はわたしぐらいのもので。
まわりは免疫ができあがっているので、
そんなじゃんきーな輩はひとりもいない。
K氏はとにかく、反射神経でそれを飛ばすのだ。
ほんとうはわたしが笑っていようがいまいが関係ない。
そしてあたりまえのようにこの間きづいてしまったのだが、
そういう駄洒落は、熟考しちゃいけないのだ。
どうだ、このぎゃぐは。と、
腕組みしてまわりにこれみよがしにひけらかすだなんて
もってのほかだ。
しろうとの分際で、『すべる』だなんてこと発するのは、
なんだか下品だ。
そういうことはちゃんとお笑いの方々にお任せしなきゃ。
それがしろうとの領分であって。
ここいらで点数を稼ごうなどと、すけべこころを出すから
いのちもろともやられてしまうのだ。
その点、K氏はいさぎよい。
なにものぞんでいないもの。
わたしが笑おうが、沈黙していようが。
寿司に喰らいついていようが。
そんな凛としたところがわたしはだ〜いすきだ。
だからアラーキーのこともわたしは愛している。
まるでシャッターを切るように、たいせつなことを
おやじ色にからめて、話をつづける。
ハ行で高らかにわらいつづけながら、はにかみながら
それをする。
でも照れを俯瞰しそうになるといなや、
もひとつ大きなそれを塗りたぐるのだ。
もっとえっちな気分になりたいときに、
はぐらかされているみたいで
もっともっとわたしはアラ−キーがすきになる。
そしてもうひとり、わたしはそれを発する人をみっけた。
11年前のマンガのあとがきで、そのひとはじぶんの好きな
ものについて綴っている。
『キス』と『色えんぴつの削りかす』と『匂いたつ香草や
シソの葉っぱとミョウガ』に『コーヒーとタバコ』。
でついに云ってしまう。
『音楽』も大好きなんだけどもそんなの
『当たり前田のクラッカー』って。
もうわたしはくらくらした。
『あたし』が似合う女の人で、あんなに『おやじぎゃぐ』が
すんなり腑に落ちる人はいないなぁと。
あの無垢な勇気は断然可愛いと。
『当たり前田のクラッカー』。
何度つぶやいても、気が遠くなるほどそのことばは遥かだ。
もう2度ときけないから?
でも、もいっかい聞きたいし、読んでみたい。
彼女のそういうおやじくささまみれのことばを。
耳の中に棲みつくとそういうことばってのは、
ちょっと関係ない日常を送っているときにふいに
あらわれて、わたしを翻弄させるのだ。
笑いたいのに哀しいなんて。やなこった。
哀しくなりたくないのにそういうときにそれらは
たまらなく残酷なのだ。
たかが『ぎゃぐ』と『おやじ』が
かる〜く合体したにすぎないくせに。
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