MASUNO
このごろのもりまりこ

『ねぇ、お願いだからぜったい誰にも黙ってて!』
って云われて、
『うん、ぜったい誰にも話さないから』
って云ってんのに、
『もう、ほんとうにほんとうだよ、頼んだよ!』
って云われたときの
あのなんともいえない、嫌疑のかけられ方って
どうしようもなくさびしくなります。

わたしって信用ない?
そんなに口軽そう?
きっと彼女はたとえば
『クチさけても云わないから』とかいうコトバを
求めていたりするのでしょうか。
でも、ねぇ。ごめんなさ〜い。
口さけそうな状況になったらわたし云っちゃうと思う。
やっぱり、そこまでじぶんを犠牲にはできないです。

それにしても、相談事って。
立ち位置の問題なんでしょうね。
わたしだって彼女のポジションならめいっぱい
要求しちゃうんだと思います。

だって現に、わたしとその相談者の彼女との間には
なんの開きもないような気がしてます。
って、そんなことにからだの底から気づきはじめたのも
メールのやりとりやネットをはじめてからでしょうか。
じぶんがけっこう『しゃべり』だということ。
つまり誰かのコトバをとにかく欲しがってる人間なのだ
ということを知っちゃったというか。

あるときわたしに向かって、ある男のひとが
やむにやまれぬ状態のとき『寂しいの?』って
問いかけてきたことがあったんです。

そのとき、否定できないじぶんに気づいて、
そう、わたしは寂しかったんだ。
って感じたときはほんとうに驚きでした。
だってずっと飼いならしてきてましたから。
そんなの、ちょろいちょろいって。
なしくずし的にさびしいってことを処理できる自信に
満ちあふれていましたから。

だからこのごろは、もう『大丈夫!』ってコトバを
ちょうだいしますと、それを耳にしたら最後、
まるで犬の臭覚なみにそのあたりをかぎ回り、
その『大丈夫!』のつよさをもっと知りたくて
『ほんとうにほんとうに大丈夫なの?』って
たたみかけてしまうんです。
たとえば、『北の国から』の五郎さんの
イントネーションだったら、もういちころです。

あれです。きっと保険っていうか。
コトバの保険をいっぱいいっぱい掛けて
でも、掛け捨てじゃなくってよ。という状態。
それで安心したい。
だけど、安心しきってしまうことにも不安を感じていて。
ちょっと歯車があわないぐらいがいちばんここちよい。
とかなんとかいって、なだめすかしながらも心許ないんで
もひとつ保険を掛けてしまう。

だからぶっちゃけた話。
男の人と過ごしていても、ほんとうにほしいのは今のところ
せっくすとかではなくって。
コトバだけなのかもしれません。

この間、ダーリン様がわたしに投げかけてくださった、
『短歌という表現を選んだ動機』ってなんだろうと
ここんとこずっと考えていたのですが。
きっと、ひとつはじぶんにコトバの保険を掛けてるんだと。
まったくもって大雑把ですが。そんなこともひとつはあるの
かもしれないなぁと、湯舟ン中で思いました。さっき。
しか〜し。それってなんとも業の深い作業なんで、
なんだかんだ云ってもやめられなくって。
『締めきり』って物理的なものがないと短歌には
手をつけない人間だろうなぁなんてぼんやりと
想像していたのですが、
最近は締めきりないのについ、いたしてしまうってことは、
そういうことなのか!っと。
それもこれも『ほぼ日』とのつながり方がわたしに
およぼした作用のひとつで、それはそれはひとことで云って
とてつもなくしあわせな発見でした。

やっぱりつらいから(いっこ歌ができるたびに)
しあわせなんですね。
根っこはよわっちいなんてこと百も承知だから。
いつだって、うっかりすると誰彼に
よろよろしそうになるじぶんですから。
さびしいからしあわせなんですよね。

今日はけっこう今までになく裸になってしまいました。
また、とたんにぱんつを探しにゆくなんて図は
目に浮かんでいるのですが。

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    もりまりこの第一歌集
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  どうぞ、お手にとってくださいね!

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2000-02-08-TUE

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