<ついてるだけで、エライのかぁ?>
いつでしたか、母、いや知人がこう云った事を
思い出しました。
『ついてるだけで、エラそうにすんなって!』
と、確かに彼女はそうのたもうたのです。
ついてるだけで。
この意味にハハ〜んとわたしが把握できるまでには、
時間差が必要でした。
ついてるだけ。
つまり、母、いや知人が云いたかったこと。
それは殿方に対して放った、啖呵だったわけです。
もう皆様はおわかりですよね。
♂としておんぎゃ〜と生まれてしまったものの
宿命といいましょうか。
もれなくついてきてしまって、うれしいのやら
かなしいのやら本人は知る由もないもの。
親戚や知人は、産婦人科において、嫁が産んだその
孫のやや中心からずれたその在り処を確認すると、
彼等の顔がとりあえずほころんでしまうものというのか。
まぁその是非はともかく。
とにもかくにもそれのことです。
で、母はいや、知人は、
『それがちょっとぐらいついてるからって、
エラそうにしないでよねっ!!』と。
そのとき、わたしは中学生ぐらいでしたから、
照れも嫌悪も持ち合わせたらぶりーな女のコでしたが。
ちょっとその言葉はわたしを正直なところ惑わせた
というか、
妙に耳に残ったまんま放置されてしまった言葉として
今それが何かの拍子にぽろりとはみだしてきてしまった
みたいなんです。
母、いやもとい知人は、その捨て台詞をその場にいない
特定の誰かに差し向けていたみたいでした。
よくわかりませんが、ちょっと女性として不当だなぁと
感じてしまった出来事に出会ったのでしょう。
しかし、母、いいや知人が、何故その男性に対しての、
なんとなくエラソーな態度の所以を、『ついてる』
その一点集中で攻撃しようとしたのかは、わかんない
のですが。
もうその頃、わたしは、一瞬にして刷り込まれて
しまった方式っていうんですか。
<ついてる=エライ!>の法則。
みたいなものが単純に頭に浮かんだのでした。
地下鉄に乗ってるおじさんも。
学校の体育とかの男の先生も。
道ゆく人、人、人。みんながそう見えてくる訳で。
じゃあ、エライ会社の社長さんは、会社もエライのに
その人は男の人だから、ついてるわけで。
二重にえらいや〜ん。すっげ〜なんてことに
なっちゃわないかぁ〜と、思ったか思わないかは
むかしのわたしに聞いてみることにして。
まあ仮に『ついていて』、『エライ』と思っていたので
あればですよ。
誰が?誰がって、母いんや知人がですよ。
できうるものならつけてみたいと思っていたのか。
こわ〜い謎です。
でも、着脱可能ならいちどは試してみたいと思う
女の人って、どれくらいいるんでしょうか。
親指Pの世界っていうんでしょうか。
『ほぼ日読者の女子のみなさま』はつけてみたいですか?
つけたくなる理由その1。
仮に考えてみますと、ついてるだけで、なんかあの人たち
おトクよね〜。だとか、うっらやましぃ。
って思った経験が無いとね、わざわざねぇ。
わたし?
まああの頃は、ともかく。今はね〜。
別に♂がお持ちのついてるものにおいて、どなたかに
損得感情が無性にはたらいたりした、際立った経験が
ないんで。
まぁ、可も無く不可も無くっていうんですか。
ただ、あれさえついてなきゃいい人なのにねぇ〜。
そうだよねぇ〜。惜しいよねぇ〜っていう人なら
少しばかしいらっしゃったようないなかったような。
でも、たとえついてたばっかしに的な何かが起ったとしても
それはまぁその人も好き好んで男子にお生まれになった、
わけじゃなし。
しゃーないしゃーない、どんまいどんまい。
じゃ逆に『ほぼ日読者の男子のみなさま』は、
たまに外せるもんなら外したくなったりすることってのは
あるんでしょうか。
今日はいらんなぁとか、なんかじゃまやなぁとか。
ということで。
ついていない人がついている人になんらかの告白をする日と、
よのなか的にはなっている『hぁれんたいん・でー』。
ついてる人もついてない人も、みなみなさまに幸多かれ。
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もりまりこの第一歌集『ゼロ・ゼロ・ゼロ』の
(フーコー/星雲社)
ブックでザインをてがけてくださった
立花文穂さんの個展『体からだ』が、
表参道の『ア−トショップナディッフ』
(03-3403-8814)
にて開催されています。(〜2.28)
なお、開催中は歌集も同時販売されています。
みなさまお誘いあわせの上、どうぞお越し
くださいませ。
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