<ハルさんのひまわり>
日曜の午後、宅急便がとどいた。
差出人の欄の名前にも見覚えがなく、
部屋に戻って、伝票をよくみると、
宛先の住所はまちがっていないのに
そのなまえの欄はもういまは共に暮らしていない
おとこのフルネームが記されていた。
受取人はたしかにここにいない。
かといって、おとこの居場所をしらない。
いや、しっているのだが、とうていわたしのいまの
ちからではそこへ届けものを送り返すことなど
できやしない。
赤すぎる<なまもの>・<こわれもの>のシールも
わたしを責め立てるので、しかたなく包みをあけた。
新聞紙に包まれたごとりと重たさを感じる
その荷物の中身は、分厚いガラスビンに閉じ込められた
きいろくて、まるい、たべものだった。
黄金色とは、きっとこのことをいうのかもしれないと
きづかせてくれるぐらい、とろりとしたはちみつの海に
しずむ、くすんだきいろいきんかんが、つけてあった。
もういちど、差出人の名を確かめると、カタカナで
<ハル>と読める。たぶんあのおとこに世話になった
<ハル>という名の老婆が、つけこんだものなのだろう。
いままでにも幾度となくそんな品物が届けられ、
ふたりきりの食卓をかざることがしばしばあった。
しめった新聞紙とその包みを捨てようとしたとき。
指にひっかかるものを感じて、摘んでみると。
それは幾粒かの<ひまわりの種>だった。
思いがけない場所で事故のようにむかし好きだった
男と出合い頭してしまったかのように、わたしは
その種を掌のうえであそばせていた。
そして包みを捨てるのもなぜかためらわれて
見知らぬ土地に毎日のように届くであろう
その地方新聞をめくっていた。
なじみのない新聞は、どこかよそよそしくて
落ち着かないものだ。もう読むのはやめにしようとした
そのとき、わたしの目にはある文字が飛び込んで来た。
漢字で<向日葵>と書かれている。
偶然にであい、すこしだけわけもなく希望を感じてしまい、
その記事を目で追った。
それはいわゆるガーデニングがどうのこうのといった
花の育て方などのノウハウが記されているのではなく
どうやら人の名前らしかった。
読者の投稿コーナーのようなちっちゃな欄で。
孫ができたのでそのおんなのこに<向日葵>とつけた。
ただそれだけのことが、やさしい年輩女性の視線で
書かれていた。
<向日葵>とかいて、<ひまり>とるびがふられて。
それにしても<ハル>さんは、どうぞ育ててみてくださいと
あの種を包んでくれたんだろうか。
そして、新聞のなかに<向日葵>の記事が載っている
ことにきづいて、うれしくなってそのページにそっと
種を隠してくれていたんだろうか。
なんだか謎が舞い降りてきた午後だった。
でも断言できる。<ハル>さん。
あのおとこは、向日葵の花咲かせられなかったと思います。
じぶんがだれよりもだいすきだからなにかや
だれかを育てれる
よゆうもなかったんですよ。
だからあんなに誰の手も届かない遠いところに
行ってしまったんですよ。
わたしは床にしゃがんだままの形でくしゃくしゃに
なっていたスカートの裾を直しながら
あれからずっと考えていたこどもの名前は<ひまり>に
しようと思い、ゆっくりと立ち上がった。
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