80's
80代からのインターネット入門。
前橋の母Aが、Eメールで原稿を
送ってくるまでの物語。

最終章 そして卒業か (1)

インターネットはむつかしい、
という声がよく聞こえてくる。
それに対して、ぼく自身が、
「ぼくだってやっているくらいだから、
ちっとも難しいものじゃないですよ」と言っても、
なかなか素直に聞いてもらえない。

だったら、と思って考えたのが、
80歳の、自分の母親にiMacをプレゼントして、
ネットもメールも「いろはの い」から
やってみてもらったら、簡単だということが
わかるだろうという少々乱暴なプランだった。

ずっと初めから読んでいる方はわかっていると思うけど、
そんな連載も、考えてみればもう目的を達成していて、
ミーちゃんの日記は、なにげなくメールで送信されてきて
当然のように連載されている。

こんど、この連載をまとめて単行本というかたちにして、
インターネットに触ってない人たちに
読んでもらおうということになって、
いちど、そのために区切りをつけることになった。
「80代からのインターネット入門」
というタイトルとしては、今回が最終章になる。

長いようで短かった半年だったけれど、
記念すべき2000年の初頭に、毎日連載で、
最後のレッスンをお届けします。

さぁ、ひさびさに登場の南波あつこ先生、
脱線・寄り道しながら、よろしくお願いします。


いつのまにかまた季節が変わっていた。
私の車も変わっていた。

届いてまだ間もない赤い車のエンジンをかける。
また教習所で一からやり直しさせられるような感覚。

Macユーザーにある日突然Windowsマシンが与えられた
ようなものだろうか。
いや、WindowsがMacに変わったようなものだろうか。
それとも、そろばんが電子計算機に?

マニュアルトランスミッションからオートマへ。
意識の中の風景も、F1サーキットから児童遊園地へ?
手が勝手にシフトレバーをタッチしに行ってしまう。

左足は使わない、使わない・・・呪文のように唱える。
左足でクラッチ気分のままブレーキを踏むと大変だ。
私は以前慣れないオートマでそれをやり、不本意な
カックンカックンを繰り返し、100メートル移動する
のに一年分の冷や汗をかいた。
「このブレーキは壊れてる!微調節不可能」
微調節不可能だったのは実は私の左足の方であった。
マウスを左手で操作するようなものだ。

そして、左ハンドルが右ハンドルに変わるということは
パソコン画面の左右が逆に表示されているかのような
違和感がある。
左上隅のリンゴマークが右上隅にあったら・・・
考えただけでセーターを後ろ前に着てるような居心地の
悪さを感じる。
そんな居心地の悪さだけならいいのだが、なにしろ車は
命がかかってくる。
つくづくセーターもパソコンも安全な品だと実感する。

さて、その危険を伴う違和感マシンをどうにか公道に乗せ、
行き着く先は、そう、初冬のミーちゃん。

戦場からの緊張感をほぐしてくれるかのようなその笑顔。
カナダ旅行の余韻に浸る色合いと、そして早くも次なる
「エサ」を求める輝きがブレンドされ、イキイキとした
色気を醸し出している。

「赤福をお持ちいたしました〜」
そう、今回はレッスンというより、赤福配達という
目的をもっての訪問であった。
「主人が鈴鹿に行ってきましたので。あ、私、電話で
もしや『おたふく』なんて言いませんでしたか?」
「腐らないうちに何やらを持ってきてくださるようだって
いうのはわかったけど、まぁ、赤福だったのね〜!」

そして、もう一つの目的。カナダのお土産話の拝聴。
写真。カナダの大自然に溶け込むミーちゃん。
「エサ」のまっただ中。かっこいい。
日本に置いてきたiMac坊やのことを思い出すような
余裕もないくらいカナダの秋に彩られてらっしゃる。
だが、この紅葉を目にすれば嫌でも坊やを・・・?
タンジェリンは秋の色〜。

実のところ、この日、私の母が一足先にお邪魔していた。
私が到着した頃にはもうすっかりミーちゃんに魅了され、
目を輝かせている。
「すごいですよねー、コンピュータなんて私なんか
まったく訳わからくて。お若くて素敵ですねー!」

自分の日常というものがするりと引き出しの中に
もぐり込んでしまうような、ここはそんな魔力のある空間
なのである。
「せちがらい世の中にタメイキをついている方に是非
おすすめしたいスポットだ」
そんな文章とともにタウン誌に紹介したくなる。

母は「今度、フルートを持ってきますね」
そう言って後ろ髪を引かれながら一足先に帰っていった。
ちょっと笑えた。
発表会では緊張して思うように吹けないフルートも
ここでなら快く聞いてもらえるとでも感じたのだろうか。
シンプルテキストでそれを録音し、繰り返しミーちゃんに
鑑賞していただこうか。いわゆる「いい迷惑」。
あ、12秒までしか録音できない。ちょっと安心。

夕暮れ間近。
ミーちゃん宅でのゆったりと楽しい心の休息の後、
さすがにこれだけは・・・。
「何かiMacでお困りのことはありますか?」


(明日につづく)

さらに、ミーちゃんの日記があります。


12月2日(木)PM3・30室温18c--湿度69%(スト-ブあり)
 今朝から「豆炭炬燵」を始めた。
(電気のやぐら炬燵と同じ形式)
20年前から初めこれが2代目。
やぐらの下に豆炭9ケ入る石綿を敷いたケ-スが有り,
それを出し入れする。
9ケのうち朝・夜豆炭3ケづつ取り替えれば
一冬中毎日24時間ポカポカ・・・。
これが始まると私の仕事が毎日2回増える事になる。
(朝9時・夜9時)と。  
今日はお仕事の日。
クリスマスを控えて,何時もと違う仕事もあり又楽しい。
夜はオランダ出身のピ--タ--・ウィスペルウェイ
チェロの演奏会にバスで出かけた。
バッハの無伴奏チェロ組曲を2時間近く一人で聴かせた。
客席は,水を打った様になり熱演に感動していた。
私は「洋楽」などわからないのですが,
唯うっとりしてしっまった。
kuさん夫妻と一緒になり帰りは車で送ってもらい
「広瀬川」ほとりの「萩原朔太郎記念館」近くの
豆電球をちりばめたのや,
低い「滝」のライトアップしている所を廻ってもらい
気分上々で帰り本当に幸せな1日でした。
 
12月3日(金)PM3・30室温18c--湿度55%(スト-ブあり)

薄日の静かな寒い日。何となく1日終りそうな気がする。
『ほぼ日』の80代からが
新しい所になったので印刷をした。
最近の5回位は私が「印刷」していますが,
その前は「80代」の初めから
石野さんが「印刷」して持って来てくれたのですが
最初のペイジから日記の終わりのペイジまで
毎日大体3枚でしたが,もう300枚です。
よたよたながら随分溜まりましたね。
何年か経って見たら可笑しいでしょう。

12月4日(土)PM3・30室温17c--湿度57%

日記を『ほぼ日』へ11/10まで送ってあるので
其の後どうするかな--と考えていたが,
もう少し送る事にした。
毎日平凡な日ばかりで面白く無いが・・・。
ところが11/11〜11/14の1枚が,
完全に消えているのだ!!!
「幼稚園生」の私の仕業に違い無い。
少し謙虚に成って来た。
成長したのかしら?
今まではimac君のせいにして
私は何にもしないのに--と。
とにかく消えた4日間は平凡な日ばかりで
何も思い出せないので止めるより仕方ない。
さて「埋蔵金」の話が,
『ほぼ日』でも大分盛り上がって居る様ですね。
私もあの頃夢中で見ていたのが
思い出されてワクワク・・・する。
20世紀〜21世紀を跨いで楽しいな--。

2000-01-01-SAT

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