某日。
東京糸井重里事務所の新オフィスの内装を手がける
飯島直樹デザイン室の社長、飯島直樹は
持参した包みをゆっくりと開いた。
引っ越し大臣、中林が息を飲む。
そこには、新しい職場が
何分の一かのスケールで再現されていた。
「これが、新しいオフィスです」



「おーーーーーーーーっ!」

そこには見事にデザインされたフロアーの姿があった。
モックアップを見ながら、
中林は、自分たちが飯島にお願いした
いくつものリクエストを思い出していた。

「現在の事務所で使っている
 机や棚などは持ち込んでそのまま使いたい。
 多少使い方を変えることはあっても
 ほとんどの家具を使うようにしてほしい」

「現在の社員数、30名弱でも有効活用でき、
 人が増えても大きなレイアウト変更なく
 対応できるようにしてほしい」

「ビルのもともとの持ち味である
 『陽当たりのよさ』を活かしたい。
 さらに、随所に緑を加えて
 『自然』を感じる環境にしたい」

モックアップにはそれらがきちんと盛り込まれていた。
「‥‥採光はこちらから。ここの仕切りは‥‥」
精巧なモックアップを前に、飯島の説明が続く。



図面とモックアップを見ているうちに、
中林の意識は、しばし未来へ飛んだ。
青山では、どのような日々が待っているのだろうか‥‥。
どのような企画がかたちになっていくのだろう‥‥。
来て下さったお客さんはここに座るのだろうか‥‥。
内部の打ち合わせはここで‥‥。
そしてお昼がきたら、あの店でランチを食べよう‥‥。
ついであの店をのぞいちゃったりなんかして‥‥。
あと、帰りにあそこに寄って、ついでに‥‥。

「‥‥さん、‥‥ばやしさん、中林さん?」
「はっ、はい、すいません!」

ランチタイムにアラビアータを食べたあと、
デザートをシフォンケーキにしようか
モンブランにしようか悩み続けるという
白昼夢を見ていた中林は、
打ち合わせに同席した総務の元木の声で我に返った。

「飯島さんが、質問してらっしゃいますよ?」
「あっ、すいません!
 なんでしたっけ? シフォンケーキ?」
「シフォンケーキじゃなくて、家具ですよ、家具」
「‥‥家具?」
「いまよりずっと広くなるんですから、
 家具も増やさなきゃいけませんよ。
 とくに会議室のイスです。
 立ったまま会議をするつもりですか?」

──家具! イス!



「忘れてた‥‥」
「イスだけじゃありませんよ。
 机、棚、照明、テレビ‥‥」
まだまだ問題は山積していた。
中林は深々とため息をついた。
シフォンケーキと紅茶のことは
とうに頭からかき消えていた。




糸井重里は苦悩していた。
むろん、事務所移転についてのことである。
ソファに深々と身を埋め、
彼はただひとつの答えを求めていた。

──新しい事務所の、シンボルになるものがほしい。

「いい会社」の方向性を示すようなシンボル。
新しい事務所のなかにあって、
違う時間を感じさせるようなもの。
雑談を含めた社員どうしのコミュニケーションを
より活性化させるようなもの‥‥。
あらたまったものでなく、
もっとゆったりとしたなにか‥‥。

そのとき、糸井重里の目に虹が見えた。
虹の中に浮かぶ天使は中空へ向かって矢を放ち、
その矢は彼の頭上に
いつの間にか浮かんでいた
黄金色のくす玉の中央にぷすりと刺さった。
パカッと割れて舞い降りる紙吹雪。
飛び立つ純白の鳩。鳴り響くファンファーレ。
つまり、糸井重里はひらめいたのだ。
彼は立ち上がり、
浴場から走り出すアルキメデスのように叫んだ。

「ベンチだ、ベンチだ! ベンチをつくろう!」

その声は魚籃坂に響き渡り、
パトロール中のお巡りさんが
なにごとか、と明るいビルを見上げるほどだったという。


夕暮れ迫る街を、中林は走っていた。
うしろからは総務の元木が追いかけていた。
ふたりは、家具屋をめぐっていた。

「イス! テーブル! 棚!」

中林の目は血走っていた。

「イス!」



「テーブル!」



「棚!」



「イス!」



「テーブル!」



「イスとテーブル!」



「ねえ、モッキー‥‥」
「なんですか、中林さん」
「11万円のテーブルが20パーセント引きで
 8万8千円って、安いのかなあ‥‥」
「もうよくわかんなくなってきましたねえ」

いろんな感覚を麻痺させながら、
ふたりはさまざまなイスに座り、
テーブルの天板を撫で、
棚の扉を開け閉めするのであった‥‥。

(つづく‥‥)

2005-11-11-FRI

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