「これまで歴史小説はあまり読んでこなかった」
という人に向けて、
直木賞作家の今村翔吾さんに、
歴史小説のススメというテーマで
授業をしてもらいました。
今村さん自身、
小学生のときに『真田太平記』に出会って以来、
歴史小説の大ファン。
池波正太郎さんに憧れていた中学生だったとか。
歴史小説に対して興味があるけれど、
これまで読んでこなかったあなたの
背中を押してもらえる授業です。
(ほぼ日の學校での公開授業の様子をお届けします)

>今村翔吾さんプロフィール

今村翔吾(いまむらしょうご)

1984年、京都府生まれ。ダンスインストラクター、
作曲家、守山市での埋蔵文化財調査員を経て、
専業作家になる。
2022年 『塞王の楯』で第166回直木三十五賞受賞。
2024年10月に石田三成が主人公の『五葉のまつり』
(新潮社)を刊行する。
書店経営者としての顔もあり、
2021年には大阪府箕面市にある
書店「きのしたブックセンター」を
事業承継した。
2023年12月にJR佐賀駅に「佐賀之書店」をオープン。
そして2024年4月には東京・神保町に、
店内の本棚を作家や企業などに貸し出し、
借り主が選んだ本を販売する
シェア型書店「ほんまる」を開いた。
また同年、経済産業省の大臣と
書店振興プロジェクトチームを発足し、
減少が進む全国の書店の支援策に奔走している。

この対談の動画は「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

前へ目次ページへ次へ

第4回 信長の年表と自分を比べる

今村
実は、ぼくの人生にはロールモデルがいまして、
それは織田信長です。
信長のように50歳ぐらいで死ぬことを想定して
日々生きているんです。
でも別に、比叡山を焼こうとは思いませんよ(笑)。
さて、信長といえば、「人間五十年〜」と謡いながら
舞う姿をイメージされる人もいるかもしれません。
「人間五十年」の「人間」は「じんかん」ですが
「にんげん」とも読めることから、
「人間五十年」、そして「人生五十年」と解釈する人もいます。
実際、信長は、本能寺の変で49歳に自害するわけです。
早く亡くなったと思いますか?
でもね、そのころの平均寿命は50歳くらいだったんです。
当時は、長生きをしている人もいます。
ぼくの大好きな真田信之(幸村の兄)は93歳まで生きましたが、
片や10歳まで生きられない子どもたちがたくさんいて、
平均寿命を下げていた。

今村
いまでいえば考えられないかもしれないけど、
盲腸で死ぬ人もいたんです。
武将の中にも盲腸で死んだと思われる人は何人もいて、
盲腸の致死率はかなり高かった。
いまなら盲腸になっても「早めに手術したら」で済むけど、
医療技術が発達していなかった昔は
「盲腸になったら終わり」という感覚だったと思うんです。
虫歯でも死んでいたと思います。
昔の人が年齢の割に落ち着いているというか
なんであんなに落ち着いて
考えを吟味していたかというと、
死への距離感が昔といまとは全く違うからだと思うんです。
その距離感の差が見事に表れたのが、
2020年から始まったコロナ禍でしたね。
いい悪いは別にして、
江戸時代の人だったら新型コロナウイルスで
それほど騒いでいなかったのでは、と思います。
日本人は平安時代だと天然痘、江戸時代はコレラ菌など
それなりの感染症に対応してきたわけですが
令和のコロナ禍は、日本史上おそらくもっとも
疾病にハレーションを起こしたと思います。
いま思えば、人間は死ぬという当たり前のことを、
ぼくも含めて忘れている人が多いと思うんです。
対して、江戸時代や戦国時代の人は
疾病が流行っても落ち着いていた。
なぜならば、単純に「明日死ぬかもしれない」
という思いが常にあったからだと思います。
これはいろんな書物に書かれているんですが
当時の武士は、頭にでっかい岩がぶら下がっていて
そのぶら下げているひもが切れて、
いつ岩が頭に落ちてくるかわからん、という緊張感の中で
生きていたそうなんです。
つまりいつ死ぬかわからないという状態です。
いまの時代、そこまでの緊張感を持つ必要はないけれど
だれだっていつ交通事故に遭うかわからないし
明日何があるかわからない。

あと10年で
何をできるか?
今村
ぼくは
今日もここまで来るタクシーの中でも原稿を書いてたし、
この控室でも原稿を書いていたんですね。
「今村先生いろんなことをやってるな」とか
「よう頑張らはって、そんな生き急いでるな」と思う人が
いるかもしれない。
けれど、それは50歳で死ぬという
仮定をしているからです。
今年、不惑の40歳になったところです。
そうすると、あと10年しかないわけです。
残り10年間でやれることを考えて
1年間でやることを逆算しています。
そのやることをこの1年で達成しなかったら
50歳までに達成できないかもしれないという焦りもある。
実際には、45歳で死ぬ可能性だってあります。
一方で、銀座で元気に飲み歩いている
先輩作家さんもいます。
「そこまで寿命が延びたらラッキー」と思いますけど、
じゃあもし、60歳ぐらいまで生きられたとしたら
いま、何をするべきか?と考えることもあります。
人間の能力の差は
それほど変わらない
今村
自分がこういう考え方になったのって、
歴史小説・時代小説の影響が大きいと思います。
ぼくは、かつて坂本龍馬をロールモデルにしていたので、
龍馬の死亡年齢33歳を過ぎてしまったとき、
すごいショックでした。
北畠顕家なんかロールモデルにしちゃえば、
23歳ぐらいで亡くなっちゃってるわけですよ。
「自分は○○と比べてそこまですごい能力はないから」
と謙遜する人も出てくるかもしれません。
だけどいろんな歴史上の人物を見たときに、
その人物がすごい才能があったかといえば、
そうでもない気がしています。
本来、人間の能力差なんてそれほど変わらないはずですよ。
みんなそれぞれが目標があって、
目標に向けて努力してきたから
結果的に歴史に名を残すようになったと思うんです。
歴史上の人物の中からロールモデルを見つけて
それを目指すという方法は、励みになる。
だからぼくは、信長の年表と競争していたり
武田信玄の年表と競争しているんです。
「33歳で尾張を統一できてへんかったら
さすがに天下統一は無理やろ」みたいに。
今年、ぼくは40歳になった。
信長は何してた頃やろう?
そう思って年表を見たら、信長は安土城を築き始めたりして、
天下布武に向けて動き出したタイミングなんですよ。
じゃあ、武田信玄は40歳で何してた?
信玄は、40歳の時、川中島で上杉謙信と戦っとるやないか。
それに比べて、
自分は「まだまだやな」、「頑張らなあかんな」、と。
そうやって折を見て、過去の偉人の年表を確認して
自分を奮い立たせています。

今村
作家として、心技体、
つまりココロ、ワザ、体力が
整うのは45歳。
いま40歳だから残り5年。
ここから、ぼくはピークを迎えると思っています。
いちばんおもろいものが書けるという自信はあります。
この出版界は読者も編集者も、
司馬遼太郎先生が基準になっている。
ぼくはね、勝てるか別にして
「司馬遼太郎先生に挑む」のを
残りの作家の人生の目標にしたいなと思っています。
「お前なんか勝てないわ」と罵られるかもしれないけど、
別の人が乗り越えていてくれたらいいと思ってるんです。
全力真っ正面から挑みます。
司馬先生の代表作といえば、『龍馬がゆく』だから、
坂本龍馬を45歳から書こうかなと思っていて、
それも、『龍馬がゆく』と同じ巻数で狙って書いて、
真っ向勝負をやろう、と思っています。
司馬先生は本を書くために
神保町でトラック一台分の資料を取り寄せたという
「資料の鬼」として有名です。
司馬先生が「資料の鬼」なら
ぼくは「経験の鬼」として戦おうと思っているんですよ。
どんな経験かって?
いまぼくがやっていること、これからやろうとしていること
このあと話したいと思っています。

(つづきます)

2024-12-15-SUN

前へ目次ページへ次へ
  • 桜田容子/ライティング

    今村翔吾さんご出演のYouTubeはこちら