KARMAN LINE(カーマンライン)、
という小さなブランドがあります。
デザイナーの板井美紀さんと素材のプロの玉井綾子さん、
創業からずっと、ふたりだけでチームを組み、続けてきた、
靴下のブランドです。
「weeksdays」と出会ったのが、ちょうど1年前のこと。
この秋、一緒につくったタイツをお披露目するにあたり、
ふたりのことをもっと知りたくて、
伊藤まさこさんがインタビューをしました。
前を向いてぐんぐん歩く女性ふたりのものがたり、
前後編、2回でおとどけします。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/prof_itai.jpg)
板井美紀
兵庫県出身。
中学生の頃からデザイナーを志し、
ファッション系の大学を卒業後、
アパレルでの販売員を経て転職、
アパレルの営業職に就く。
担当するブランドの休止にともない、
社内で靴下のブランドを立ち上げる。
2014年に独立、玉井さんを誘い、
カーマンラインを立ち上げる。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/prof_tamai.jpg)
玉井綾子
大阪府出身。
大学卒業後、靴下やニットの糸を扱う繊維商社に就職、
全国の靴下工場に糸を販売する営業を担当。
その職人さんから紹介されたのが板井さんだった。
板井さんの独立にともない繊維商社を退職、
カーマンライン設立に参加。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/pfof_karmanline.jpg)
カーマンライン(Kármán line)は、
宇宙と地球の境界線のこと。
海抜高度100kmに引かれた仮想のラインで、
このラインを超えた先が宇宙、内側は地球の大気圏だと
国際航空連盟によって定められている。
「2人とも空が好きで、宇宙が好きなんです。
靴下ってすごくたくさんの工程があって、
携わる人もたくさんいる。
それをつながりとして、
更にお客さんにもつながっていって、
そのお客さんが穿いて、誰かにあげたいなとか、
私たちの見えない部分にも
無限に広がっていって欲しいという思いで、つけました。
靴下だけじゃなく、幸せなこととか、
誰かと出会えたりとかということが、
ずっとつながっていったらいいな、
星の数ほどあったらいいなって」(板井さん談)
前編靴下がつくりたい。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/O72A1300-1400x933.jpg)
- 伊藤
- カーマンラインを知るきっかけは、
梅田阪急の『生活のたのしみ展』に
おふたりが来てくださったことでした。
製品サンプルをお預かりして、
さっそく使ってみたんです。
それはウールのタイツとソックスだったんですが、
すごく「しっくりくる!」と思って。
- 玉井
- ありがとうございます。
伊藤さんが似合いそうなものを
いくつか選んでお届けしたんです。
- 伊藤
- 袋に入っていて、
「かわいいな」ということも含めて、
「しっくり」来たんですよ。
製品はいいのに、包装が残念とか、
そういうものが世の中には多いなか、
こまやかな部分までブランドの筋が通っていて、
いいなぁ、と思ったんです。
それでおふたりが大阪から東京にいらっしゃるときに、
あらためてお目にかかって。
それで「こんなものがつくれたらうれしい」
ということをお話ししましたね。
それから1年、こうしてコラボレーションした
製品ができあがりました。
ありがとうございます。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/MG_1771.jpg)
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/MG_1695.jpg)
- 板井
- 私たちも、とても嬉しいです。
- 伊藤
- そもそも、なぜ、靴下を、
この2人でつくろうと思ったんですか?
きょうは、そんなことをお聞きしたくて。
- 板井
- 私は、小さい頃からデザイナーになりたいという
夢があったんですけど、
そういうふうに夢に描くのは「洋服」ですよね。
それでそういう学校に入学して、
在学時も含めて、洋服の販売員を5年ほどしました。
販売を卒業する気持ちが整い、退職後に企画の仕事を探し、
大阪のメーカーに就職をしたんですが、
デザインというのは経験がないと難しいということで、
営業に配属になったんです。
ところが、その担当した洋服のブランドが休むことになり、
デザイナーも辞めるという話になって。
そのとき、社長から一回考えてと言われ、
自分を見つめ直したんです。
そこで思ったのは、自分自身、背が高くないこともあって、
小物でファッションを楽しんできたということに
気がついたんです。
- 伊藤
- 身長、お幾つですか。
- 板井
- 150センチぐらいなんですよ。
だからどうも合う洋服がなくて。
- 玉井
- しかも、華奢ですしね。
- 板井
- だから帽子だったり、靴下だったり、
アクセサリーに魅かれるんだと思います。
ちょうどそこのメーカーのお客さんたちからも
靴下を作って欲しいという声を聞いていたので、
自由な気風の会社だったこともあり、
靴下のブランドを立ち上げさせてくださいと、
社長に直談判したんです。
- 伊藤
- ん!!! すごい。
- 板井
- それでOKが出て、
「やりたいんだったら一緒に頑張ろう!」と。
社内でも初めてのことだったので、
社長が一緒に工場を探してくれたりして。
- 伊藤
- ほんとうに、いちからのスタートだったんですね。
- 板井
- そうなんです。会社のある大阪から、
靴下の産地である奈良に足を運んで
工場を探す、というところから始めました。
私も経験がなかったので、
靴下の世界は知らないことばかり。
年配のベテランの男性の職人さんたちに
素材のことやつくりかたを聞く、
ということからでした。
- 伊藤
- 飛び込みで行っても、
皆さん快く話を聞いてくださったんですか。
- 板井
- はい。まずは電話をして、
「お願いします。こういうことをしたいんです」と。
工場によっては、ちょうど世代が変わり、
息子さんが継ぐっていうタイミングでもあったりして、
職人さんについて頑張ってる息子さんがいたりとか。
そんななか、引き受けてくれる方があらわれて。
- 伊藤
- 先方もあたらしいことを始める時期で、
面白そうだな、と思われたんですね。
- 板井
- そうかもしれないですね。
そんなふうに少しずつ取組先を増やしていって、
型数も増えていきました。
やっぱりそれぞれの工場でこれが強いとか、
これが特徴ということもあるので、
そういうのでまた違うものをつくることができて。
そうするうちに、素材に興味があった私に、
糸の会社の詳しい人を、と、
紹介してくださった職人さんがいたんです。
その糸の会社の人というのが、
のちにいっしょに「カーマンライン」を
立ち上げることになる、玉井だったんです。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/MG_1162.jpg)
- 伊藤
- そんなご縁が!
- 板井
- はい。まず、この業界に
女性がいるということが私は新鮮でした。
- 玉井
- なかなか、いないんですよ。
- 伊藤
- ええっ? 女性が穿くものをつくるのに。
- 玉井
- そうなんですけど、
素材メーカーや工場って男性ばっかりなんです。
そこで私は珍しい女性の営業で、
靴下の職人さんに糸を売る仕事をしていたんですね。
- 板井
- いっぽうで、靴下工場のおじさんたちは、
私に言うんです、
素材のプロから直接話を訊いた方がいいよと。
新しい糸とかも全部教えてもらえるよ、と。
- 玉井
- 素材メーカーの営業は、
職人さんと話すことが多くても、
デザイナーやアパレルの方とつながることは
あんまり多くないんですよ。
それで板井と知りあって。
- 伊藤
- 職人さんをはさんで、
伝言ゲームみたいになってたんですね。
- 玉井
- そうなんです。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/MG_1163.jpg)
- 伊藤
- 板井さんは、つくりたい靴下があって、
それを実現できる工場や素材を探す、
という感じでしたか?
- 板井
- そうですね。
そのメーカーの洋服を着る人が穿くテイストの靴下、
ということでもありましたし、
私自身、コンセプトを考えることも好きで、
ちょっと言葉を添えたものづくりをしていました。
春夏秋冬、年に4回の展示会があり、
毎回がほとんど新作でしたが、
たとえばシーズン毎に「世界の国」をテーマにして
観光地や建物をイメージした柄をつくったり。
- 伊藤
- アパレルでの靴下づくりは、
何年のことですか。
- 板井
- 2008年頃のことです。
そちらで6年ほどお世話になって
2014年に独立をしました。
- 伊藤
- 独立したきっかけは何だったんですか。
- 板井
- その会社の仕事も、とても楽しかったんですね。
がむしゃらにつくっていて、
知識を得ることもたくさんあって。
ただ、新しいものばっかりつくっているので、
お客様のところに届いたあとのことが、
わからなくなってきたんです。
その後どう変化していくんだろうとか、
どう洗ってあげたらいいとか。
私が接するのは卸先のかたがたなので、
ものづくりの想いは伝えられるんですけど、
どういう方が穿いているのか、
リアルなお客様はどんな気持ちなのか、
わからなかった。
それで、ちょうど玉井と会って、
彼女の知り合いのカフェで
直接の販売をさせて頂くことになったんですよ。
それで週末、自分が接客して
売るということをしてみました。
そこでお客様に直接ふれたことで、
「もっと直接伝えたい」という気持ちが
すごく大きくなっていきました。
自分の中では「ものづくり」をしていたつもりでしたが、
ここで一回立ち止まって、振り返りたいなと。
- 伊藤
- うん、うん。
- 板井
- 私も30歳になり、気持ちの変化もあって、
洋服もちょっとテイストが変わってきた。
仕事でも、どんどんあたらしいデザインを
つくるというよりも、
定番をつくり、それをアップデートしていく、
そういう愛されるものづくりをしたいなと思ったんです。
それで会社に「新しいことをしたい」と
退職の意向を伝えました。
ちょうどそのタイミングで
社内でやりたいという人が現れ、
3人が引き継いでくれことになったので、
これまでの仕事を引き継いで、独立をしたんです。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/MG_1172.jpg)
- 伊藤
- その会社にいて培った人脈や
工場のつながりなどを
「置いていくように」ってならなかった?
- 板井
- はい。何も言われなかったです。
若い頃、販売員を辞めたときみたいに、
私には前に進みたいという気持ちがあって、
それを理解していただきました。
- 伊藤
- じゃあ、つながりをそのまま持って、
知り合った皆さんとも引き続き仕事ができる体制で。
- 板井
- そうですね。
引き続きお付き合いいただいている工場もあります。
もちろん新しい試みもあったので、
自分たちで新しい工場を開拓したり、
思いもしないタイミングでご縁をいただいて、
お仕事に繋がることもありました。
そして、独立にあたって、玉井を誘ったんです。
一緒にやりませんかって。
それが「カーマンライン」のスタートでした。
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/MG_1160.jpg)
-
KARMAN LINE(カーマンライン)の
展示会のおしらせ
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/01-1077x1400.jpg)
![](/n/weeksdays/wp-content/uploads/2019/10/03.jpg)