KARMAN LINE(カーマンライン)、
という小さなブランドがあります。
デザイナーの板井美紀さんと素材のプロの玉井綾子さん、
創業からずっと、ふたりだけでチームを組み、続けてきた、
靴下のブランドです。
「weeksdays」と出会ったのが、ちょうど1年前のこと。
この秋、一緒につくったタイツをお披露目するにあたり、
ふたりのことをもっと知りたくて、
伊藤まさこさんがインタビューをしました。
前を向いてぐんぐん歩く女性ふたりのものがたり、
前後編、2回でおとどけします。
板井美紀
兵庫県出身。
中学生の頃からデザイナーを志し、
ファッション系の大学を卒業後、
アパレルでの販売員を経て転職、
アパレルの営業職に就く。
担当するブランドの休止にともない、
社内で靴下のブランドを立ち上げる。
2014年に独立、玉井さんを誘い、
カーマンラインを立ち上げる。
玉井綾子
大阪府出身。
大学卒業後、靴下やニットの糸を扱う繊維商社に就職、
全国の靴下工場に糸を販売する営業を担当。
その職人さんから紹介されたのが板井さんだった。
板井さんの独立にともない繊維商社を退職、
カーマンライン設立に参加。
カーマンライン(Kármán line)は、
宇宙と地球の境界線のこと。
海抜高度100kmに引かれた仮想のラインで、
このラインを超えた先が宇宙、内側は地球の大気圏だと
国際航空連盟によって定められている。
「2人とも空が好きで、宇宙が好きなんです。
靴下ってすごくたくさんの工程があって、
携わる人もたくさんいる。
それをつながりとして、
更にお客さんにもつながっていって、
そのお客さんが穿いて、誰かにあげたいなとか、
私たちの見えない部分にも
無限に広がっていって欲しいという思いで、つけました。
靴下だけじゃなく、幸せなこととか、
誰かと出会えたりとかということが、
ずっとつながっていったらいいな、
星の数ほどあったらいいなって」(板井さん談)
前編靴下がつくりたい。
- 伊藤
- カーマンラインを知るきっかけは、
梅田阪急の『生活のたのしみ展』に
おふたりが来てくださったことでした。
製品サンプルをお預かりして、
さっそく使ってみたんです。
それはウールのタイツとソックスだったんですが、
すごく「しっくりくる!」と思って。
- 玉井
- ありがとうございます。
伊藤さんが似合いそうなものを
いくつか選んでお届けしたんです。
- 伊藤
- 袋に入っていて、
「かわいいな」ということも含めて、
「しっくり」来たんですよ。
製品はいいのに、包装が残念とか、
そういうものが世の中には多いなか、
こまやかな部分までブランドの筋が通っていて、
いいなぁ、と思ったんです。
それでおふたりが大阪から東京にいらっしゃるときに、
あらためてお目にかかって。
それで「こんなものがつくれたらうれしい」
ということをお話ししましたね。
それから1年、こうしてコラボレーションした
製品ができあがりました。
ありがとうございます。
- 板井
- 私たちも、とても嬉しいです。
- 伊藤
- そもそも、なぜ、靴下を、
この2人でつくろうと思ったんですか?
きょうは、そんなことをお聞きしたくて。
- 板井
- 私は、小さい頃からデザイナーになりたいという
夢があったんですけど、
そういうふうに夢に描くのは「洋服」ですよね。
それでそういう学校に入学して、
在学時も含めて、洋服の販売員を5年ほどしました。
販売を卒業する気持ちが整い、退職後に企画の仕事を探し、
大阪のメーカーに就職をしたんですが、
デザインというのは経験がないと難しいということで、
営業に配属になったんです。
ところが、その担当した洋服のブランドが休むことになり、
デザイナーも辞めるという話になって。
そのとき、社長から一回考えてと言われ、
自分を見つめ直したんです。
そこで思ったのは、自分自身、背が高くないこともあって、
小物でファッションを楽しんできたということに
気がついたんです。
- 伊藤
- 身長、お幾つですか。
- 板井
- 150センチぐらいなんですよ。
だからどうも合う洋服がなくて。
- 玉井
- しかも、華奢ですしね。
- 板井
- だから帽子だったり、靴下だったり、
アクセサリーに魅かれるんだと思います。
ちょうどそこのメーカーのお客さんたちからも
靴下を作って欲しいという声を聞いていたので、
自由な気風の会社だったこともあり、
靴下のブランドを立ち上げさせてくださいと、
社長に直談判したんです。
- 伊藤
- ん!!! すごい。
- 板井
- それでOKが出て、
「やりたいんだったら一緒に頑張ろう!」と。
社内でも初めてのことだったので、
社長が一緒に工場を探してくれたりして。
- 伊藤
- ほんとうに、いちからのスタートだったんですね。
- 板井
- そうなんです。会社のある大阪から、
靴下の産地である奈良に足を運んで
工場を探す、というところから始めました。
私も経験がなかったので、
靴下の世界は知らないことばかり。
年配のベテランの男性の職人さんたちに
素材のことやつくりかたを聞く、
ということからでした。
- 伊藤
- 飛び込みで行っても、
皆さん快く話を聞いてくださったんですか。
- 板井
- はい。まずは電話をして、
「お願いします。こういうことをしたいんです」と。
工場によっては、ちょうど世代が変わり、
息子さんが継ぐっていうタイミングでもあったりして、
職人さんについて頑張ってる息子さんがいたりとか。
そんななか、引き受けてくれる方があらわれて。
- 伊藤
- 先方もあたらしいことを始める時期で、
面白そうだな、と思われたんですね。
- 板井
- そうかもしれないですね。
そんなふうに少しずつ取組先を増やしていって、
型数も増えていきました。
やっぱりそれぞれの工場でこれが強いとか、
これが特徴ということもあるので、
そういうのでまた違うものをつくることができて。
そうするうちに、素材に興味があった私に、
糸の会社の詳しい人を、と、
紹介してくださった職人さんがいたんです。
その糸の会社の人というのが、
のちにいっしょに「カーマンライン」を
立ち上げることになる、玉井だったんです。
- 伊藤
- そんなご縁が!
- 板井
- はい。まず、この業界に
女性がいるということが私は新鮮でした。
- 玉井
- なかなか、いないんですよ。
- 伊藤
- ええっ? 女性が穿くものをつくるのに。
- 玉井
- そうなんですけど、
素材メーカーや工場って男性ばっかりなんです。
そこで私は珍しい女性の営業で、
靴下の職人さんに糸を売る仕事をしていたんですね。
- 板井
- いっぽうで、靴下工場のおじさんたちは、
私に言うんです、
素材のプロから直接話を訊いた方がいいよと。
新しい糸とかも全部教えてもらえるよ、と。
- 玉井
- 素材メーカーの営業は、
職人さんと話すことが多くても、
デザイナーやアパレルの方とつながることは
あんまり多くないんですよ。
それで板井と知りあって。
- 伊藤
- 職人さんをはさんで、
伝言ゲームみたいになってたんですね。
- 玉井
- そうなんです。
- 伊藤
- 板井さんは、つくりたい靴下があって、
それを実現できる工場や素材を探す、
という感じでしたか?
- 板井
- そうですね。
そのメーカーの洋服を着る人が穿くテイストの靴下、
ということでもありましたし、
私自身、コンセプトを考えることも好きで、
ちょっと言葉を添えたものづくりをしていました。
春夏秋冬、年に4回の展示会があり、
毎回がほとんど新作でしたが、
たとえばシーズン毎に「世界の国」をテーマにして
観光地や建物をイメージした柄をつくったり。
- 伊藤
- アパレルでの靴下づくりは、
何年のことですか。
- 板井
- 2008年頃のことです。
そちらで6年ほどお世話になって
2014年に独立をしました。
- 伊藤
- 独立したきっかけは何だったんですか。
- 板井
- その会社の仕事も、とても楽しかったんですね。
がむしゃらにつくっていて、
知識を得ることもたくさんあって。
ただ、新しいものばっかりつくっているので、
お客様のところに届いたあとのことが、
わからなくなってきたんです。
その後どう変化していくんだろうとか、
どう洗ってあげたらいいとか。
私が接するのは卸先のかたがたなので、
ものづくりの想いは伝えられるんですけど、
どういう方が穿いているのか、
リアルなお客様はどんな気持ちなのか、
わからなかった。
それで、ちょうど玉井と会って、
彼女の知り合いのカフェで
直接の販売をさせて頂くことになったんですよ。
それで週末、自分が接客して
売るということをしてみました。
そこでお客様に直接ふれたことで、
「もっと直接伝えたい」という気持ちが
すごく大きくなっていきました。
自分の中では「ものづくり」をしていたつもりでしたが、
ここで一回立ち止まって、振り返りたいなと。
- 伊藤
- うん、うん。
- 板井
- 私も30歳になり、気持ちの変化もあって、
洋服もちょっとテイストが変わってきた。
仕事でも、どんどんあたらしいデザインを
つくるというよりも、
定番をつくり、それをアップデートしていく、
そういう愛されるものづくりをしたいなと思ったんです。
それで会社に「新しいことをしたい」と
退職の意向を伝えました。
ちょうどそのタイミングで
社内でやりたいという人が現れ、
3人が引き継いでくれことになったので、
これまでの仕事を引き継いで、独立をしたんです。
- 伊藤
- その会社にいて培った人脈や
工場のつながりなどを
「置いていくように」ってならなかった?
- 板井
- はい。何も言われなかったです。
若い頃、販売員を辞めたときみたいに、
私には前に進みたいという気持ちがあって、
それを理解していただきました。
- 伊藤
- じゃあ、つながりをそのまま持って、
知り合った皆さんとも引き続き仕事ができる体制で。
- 板井
- そうですね。
引き続きお付き合いいただいている工場もあります。
もちろん新しい試みもあったので、
自分たちで新しい工場を開拓したり、
思いもしないタイミングでご縁をいただいて、
お仕事に繋がることもありました。
そして、独立にあたって、玉井を誘ったんです。
一緒にやりませんかって。
それが「カーマンライン」のスタートでした。
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KARMAN LINE(カーマンライン)の
展示会のおしらせ