「weeksdays」初登場となるブランド、
nooy(ヌーイ)。
若山夏子さんと平山良佳さん、
ふたりの女性によるチームです。
若山さんと平山さんに職業的な分担はなく、
それぞれがデザイナーであり、パタンナー、
生産管理も、広報も、実務も、ぜーんぶやっています。
(ほんとうに、アトリエにはふたりきり!)
年に2回、新作を発表していますが、
「毎回、まるっきり変わる」というような
ハイファッションの提案ではなく、
着心地よく、長く着られ、
それでいてちゃんと「いま」を感じられる服づくりで、
幅広い世代の女性たちから支持を集めています。
顔は出さない、という主義のふたりですが、
お話はいくらでも、ということで、
伊藤まさこさんといっしょにアトリエを訪問しました。

若山夏子さんのプロフィール

若山夏子 わかやま・なつこ

文化服装学院メンズデザイン卒業。
雑誌『装苑』の連載を経て、
洋服や小物づくりの本を出版。
ニューヨークに留学しパタンナーとして活動。

平山良佳さんのプロフィール

平山良佳 ひらやま・よしか

大学卒業後、エスモード・ジャポンで服づくりを学んだ後、
ニューヨークに渡り、州立ファッション工科大学を卒業。

nooyのプロフィール

旧知の仲だった若山さんと平山さんだが、
同時期の渡米はまったくの偶然。
再会をきっかけに、
ともに持っていた服づくりへの情熱をひとつにして、
2001年春、スカートの制作からブランドをスタート。
2003年、拠点を東京にうつし、再始動。
2008年よりパリAtmosphereにて展示会を開始。
ファッションを楽しむ全ての女性に向け、
クラシックなラインをベースに
独自の遊び心と時代のスパイスを加え、
自由なスタイルを提案。
上質で心地よい素材使い、繊細な色使い、
メンズのパターンを取り入れたカッティングが特徴。
nooyと並行し、ユニフォームラインである
nooy kitchenを展開し、
カフェ等のユニフォームデザインを手がける。
また、洋服や小物作りの本を出版するなど、
幅広く活動している。

■nooy 公式サイト

その1
はじまりはニューヨーク。

伊藤
nooyを紹介してくださったのは、
若山さんの叔母さまで、
エディトリアルデザイナーの
若山嘉代子さんでした。
若山さんは私の憧れの女性で、
本をデザインしていただいたことがあるんです。
その若山さんから
「姪が服づくりを始めたの」ってお聞きして。
あれは何年前のことだったのかな。
若山
日本に帰ってきたのが2003年ですから、
その頃じゃないかなって思います。
伊藤
その前は、ニューヨークに
いらっしゃったんですよね。
若山
はい、3年ほどいました。
伊藤
そもそもふたりはどういうきっかけで
nooyを立ち上げることになったんですか。
平山
知りあったのは、吉祥寺のデパートの
物産展の販売員のアルバイトだったんです。
伊藤
うんうん、‥‥んっ?
平山
「京都展」でしたね。
伊藤
吉祥寺の? 京都展?
平山
私は数珠を売っていて。
若山
私は和紙を売っていました。
伊藤
えっ! なぁに、それ?!
若山・平山
(笑)
平山
ほんとに1週間だけのアルバイトで、
偶然、休憩時間に話をしたんです。
「私、ニューヨークに行くんだ」って言ったら、
「あ! 私も行くんです」っていう話になって。
渡米に半年くらいの違いはあったんですけれど。
伊藤
なぜニューヨークに?
平山
留学です。
伊藤
洋服の?
平山
はい。日本で大学を出てから、
エスモード・ジャポンにちょっと居たんですが、
もっと本格的に勉強をしたくなって、
Fashion Institute of Technology(ニューヨーク州立
ファッション工科大学。略称FIT)に
行くことにしたんです。
伊藤
若山さんも?
若山
はい、私もファッションの勉強に。
文化服装学院を卒業して、
日本でフリーで仕事をしてたんですけれど、
海外で勉強したいという気持ちが高まっていたんです。
伊藤
数ある都市のなかで
なぜニューヨークを選んだんですか。
パリや、ロンドンではなく。
平山
バックパッカーで旅をしていた頃、
ニューヨークって楽しそうだなあって
思っていたんです。
若山
わたしもそうです。
ニューヨークに1回、遊びに行って、
「ああ、すごい! なんか合ってるかも!」と。
それに、パリに行くならフランス語ができないと。
ロンドンはそのとき物価がすごく高かったですし。
それから、叔母の強い勧めもありました。
伊藤
そうですよね。
若山嘉代子さんは
ニューヨークにいたことがあるとお聞きしました。
若山
それで、私も大学に行くつもりで渡米したんですね。
パーソンズ美術大学(Parsons School of Design)
っていうところに入りたかったんですが、
日本の卒業記録と成績表を持って相談に行ったら、
「これだけ勉強したのなら、うちに来る必要ないわよ」
って断られてしまった。
はて、どうしたものかと途方に暮れ、
ビザの関係もあったので、
学校には絶対行かなきゃいけない。
それでとりあえず語学学校に行きました。
伊藤
それで、おふたりは、ニューヨークで再会を?
平山
それが、行ってすぐは交流がなかったんです。
たまたま夏休みに帰ってきたとき、
渋谷のスクランブル交差点でバッタリ。
若山
「あ! 見たことある子がいる!」って、
服をつかんで。
平山
「あの子だー!」
若山
「連絡先教えて!」
平山
それでニューヨークに戻ると、
わたしが住んでいた大学の寮に
若山が電話をくれて、
遊ぶようになりました。
そしてわたしは卒業後、
現地でデザイナー・パタンナーとして
働くようになって。
若山
私も韓国系のデザイナーの方のところで、
就労ビザを貰って、
パタンナーとして働きながら、
しばらくいることになったんです。
平山
そのうち「ふたりで洋服をつくる?」ということになり、
できあがった服を、お店に持っていくようになりました。
伊藤
それが「nooy」のはじまり?
若山
そうなんです。
伊藤
一緒にやろうって決めたのは、
デザインというか、
つくりたい方向が似ていたんですか?
平山
そうですね。
そうじゃないとやり始めなかったかもしれないです。
伊藤
名前の由来は何ですか。
とてもかわいい。
若山
ふたりのイニシアルです。
夏子のNと良佳のYに、
OO(オーオー)を入れたら、
ちょっとどこかの国の女の子の名前みたいだねって。
それで「nooy」(ヌーイ)に決めました。
伊藤
そうだったんですね。
「縫う」「衣」かなって思ってました。
平山
そう! よく言われます。
伊藤
ふたりで最初につくったのは何ですか。
若山
スカートです。
ニューヨークって、ほんとに生地屋さんが多く、
デッドストックを扱うような生地屋さんも
いっぱいあるので、そんな生地を使って。
そしてセレクトショップに飛び込み営業をしたんですよ。
「買ってください」って。そうしているうちに、
「じゃあコレとコレとコレ」と、
注文をいただけるようになって。
スティーブン・アラン(Steven Alan)っていう
ショップが扱ってくださったり。
伊藤
すごい!
若山
わたしたち、何も知らなかったので、
展示会を開くなんて考えつかなかった。
ほんとにスカートを担いで、
「こういうのお好きですか?」って(笑)。
伊藤
サヤカ・ディヴィス(SAYAKA DAVIS)さんと
話をしたときも、
服をトランクに入れてゴロゴロ持って、
「見て欲しい」って営業をしたということでした。
ニューヨークは、そんなふうに知らない子が来ても、
有名じゃなくても、いいものだったら受け入れてくれる、
そういう街だっておっしゃってました。
若山
ほんと、アポなしでしたよ。
「バイヤー」という職業すら知らなかったです。
伊藤
日本に戻ってきたのはどうして?
そのままニューヨークにいる選択肢もあったでしょうに。
若山
2001年の「9.11」(アメリカ同時多発テロ事件)が
きっかけでした。
伊藤
そうでしたか。
若山
私たちも、拠点を日本に移すことにしたんです。
あのときは、長くいた人のほうが
帰国を選んだように思います。
それで日本に戻って、
またゼロから出発しました。
平山
日本で、またふたりで
服をつくりはじめました。
伊藤
日本では、誰もnooyのことを知らない状況ですよね。
どんなふうに販路を開拓していったんですか。
平山
ニューヨークと同じで、お店に直接、
でも今度はちゃんとアポイントメントを取って、
服を担いで、見てもらいに行っていました。
若山
そう、行きましたね!
楽しかったね。
平山
それで置いてくださるお店もあったし、
扱ってはもらえなかったけれど、
親身になってアドバイスをくださった
お店もありました。
若山
おもしろかったですよ、自分たちが素人すぎて。
平山
本当、すごくおもしろかったんです。
何も分からなかったから。
たとえば最初の頃は、
余り生地ばかり使っていたので、
それじゃ多くの注文を受けられないよと。
「生地の仕入れはこうするといいですよ」
なんて教えてもらったりもしました。
若山
そのうち、展示会を開くことを思いついたんですが、
そういう貸し会場があることすら知らなかったので、
ギャラリーで展示会を開いたんです。
そしたら、そのギャラリーのオーナーが、
イラストレーターの方をおおぜい知っていたので、
DMを出すことができて。
平山
そのDMを受け取った人が、
たくさん来てくださったんです。
若山
しかも「かわいい!」ってお求めくださって、
それがきっかけで広がっていきました。
それがなかったら、いまがないかも?
(つづきます)
2019-10-20-SUN