伊藤まさこさんといっしょに、
三重県四日市市に
陶芸作家の内田鋼一さんを訪ねました。
この日は、この1年ほどかけてふたりが準備してきた
「鋼正堂」の白いうつわと鍋の完成品が、
はじめて窯から出る、という日。
窯を見学したあと、内田さんの運営するミュージアム
BANKO archive design museumのカフェで、
今回つくったお皿、うつわ、鍋のことを話しました。

内田鋼一さんのプロフィール

内田鋼一 うちだこういち

うちだ・こういち。陶芸作家。
1969年愛知県名古屋市生まれ。
愛知県立瀬戸窯業高等学校陶芸専攻科修了後、
東南アジアをはじめヨーロッパ各地、
北米、南米、アフリカなど、
世界各地の窯業を職人として働きながら体得。
1992年から三重県四日市市に制作の拠点を置き、
日本各地から世界を舞台に
個展でさまざまな作品を発表しています。
2016年には、四日市の萬古焼(ばんこやき)を
紹介する博物館
BANKO archive design museum」を設立。

鋼正堂のこと

鋼正堂 こうせいどう

2018年、伊藤まさこさんと内田鋼一さんが立ち上げた
うつわと道具のブランド。
ふたりがプロデューサーとなり、
作家性が強すぎず、けれども機械的で無機質なものではない、
あたらしいタイプのプロダクトをつくることを目的としている。
名前の由来は、伊藤さんによると──、
「内田さんがあの風貌ですから、
横文字のしゃれた名前ではなく、
漢字でかために、の方が合うかなと思いました。
また、最初のアイテムが萬古焼だったので、
『萬古堂』もいいかなと思ったけれど、
萬古焼の要素よりも、
内田さんが形にした、という方に重きをおきたいと思い、
最終的に鋼一から『鋼』の字を、
正子(私の本名の漢字)から
『正』の字を一文字ずつとって、名付けました」。
ロゴは、内田鋼一さんによる筆書き。
デビューは、2018年6月恵比寿で行われた
「第3回 生活のたのしみ展」だった。

その1
内田鋼一さん、はじめての“プロダクト”。

伊藤
最初のきっかけはこのお皿でしたね。
北欧製の、プラスチックの──。
内田
軍もの、なのかな?
どういう素性かわからなかったんだけれど、
スタッキング(重ねて収納)が
できるようになっていて、
いいかたちをしているんです。

▲これが北欧製の樹脂のお皿。

伊藤
ほんとにシンプルで、
“これぞ、うつわ”っていうかたち。
将来、こういうものがつくりたい、
というサンプルとしてと思って購入し、
とはいえプラスチックなので、
自宅で使うことがないまま持っていました。
内田
たまたま僕が、ここのミュージアム
(内田さんが運営する
BANKO archive design museum」)
の企画で、素材別の展覧会を考えていたんです。
木とか、石とか、金属とかね。
その中で樹脂とかFRPだったり、
ベークライトやセルロイド、
そういう、自然素材とは違う
化学素材のプロダクトを集めていた。
その話をしたら伊藤さんが
「私、いいの持ってますよ!」
と、譲ってくださったんです。

▲BANKO archive design museum.

──
伊藤さん、気に入って購入されたのに、
あげちゃったんですね。
伊藤
「この人が持ってるほうがいいだろう」
って思うものってあるんですよ。
その人にあげたほうが、
きっと役に立つもの。
いま思うと、いい人にあげた(笑)!
内田
それが一昨年かな。
それで、器がつくりたいという話を
伊藤さんから聞いて。
伊藤
1年ほど前、まだ「weeksdays」という
場がない頃でしたが、
こういうものをつくるならぜひ内田さんと!
‥‥と考えて、お願いをしたんですが、
じつは内田さん、こういったかたちで
プロダクトをつくることは、
それまで、なかったんだそうです。
内田
僕が表に出て、っていうのはありません。
名前を出さないで協力したことは、
あるんですけれどね。
伊藤
つまり「内田鋼一」の名前を
こういった量産品で出すのは初めて?
内田
そう。なぜかというと、
作家としての自分のためではなく、
こういった「いいもの」を
萬古焼からつくっていけば、
自ずと萬古焼を知ってもらうことができるし、
ブランディングもできていくだろうと思うからです。
このミュージアムでも
売ることができるかもしれないし。

▲ミュージアムにあるショップ。内田さんの選んだ骨董や、道具が並ぶ。自作のものは、ここでは販売をしていない。

伊藤
ということは今回のこのシリーズは
「萬古焼」って呼んでもいいのかな。
内田
萬古で、萬古の人がつくっている器ですから、
萬古焼かと言われたら萬古焼ですね。
ただ、萬古焼って、アメリカのクレイト&バレルや
デンマークのハビタのものをつくっていたり、
イギリスのコンランショップからも
依頼を受けて食器をつくっていたりもします。
海外でお土産に買ってきた器が、
実は萬古焼だったとか、
そういうものもたくさんあるんですよ。
一目瞭然で「これは萩焼です」とか
「これ備前焼です」とかっていうものではなく、
いろんなものに対応できる産地なんですね。
伊藤
定義の幅が広いんですね。
内田
輸出向けのものをたくさんつくってきたので、
自国で使ってる人たちは、
これが日本でつくられた、
それも四日市の萬古焼だ、なんていうことを
知らない人もたくさんいます。
伊藤
そんないろいろをよくわからずに、
「こういうものがつくりたい!」と
相談をしたんです。
内田
そこからがたいへんでしたね。
伊藤さんが望む白というのをつくるのが。
なにしろ色に厳しいからね。
伊藤
苦労をかけました。
内田
彼女のことを知っているので、
だいたい想像はできるんですよ。
たとえばフランスの伝統的な陶器
「ジアン」(Gien)のように、
普通の白ではなくて、でも、
日本で一般的に使われる洋食器ともちょっと違う、
ちょっとぽったりした感がある器、
伊藤さんがやりたいことは
きっとそういうことなんだろうな、と。
いっそシャープだったりソリッドなイメージの
白磁の青白い白さを出すのならすぐできるんです。
でも今回のような、ちょっとクリーミーな感じで、
厚みもあって、「ぽったり」した、
ちょっとヨーロッパの田舎のほうで使われるような、
でも清潔感があるもの──。
それを目指して始めたので、手間がかかりました。
僕がたまたまスペインや
オランダの釉薬を持っていたので、
その感じを目指してつくっていきました。
一見、白だけど、できあがって並べてみると
やっぱり明らかに違うっていう感じは、
ニュアンスが分かる人には、
「あ、違う」ってわかってもらえるだろうなと。

▲伊藤さんの持っている、ヨーロッパの古い器。

伊藤
内田さんは、ヨーロッパに武者修行に出ていて、
いろいろな質感、白のニュアンスをわかっている。
そして骨董にもとても詳しい。
だからその目を信じて、何度もやりとりをして、
「こうしよう、ああしよう」と
話を進めていきましたね。

お皿の原型は、内田さんが
ろくろを引いてくださいました。
それにあたっては、北欧のお皿だけじゃなく、
私が昔から使ってる器を全部見てもらったんです。
この形がいい、ということではなく、
「料理を盛って感じがいいのはこのあたり」
ということを伝えました。
わたしが伝えたのはおおまかな輪郭です。

▲原型をつくる打ち合わせは、内田さんの工房で、作業をしながら進めた。

──
つまり料理を盛ったときの美しさ、
みたいなところが、色とともに、
伊藤さんからのいちばん大事なポイントだった。
伊藤
うん、やっぱり、お皿は料理を盛るものだから。
器は器だけで完成しているのではなく、
料理を盛って、食べる人がいて、
見た目も使いやすさも重さも色も形も、
洗うときの始末とか乾きやすさとか欠けづらさとか、
それも全部含めてお皿の個性なんですよ、って。
それを内田さんはすぐに分かってくれた。
内田
だから原型はすぐにできたね。
やっぱり時間がかかったのは釉薬です。
というのも、この色を出すための釉薬は、
ふつう、量産ではあまり使わないものなんです。
それは価格が高く、
かといって代替えの原料では
同じ白でもニュアンスのことなる、
似て非なるものになってしまう。
しかもこれが釉薬反応をしやすくて、
焼成過程でほんのちょっと、
別の色が出てしまうこともある。
そこは今回の工場、光泉セラミックの
酒井さんと相談をしてすすめていきました。

▲三重県四日市市にある光泉セラミック。右が酒井修さんです。

伊藤
ほんとうにありがとうございます。
ろくろで作品をつくるのならOKでも、
それを量産をすることは
まったく別ですものね。
どこまで「ぶれ」を許容するかも。
内田
焼成過程で時間がかかったのは、
たとえばお皿の裏の処理でした。
古いヨーロッパの器で
使われていた技法で、やりたかったんです。
それは同業者や、興味がある人からすると
「おっ」って言う方法なんですよ。
今みたいに高温で焼く器とは違って、
当時は低めの温度で焼いていたから、
縮みが少なく、変形しにくかったので
可能だった方法なんですが、
いま一般的に流通してるような焼きものの温度帯だと、
一割以上縮むので、引っ張られたり変形したり、
うまくいかないんです。
それをどう解決するかも、ずいぶん試行錯誤しました。
伊藤
そうだったんですね。

▲高台の裏の処理のため、専用の台をつくり、ピンで支え、浮いている状態に。畳付にも釉薬がかかっているので、テーブルの上で擦っても、傷がつきにくい。

内田
置いて使っている分には見えないところの
処理じゃないですか。
着物の裏地を凝るっていうのと一緒で、
クスッとくすぐられる人はいるけれど、
興味のない人からしたら何てことのないものです。
キャセロールの裏まで全部、
釉薬がかけてあることもそうだし。
でも、それをつくりたい、
しかも量産をしたいと考えたとき、
酒井さんの存在が大きかったですよ。
量産を一番に考えれば違う方法を選ぶところ、
「それじゃこの良さって出ないよね」って、
わかってくれた。
酒井さんがいなかったら、そして、
こんなに面倒なことをしてくれる工場がなかったら、
できないことだったと思います。
どこの窯元にもっていっても、
ふつうだったら、たぶん断られます。
いろんな意味でロスが多くリスクが大きいので、
みんなやりたがらない。
──
さきほど、はじめてのロットが
窯から出てきたのを見せていただいて、
ぼくらは、すごく沸いていたのですが、
内田さんと酒井さんは
「うーん」と難しい顔をなさっていて。
伊藤
なんで笑顔がないのかしらって思っていました。
内田
そんなに「おおっ!」って
喜んでいなかったでしょう(笑)?
一回こっきりだったら、
「よし、これで終わりだ。バンザイ」でいいけど、
思ったのは「これから大変だろうな」

▲最初の素焼きは780~800度で。釉薬をかけて1200度で12時間焼く。1回にできるのは500~600ピースほど。

──
そうして、やっと完成しましたね。
こういう白い器って、
あるようでなかったように思います。
伊藤
うん、ないですよね。
内田
うん、なかった。
(つづきます)
2018-08-05-SUN