伊藤まさこさんの大先輩にあたる
スタイリストの山本康一郎さんと、
伊藤さんが「いまいちばん会いたい人」という
TVディレクターの岡宗秀吾さんを迎え、
たっぷりと、いろんな話をしてきました。
この鼎談、そもそものテーマは「愛」だったのですけれど、
話題はあっちへ行き、こっちに戻り、
はたまたうんと遠くへ跳んで、また戻り。
おやつを食べたり、お茶を淹れたり、
途中でワインを飲みはじめたり‥‥。
そんな3人の濃密な時間、7回にわけて掲載します。
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山本康一郎
スタイリスト。1961年、京都生まれ、東京育ち。
大学在学中から雑誌『POPEYE』に
フリーランスエディターとして参加。
のちにメンズ専門のスタイリストとして独立、
雑誌や広告で活躍する。
2016年、クリエイティブディレクターとして
ADC賞を受賞。
ブランドやアーティスト、メーカーとつくる
別注アイテムを「スタイリスト私物」という名前で展開。
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岡宗秀吾
フリーランステレビディレクター。
1973年神戸生まれ。
1995年の阪神・淡路大震災を機に上京、
現在の職に就く。
バラエティ番組の演出を中心に活躍。
「青春狂」を自称し、
「全日本コール選手権」から
「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」など
若い世代のカルチャーを題材とした演出が多い。
著書に『煩悩ウォーク』(文藝春秋)がある。
その5優しくってちょっと怖い。
- 伊藤
- 康一郎さんって、今、とても優しいじゃない?
でも、そうじゃない時代もあったわけでしょう。
- 山本
- そうだね。
ある時期から、俺の目撃談が
俺の耳に入るようになったわけ。
その目撃談が明らかに“盛ってる”わけ。
どこかで誰かが盛ったんだよね。
それがものすごい許せるようになった。
前はね、それをたどっていって、
そいつの家とかまで行ったりしてたの。
「てめえ、知らねえ話言ってんな?」みたいに。
だけど、最近はもうね、
「最高だな、この盛り方」。
もう「ラッキー」みたいに思っちゃう。
- 伊藤
- (笑)そいつんちまで行ってたって!
岡宗さんが出会ったときも
「ややこし時代」だったって言うけれど、
どんな感じだったんですか。
- 岡宗
- たとえばケータイは絶対非通知。
番号を誰も知らなかったんです。
かつ、写真もNG。
- 山本
- そうそう(笑)。
- 伊藤
- え?
- 岡宗
- 毎日のように一緒にいるのに、
写真はほとんどないんです。
僕、もう24年ぐらいご一緒してますけど、
多分何年か前に「UOMO」で呼んでもらったときに撮った
2人の写真があるぐらいで。
- 伊藤
- なぜ?
- 岡宗
- 撮らせないんです。
- 山本
- 残したくないんだよね。
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- ──
- でも、いまの50前後で「POPEYE」を読んでいた人は
康一郎さんの顔を知ってますよ。
以前は出ておられましたよね。
- 岡宗
- その時は出ていたんですよね。
そのあとの時期が、けっこうすっぽりないんですよ。
- 山本
- なんかすごいややこしくなっちゃって。
いろいろあってさ。
- ──
- たしかに、康一郎さんって、東京のお坊ちゃんで、
ちょっとグレててカッコいい人、みたいな、
ぼんやりしたイメージしかないというのは確かですね。
ファッション誌を読んでいたら、
名前は絶対見たことある人ですし。
- 伊藤
- うん。私はすごいシティボーイなんだろうなって
思ってました。
じっさい、慶應ボーイだし。
- 山本
- 子どものときは大変だったんだよ。
親が離婚して、父親が有名だから
(喜劇役者の伴淳三郎さん)、
小学生なのにワイドショーが学校まで来て
マイク向けられちゃったり。
だから、毎日逃げて帰ったりしてた。
小学1、2年だもん。
で、慶應幼稚舎ってさ、6年間クラス変わんないんだ。
すると、みんな、うちのそういう歴史、
知っちゃってるじゃん。
だから触らぬ神に祟りなしって感じで俺に接しだして。
たぶん母親とか父親から言われたんじゃない?
- 伊藤
- 「そのこと康一郎くんに言っちゃダメよ」みたいな。
- 山本
- でも、子どもって敏感にわかるんだ。
空気が変われば。
担任とかはけっこう熱く、いい先生で、
「元気か。頑張れよ!」って
いつも言ってくれてる人だったんだけど、
中学生ぐらいからグレだしちゃった。
で、離婚して大きな家から引っ越して、
しんどいなっていつも思っててさ。
良くしてくれたというか、
普通に接してくれたのは、
友人のお母さんひとりだけだった。
だから、俺、坊ちゃんなんだけど、
けっこうね、痛い思いしてんの。
- 伊藤
- 免許をなぜ持ってないかっていうと、
お母さんから教習所代もらったのに使っちゃって、
盗られたって言ってもう一回もらったのに、
また使っちゃったからだって。
ひどい。もう最低。
- 山本
- (笑)うちの母はよく知ってるんだ、秀吾のことを、
「秀吾君は面白いね、話が」って。
秀吾は古い芸能界のことも知ってるから。
- 岡宗
- 僕、よくお話を聞きました。
亡くなったとき棺桶も持たせてもらったし。
- 山本
- 秀吾の話が大好きだった。
2人で、俺も聞いたことない話とかしてるんだよ。
不良だったからさ、母の家。
- 伊藤
- え?
- 山本
- 愛宕で、母方のおじいちゃんは料亭やってて、
ひいじいちゃんは港湾労働者をまとめてた人。
言うこと聞かない荒くれ者に鞭打って、
彼らの通う賭場を取り仕切ってたの。
歌舞伎に「め組の喧嘩」ってあるでしょ。
「神明恵和合取組~め組の喧嘩」って。
そのモデルになった幾つかの家の一つなの。
相撲取りと喧嘩して、不良たちが、
こっぴどくやられるわけよ。
それで、火消しの金鳴らしちゃうんだ。
すると、江戸中の火消しが集まるの。
すごい時代だよね。
火の見櫓をカンカンカンってやると、
その鐘の音で集まっちゃうんだね。
- 伊藤
- 何それ?!
そんな物語が潜んでるの?
康一郎さんの中に。
- 山本
- だから、火消しであり、
ちょっとトラブルメーカーでもあるんだよね(笑)。
- 伊藤
- そこにお父様の芸の世界が入るわけですね。
- 山本
- そうそう。人を楽しませるってとこで、
変な入り込み方するのっていうのは、
やっぱり父親の血だと思う。
楽しいんだよね、人がワイワイやり出したり、笑ったり。
でも俺、芸能人じゃないから、その場がないし、
それがいやだなと思うこともある。
ちなみに父方のおじいちゃんは、南画家。
だから絵描きの家とやくざな家の子なの。
でね、母の再婚相手、俺の新しいパパが、
すごく厳しくてさ、
もう本当「寺内貫太郎一家」みたいになっちゃったの。
ものすごいバトルの家になっちゃって。
- 伊藤
- 毎回大げんかのシーンが出てくる
ホームドラマみたいな?
- 岡宗
- (笑)
- 山本
- それでもう大変なことになるの。
狭い部屋でさ、いろんなものがぶっ壊れて。
母のお母さん、つまりおばあちゃんがいて、
新しいパパがいて、俺がいて、
さらに母との間に妹ができて。
ややこしいよね。
でも、大好きなの、お互い。
だから喧嘩になっちゃうの。
想いが強すぎて。
憎しみじゃないんだ。
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- 伊藤
- 本当に、康一郎さん、すっごく、愛に溢れてるよ。
- 岡宗
- いや、本当にそうです。
というか、両方を持っている感じがします。
狂気と繊細さ、愛情深さ。
人をぶん殴ったあと仔猫を拾っちゃう、みたいな(笑)。
- 山本
- わりと安定した人から好かれるよ。
ちょっと不安定なものを覗きたいなっていうときに、
求められるのかも(笑)?
- 伊藤
- 不安定剤(笑)。
そうか。わたしが康一郎さんを面白いと思っているのは、
そういうことだったんだ。
「優しくってちょっと怖い」。
- 岡宗
- ね? 本当そうですよ。
- 山本
- けっこう大変だよ。
この人生をもう一回やるかっていわれたら、やんないね。
絶対やんないよ、大変だ。
だって心配性もさ、病気の一因になったと思う。
あ、俺、いっぱい病気やってるんです。
肝臓癌と心筋梗塞、
網膜剥離で右目はあまり見えてないし、
それから糖尿病も。
- 伊藤
- ウン。
- 山本
- だから病気のこと、だいたい知ってる。