「ずっとお目にかかってみたかった」という
内田也哉子さんを、伊藤さんの部屋にお招きして、
のんびり、ゆっくりと話をしました。
テーマをとくに決めずに始まった対話ですが、
自立の話であり、
母であること、娘であることの話であり、
人生の理不尽の話でもあり、
出会いと別れの話であり‥‥。
尽きない話題を、7回にまとめました。
ふたりといっしょにお茶を飲みながら、お読みください。
(写真=有賀 傑)
その3母が惚れた。
- 内田
- 15歳で父の食事会で本木さんにお目にかかり、
翌年から、私はスイスに留学したんですが、
その直前に、本木さんの事務所の社長と父が
仲がよかったことから、
英語が話せて、ちょっと身の周りの
アシスタントができる人を探してる、
っていう話が来たんです。
それはなにかっていうと、
ちょうど日本で初めてアメリカのアカデミー賞を
BSで生中継するっていう機会があって、
ナビゲーターを本木さんがやることになった。
そこで「バイトする?」って言われました。
もう、映画が大好きだったし、
高校1年生でそんな機会はないから、
もうふたつ返事で「ぜひ」って言ったんですね。
そうして「あ、そういえば、あのとき会った本木さん」
っていう感じで再会し、
1週間、本木さんの通訳としてお手伝いしたんです。
テレビの仕事は撮影に合間があるから、
いろんな話をしていくなかで、
もうすぐスイスに留学するということで、
住所交換をして、文通が始まりました。
- 伊藤
- へえ!
- 内田
- そんなに密にではなかったですよ。
忘れたころに届いたり、
私もスイスからちょっと小旅行に行ったりしたら
絵はがきを書くとか、そういうのがだんだん‥‥。
- 伊藤
- すてきですね。
- 内田
- 話だけ聞くとそうですよね(笑)。
その後、夏休みに帰国中、
東京で初めて2人でごはんを食べた席で、
こう言われたんです。
「もし、将来、結婚っていうことを考える時期がきたら、
私を選択肢に入れておいてください」って。
まったく、ちゃんとしたおつきあいをしないどころか、
きちんと自己紹介もしてないくらいなのに、
そういう感じで。
- 伊藤
- !!! お互い、そのやりとりや文通で
何か波長の合うものを感じ取ったんでしょうね。
- 内田
- ええ。ほんの断片なんですけど、
そうかもしれない。
- 伊藤
- そのとき也哉子さんはどう思ったんですか。
- 内田
- 私は正直、「あ、きっとこの人、頭がおかしい人で、
誰にでもそうやって言ってるんじゃないか」
って思いました。
- 伊藤
- そんな‥‥!
- 内田
- 母からは「ぜったいあの人、ゲイだから」
って言われていて。
- 伊藤
- 安心よって。
- 内田
- 「いいお友だちね」って。
- 伊藤
- そっか、なるほど。
本木さんって、女の人を口説くために
わざとそういうふうに言う、みたいな感じでもないし。
- 内田
- 雰囲気はそういう感じじゃなかったけど、
でも、違う意味で頭がおかしいんだろうなと思った。
勝手に思い込んじゃうっていうか、
あまりにもその飛躍が大きかったから。
文通から、結婚って。
- 伊藤
- その時、一般的に子どもじゃないですか、まだ。
也哉子さん。
- 内田
- だから、まったく結婚の「け」の字もないし、
それを言われて、びっくりして家に帰って、
母に「そんな突拍子もないこと言うんだよ」って言ったら、
なにも反応しないんですよ。
「ああ、そうなんだ? 女の人が好きなんだ‥‥」
みたいな。
- 伊藤
- そっちの驚き?
- 内田
- 「意外だわ〜」っていう感じでしたね。
- 伊藤
- ええー。
- 内田
- それに、母は、自分がこの業界に長くいるから、
「結婚相手はカタギの人にしてくれ」って
ずっと言ってたんです。
- 伊藤
- そうなんですか。カタギの人か‥‥。
- 内田
- まったく芸能界と関係ない人がいいと。
でもそのうち密になって、
スイスにはいたけど折にふれ会うようになっていくうちに、
こんなことがあったんです。
本木さんの実家は埼玉の16代続いてる農家なんですね。
敷地の中に、もう何百年前からの、
先祖代々のお墓があったり。
母はとってもそういうことにリスペクトがあるので、
「この子は、突然変異で芸能界で役者になっただけなんだ。
この本木家のすばらしい遺伝子を、
もし内田家におすそわけいただけるんなら‥‥」と、
すっかり前向きになってしまったんです。
母のほうが、本木さんの驚くべきギャップと、
お米を育てて何百年も続いている家系ということに、
強く尊敬を感じたんですね。
ただでさえ、3代で絶えるって言うじゃないですか。
- 伊藤
- たしかにね‥‥。
- 内田
- だけど、そこまで守り続けられた本木家。
役者って、よく根無し草の人たちって言われるけれど、
それこそ地に根がしっかり張って、ほんとに慎ましいし、
お父さんもお母さんもお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、
みんな、大切なものを見極めて
丁寧に日々を暮らして生きてらっしゃる。
それがどれだけすばらしいことかって、私も言われて。
- 伊藤
- ほんとですね。うん。確かに。
- 内田
- で、本木さんは3人の男兄弟で。
長男はもう結婚して子どももいて、実家に暮らしてたから、
「次男だから、なんとか、
うちにお婿さんに来てもらえないか」って。
だから、結婚の方法については、
私の気持ちがどうこうっていうよりも、先に母が‥‥。
- 伊藤
- 盛り上がったっていうか。
- 内田
- うん。「もし、本木さん‥‥」って母が言うんですって。
私は外国にいて、日本にいないとき、
本木はときどき仕事で母と一緒になったりして、
そのときに「たとえば‥‥」みたいな話で、
婿入りをお願いされたんだそうです。
- 伊藤
- おもしろいなあ。
- 内田
- 本当に結婚したいんだったら、って。
自分も「中谷」っていう姓から内田家に嫁いで、
主はいないんだけども、責任感が強く、
古風なマインドを持っているんです。
どうしてそこまで家というものにこだわったのか、
私もいまだにわからないけれども、
彼女のロジックのなかでは、内田家に嫁いだ女として
それがいちばん正しいと思ったんでしょうね。
- 伊藤
- そんな、外国に9歳の娘を置いてくるみたいな、
ちょっとハチャメチャなところもありつつ‥‥。
- 内田
- そうなんです。
- 伊藤
- でも、根を張るということについての覚悟や考えは、
そんなに古風なんですね。
- 内田
- そう。ものすごく激しい落差です。
間がちょっとないんじゃないかっていうか。
自分の信じてること、
大切にしてることについてはとても古風です。
私はよく母と揉めたんですけど、
男性はこういう性質、女性はこういう性質って。
男女差別っていうことではないんだけど、
母は「その性質を活かしなさい」っていうことを、
周りにも言ってた人で、
今の時代には珍しいような考え方をずっと持っていました。
- 伊藤
- ええ。
- 内田
- なのに父はああいう破天荒の代名詞みたいな人で、
家には一度も一緒に暮らしたことがない。
けれども、ずーっと私のなかで
「あの人が父親なんだ。尊敬しなきゃいけない存在なんだ」
っていうことが皮膚感覚で残ったのは、
母がそれを大事にしてきたからなんでしょうね。
- 伊藤
- うん、うん。
- 内田
- 小さいときから
いっさい父の悪口は聞いたこともないし、むしろ
「とても尊敬に値するすてきな人なんだ」
「普段はいないけれども」っていうふうに思っていました。
思春期になって、
私がいろんな疑問を投げかけるようになるまでは。
- 伊藤
- 日本の家庭だけじゃないかもしれないけど、
家父長的に、お父さんが「うちの愚妻が」と
家族を下に見るというようなことや、
逆に、不在がちなお父さんのことを、
お母さんが悪く言うみたいなことは、なかったんですね。
- 内田
- そういうことはいっさいなかったですね。
- 伊藤
- うん。そのほうが絶対すてき。
- 内田
- それが、思春期になって、
私が「やっぱりおかしいぞ」と。
父の日以外に会うときはだいたい酔っ払っていて、
夜中の2時、3時に来て、外でわめいて、
仕方がなく鍵を開けて入れて、
そうするともう家の中のものはひっくり返すし、
母にももう悪態をつくし、寝てても私を叩き起こして
「座って俺の話を聞け」っていう状態は、
どう見ても尊敬できないっていうか、
恐ろしい、嫌な、やっかいな対象でしかなかった。
そんな人を、なぜそこまで、母は、と。
- 伊藤
- うんうん。やっかいですね、ほんとに。
- 内田
- 「じゃあ結婚ってどういう意味があるわけ?」と。
籍だけを入れて、言ってみれば、
母がずっと父の衣食住を全部養って、
その父は私たちには1円も入れずに吸い取るだけっていう、
理不尽の象徴でした。
そこから私が母に「なぜ? 結婚とは何?
家族とは何? 夫婦とは何?」って。はい。
- 伊藤
- 大きくなるうちに、
今まで暮らしてきた環境が、
「あれ、なんか違うぞ」って、
ちょっとずつ、こう‥‥。
- 内田
- そうですね、感じてきたんでしょうね。
ただやっぱりインターナショナルスクールにいると、
みんな違って当たり前っていうところがあるから、
人との差をあまり濃く感じずに済んだのだけれど‥‥。
- 伊藤
- 半年ぐらい、日本の普通の学校に
行ったこともあるんですよね。
そのときにちょっとだけ
違和感を感じたとか‥‥。
- 内田
- そうですそうです。
初めてそこで違和感を知ったというか。
小学校6年生で日本語のために
日本の学校に転校したときから、
「あ、やっぱり『普通』ってある。
目に見えないけども、『これが普通』ってものが、
日本には、ほんとうは、あったんだな」って。
「うちは違うぞ」って。
そして、母がなにを守ろうとしてるのかっていうのが
やっぱり理解できなかったから、とても辛かったですね。
思春期のころは。
- 伊藤
- やさぐれたり、反抗したりする時期はありました?
- 内田
- うーん。家庭で母はすっごく怖い人だったので、
1回しか言わないっていうこともそうだし、
つねにある種、切れるナイフのようでしたから。
頭がいいからなんでも早いし、ロジカルだし、
一石二鳥も三鳥も同時に、時間もすごく有効に使うし。
だけれども、なんのために父と
こういう関係を結んでいるのかっていうのは、
ずーっと、私のなかでの、ま、ある種の反抗でした。
怒りっていうか。
で、そこをぶつけると、すごく丁寧に話をしてくれました。
- 伊藤
- そうなんですね。
(つづきます)
2019-12-29-SUN