「ずっとお目にかかってみたかった」という
内田也哉子さんを、伊藤さんの部屋にお招きして、
のんびり、ゆっくりと話をしました。
テーマをとくに決めずに始まった対話ですが、
自立の話であり、
母であること、娘であることの話であり、
人生の理不尽の話でもあり、
出会いと別れの話であり‥‥。
尽きない話題を、7回にまとめました。
ふたりといっしょにお茶を飲みながら、お読みください。
(写真=有賀 傑)
その5自由が嫌だった。
- 内田
- 不登校といえば、母が生前、2015年に、
不登校の子どもたちや
親に向けたシンポジウムに参加したことがあるんです。
- 伊藤
- 9月1日が、子どもの自殺が最多ということについて、
メッセージを送ってらっしゃった。
- 内田
- そうなんです、9月1日。
昨年、2018年のその日は、母が入院中で、
まさしく死に向かっているなか、
今日は、ほとばしる未来がある子どもたちが、
学校でのいじめだったり、生きづらさだったりを理由に
自殺するっていうこの現実に
もうほんとに耐えられなくて、
涙を流しながら、
「死なないでね」っていうふうに言ったんですね。
それを受けて、
私もまったくそういうことを知らなかったし、
うちの子どもたちはそこまで学校行きたくないっていう
ふうになったことがなかったので、
そういうことが日本で大問題だっていうことさえも
知らなかった自分がとても恥ずかしかった。
- 伊藤
- 学校に行きたくないって言えない環境なのかな?
- 内田
- 不登校の子どもは、学校に戻れないということは、
社会にいつまで経っても戻れないのと同じだって、
想像を先に進めてしまって、
だからもう死ぬしかない、僕は死ぬしかないって‥‥。
「学校か、死か」っていうことになっちゃうんですね。
それはもちろん、一人ひとりに聞けてるわけじゃないから、
ざっくりしすぎなんですけど、どうやらそういうことだと。
しかも、いろんな先進国のなかでも
子どもの自殺率は、日本がかなりの上位なんですって。
じゃあ私たち大人が、
「学校に行かなくても全然生きる道はあるよ。
学校という機関に行かなくても
学びのチャンスはいくらでもあるよ」っていうことを、
当たり前のように提示してあげてないっていう現実が、
選択肢を狭めてるっていうか。
- 伊藤
- うん、うん。
- 内田
- もし急に自分の子どもが学校に行きたくないとなったときに、
伊藤さんのように半年間も、
「いいよ、いいよ」っていうふうにできるかって言ったら、
私はもしかしたらもっと早くに不安になって、
「こうしてみろ、ああしてみろ」って
言ってたかもしれないなっていうのは想像できる。
- 伊藤
- 私、ばかなのかも?
- 内田
- えっ、そんなことないですよ!
- 伊藤
- その時じつはちょっとうれしかったんです。
あの年頃の娘とずっと一緒にいれたのは、
今思うとすごくラッキーだった。
- 内田
- 財産ですよね。
- 伊藤
- そう。
- 内田
- 不登校の子どもをカウンセリングする人と
対談したときには、
そういう期間って、人から見たら
ただ闇の中で閉じこもって
なにも動いていないって見えるかもしれないけど、
熟成の期間だと思うようにって。
発酵期間っていうか、
のちに自分がおいしくなるためにっていうと変だけど、
自分がもっといろんな豊かさを持てる、
あるいはいろんな選択肢を
自分のなかで膨らませられるための
熟成期間だっていうように、
家族も本人も思えるようにって。
だから、追い込まない。
いつ? どうする? とは、
絶対言わないっていうのが鉄則だ、みたいな。
そういう話を専門家から聞いたりすると、
伊藤さんはそういうことを知らず知らずのうちに
感覚的にやってらしたっていうことが、
ほんとにすてきだなって思いました。
- 伊藤
- もともと私も学校が苦手なタイプだったんです。
- 内田
- 伊藤さんのご両親はどういう方でしたか。
子どもに対して。
- 伊藤
- 私はなんにも言われたことがないんです。
- 内田
- 勉強をしなさいもないし、
こういうことしちゃだめよもない?
- 伊藤
- なんにも言われなかった。
口は出さないけどお金は出すという。
- 内田
- でも、私もそうだったんですよ。
- 伊藤
- うん、うん。
- 内田
- だけど、それがすっごく嫌だったんですよ。
- 伊藤
- へえ‥‥。
- 内田
- そこがおもしろいなと思って。
「なんでもありだよ。なんでも自由にしなさい。
その代わり、責任は自分でとりなさい」っていう中で、
私はどこか、いつも
「これで大丈夫だろうか」っていう危機感を抱えてた。
- 伊藤
- 結局、自由ってそういうことなんですよね。
- 内田
- だから、小さいときから、
自由なんてなに一つおもしろくないし、
もっと「こうしろ、ああしろ」って
言ってほしいと思ってました。
そしたら考えなくて済むじゃないですか。
考えるのに疲れてました。子どものときから。
- 伊藤
- そうなんですね。
- 内田
- だから、伊藤家の、
口は出さないけどもお金は出す、
つまりサポートしてくれるっていうことは、
いい親だったって思える。
その大らかさが羨ましいです。
- 伊藤
- うん。すっごいうれしかったです。
‥‥、やっぱり私がばかなのかも?
- 内田
- いやいやいやいや。
それは生命力が真っ当っていうことですよ。
ちゃんと、与えられた環境を、
おもしろがりながら生きてこられた。
じゃあ、反抗期もなく?
- 伊藤
- 反抗期もなかったですね。
- 内田
- いつも、お母さんとも仲良く、
なんでも話し合えて、みたいな?
- 伊藤
- そうですね。でも、父は、わりとこう、
近寄りがたいというか、「父」っていう存在でした。
うちの母もやっぱり立ててる感じはありましたね。
内田さんの「自由が嫌だった」というのは面白いな。
- 内田
- 嫌で嫌で。
友だちは、お母さんやお父さんに
「何時までに帰ってきなさい」
「ああいうエリアに行っちゃだめよ」って、
いろんなルールがあって、
それをいかにすり抜けようとしてるかっていう感じで、
羨ましかったですね。
- 伊藤
- それも言われなかったんですか?
- 内田
- はい。でも、お友だちは私を羨ましがる。
だって、門限もないし、
誰とどこに行ってもいいし。
だから、結局、
ないものねだりだったんだろうなとも
思うんですけどね。
がんじがらめだったら、
きっとそれを打ち破ろうとしただろうし、
もっと反抗しただろうし。
- 伊藤
- 娘が戻りたいと言った学校は、
人と比べない校風なんです。
「違って当たり前」っていうのが、
親にも先生にも、子どもたちにもある。
それが普通で育ってきたので、とつぜん
「同じで当たり前」っていう環境に「あれ?」って。
- 内田
- そんなに違うんだ。
- 伊藤
- そのあと、「一度、外に出なかったら
今の環境がいいって思えなかった」って。
なんか区切りになったみたいで、それについて
「ありがとね」って言われました。
- 内田
- ああ!
- 伊藤
- 私が勝手に振り回したわけだけれど、
「やだ、行きたくない」みたいのはあっても、
私の子に生まれちゃったし、って。
- 内田
- 伊藤さん、そんなに、
本能のおもむくままに、
っていう感じの性格なんですか?
- 伊藤
- うん。わりとそうです。
- 内田
- じゃあ、たとえば、この生活も、
がらっと変えられる?
- 伊藤
- はい。急に引っ越したくなるし。
そういえば、のちのち、娘が18歳ぐらいのときに、
「ママが自分の人生を生きてくれてるから、すごい楽」
みたいなことを言われました。
- 内田
- うんうんうん。
- 伊藤
- 「えー。ほんと、よかった。
ごめんね、こんな、いろいろなのにー」と。
それはすごくうれしかったことの一つです。
- 内田
- ほんとに心の奥のほうで
なにか細くつながってるっていうのを
勝手に感じちゃったんですけど、
ほんとにそれって、親子であっても、
幸福な出会いだと思います。
なかなか、自分の親でも、
自分の子でも、兄弟でも、
そこまでのシンパシーだったり思いやりだったり、
そういうものって得られないみたいですね。
- 伊藤
- 子どもができたとき、どう思いました?
うれしかった?
- 内田
- いや、えー‥‥、それ、考えたこともなかったです。
- 伊藤
- 私は、なんてことをしてしまったんだろうと思ったんです。
- 内田
- え、なんてことをしてしまっ‥‥た、って??
- 伊藤
- もう、取り返しつかないじゃない、って。
- 内田
- それは、負荷の意味で?
- 伊藤
- 「どうするんだろう」みたいな。
だって、一人、人間を育てるって、
やってみないとわからないし、
でも、産んだら、「やったけどだめだった」
ってことはできないので、
「よし、いちかばちかだ」みたいな気持ちになって。
- 内田
- ええ。
(つづきます)
2019-12-31-TUE