「ずっとお目にかかってみたかった」という
内田也哉子さんを、伊藤さんの部屋にお招きして、
のんびり、ゆっくりと話をしました。
テーマをとくに決めずに始まった対話ですが、
自立の話であり、
母であること、娘であることの話であり、
人生の理不尽の話でもあり、
出会いと別れの話であり‥‥。
尽きない話題を、7回にまとめました。
ふたりといっしょにお茶を飲みながら、お読みください。
(写真=有賀 傑)
その6なるようにしかならない。
- 伊藤
- で、いちかばちかで娘を産んだんですけど、
3歳ぐらいまでは、ずっとぼーっとしてましたね。
「ああ、赤ちゃん育てるのってこんなに大変なんだ」って。
手間がかかるし、全然自分の思いどおりにならないし。
「全部自分の時間だったのに‥‥、はあー!」
- 内田
- そうですよね。
- 伊藤
- それを若いお母さんでもある仕事仲間に言ったら、
「それ、伊藤さん、声を大にして言ってください」って。
私を見てると、全部楽しそうで、なんにも不安もなく、
「キーッ」てなることもなく見えると。
そんなことないですよ。
- 内田
- 私もそんな勝手なイメージです。
もう、お母さんというイメージを見事に体現されてて。
- 伊藤
- そっかな?
- 内田
- 正しいとかきちっとしてるって意味じゃなくて、
そういう心の交流もきっとできるだろうし、
おいしいごはんも食べさせてくれるだろうし、
すてきなお洋服も作ってくれるだろうし、
もしつまずいても「いいよ、いいよ」って言って、
強く子どもにプレッシャーをかけることもしないだろうし。
なんか、とってもバランスのいい印象でした。
- 伊藤
- そこまで「キーッ」とかなったりすることは
なかったんだけれど、
自分の思いどおりにならないことが多すぎて。
- 内田
- そりゃ、子どもだとね、多すぎますよね。
- 伊藤
- こんな大変なことを‥‥。
- 内田
- みんなやってるの?! って。
- 伊藤
- そう。「それってすごくない?」って。
だから、お母さんとしての友だちができたとき、
同志! みたいな感じがしました。
「一緒に乗り切ろう?」みたいな。
とくに保育園だったから、
お母さんはみんな働いてましたし。
- 内田
- 心地よかったですか? ママ友は。
- 伊藤
- そうじゃない人は、目に入らないようにして。
- 内田
- いるんですね、それは。人間だから。
人間界のどこでもいるように。
- 伊藤
- やっぱりね、いろんな人がいる。
- 内田
- 伊藤さんはいろんなことを
けっして負にはとらえないところがありますよね。
- 伊藤
- そうですね。むしろ「ルン!」みたいな。
- 内田
- ときめいて? それが伊藤まさこパワー。
娘さんのことは、
もう、生まれたときから好きでしたか。
自分の子だけど、自分とは別な存在として、
いいなって思えるようになったのは、年々?
- 伊藤
- うーん、3歳ぐらいまでは
育てるのが必死すぎたから‥‥。
- 内田
- そのあと、コミュニケーションが取れるように
なってきてから、「この子、いいな」みたいな?
- 伊藤
- そうですね。4歳ぐらいかな。
そこからは「おもしろいな」って見てます。
出産や子育てもそうですが、
人生において、
大変なことが起こると、
どうやら私は
しばらくぼーっとするタイプのようです。
父親が亡くなったときも、泣き叫ぶとかじゃなくて、
「えー‥‥?」というような。
今でもそれが続いてるんですよ。
受け入れられないのかどうか、
よくわからないんですけど‥‥。
- 内田
- 衝撃がやっぱりおっきすぎて‥‥。
- 伊藤
- そのあと、母が父のものを片付けてるとき、
ぐっと来たり。
ちょっと変。ずれてるかもしれない。
- 内田
- 大変なときって、
いろんな決断を迫られるじゃないですか。
- 伊藤
- そうですよね。
- 内田
- そういうときは、とりあえず指示は出すんですか?
- 伊藤
- うーん。
- 内田
- 私は最近、親が2人とも亡くなって、
一人娘だっていうのもあるけど、
いろんな決断を一気に迫られて。
- 伊藤
- そうですよね。
- 内田
- だから、ほとんど、
悲しめるひとときがなかった。忙しすぎて。
- 伊藤
- 確かに。うちの父が亡くなったときは、
急に病院にいろんな人が来て、
葬儀屋さんが「お寺はここで」と。
で、みんなぼーっとしてるもんだから、
「はい、はい」と言われるままにしていたら、
長女が急に我に返って、
「パパ、全然、信心深くなかったのに、
そんな知らないお寺でお葬式をあげるの、おかしくない?」
って。それで、みんな、「はっ!」となって。
- 内田
- どうしたんですか、それで。
- 伊藤
- 「そうじゃん、そうじゃん」と。
父も入院したときに
「死んでも誰にも知らせないでいい」って言っていたので、
「じゃ、もう、家に連れて帰ろう」って。
長女が花を飾って、親しい人だけ呼んで、
シャンパン、おっきいのガンッて置いて、
思い出を話して、過ごしました。
- 内田
- すてき。じゃあ、なんにも、宗教的な儀式はなく?
- 伊藤
- いっさいなく。
お墓は、母が、地元で樹木葬のできるところを探して。
今行っても、丘に木があるだけです。
也哉子さんは、一人っ子だから、
確かにたいへんだったでしょう。
テレビでも、淡々としていらっしゃった。
- 内田
- 母が亡くなって1年経って、父はまだ半年ぐらいで、
いつ、その感情にのみ込まれる瞬間が来るんだろうって、
不謹慎だけど、ちょっとたのしみっていうか。
もっとパーソナルに抉(えぐ)られるものが
あるかと思ったら、そういう感じではなく、
ものすごいおっきななにかに頭を打たれて、
ぼーっとしてるような感じだったんです。
でも、やらなきゃいけないことは
次々とベルトコンベアみたいに来るから、
「じゃ、これはこれ」「これはあれ」って、
選んだり、遺品整理したり。
いろんなことが、まだ、「これでもか」って。
こんなに人ひとり、ましてやふたり死ぬっていうことは
面倒なことなんだなって。
- 伊藤
- そうですよね。
- 内田
- まあ、母はものすごく、
物理的には整理整頓をしていたし、
ましてやおんなじ家に、二世帯で住んでいたから、
べつに新たになにかっていうことはないけれども、
それでも人間関係はそんなに急に
プツッと切れるわけじゃないから、
いろんな人との交流も含めて、
することがたくさんあるんですね。
さらに、母のことをお仕事として話すとか
書くとかっていうことが、とても多くなっている。
それも、どこまでかなって今思っています。
最初は物理的に
「今ちょっと、それどころじゃないから」って
距離を置いていたけれども、
ぽつぽつと始めていくと、
わりともうひっきりなしに
そういうものばっかりになっちゃって。
うーん。それも、どうなんだろ? って。
- 伊藤
- うーん。
- 内田
- 小さいときはすごく、
母の子である、父の子であるってことを隠してたんですね。
「お父さんとお母さん、どういう仕事してるの?」
って訊かれたら、サラリーマンです、主婦ですって
言ったりしてたのが、
旦那さんと結婚しちゃったら、
旦那さんも公っていうか、表に顔がさらされてる人だから、
結婚したらつねに、そういう人たちに囲まれることなので、
もう隠してることさえも無意味になって。
母はわりと自然体だったから、
私の写真もなんでも出していましたし、
今みたいに絶対に顔出しませんっていう
価値観もなかったし。
なんとなく、気がついたらこうなっていた、
っていう感じですね。
でも、すっごく嫌だった。
親がこういう仕事をしてるってこともそうだし、
両親が離婚の裁判をしているときも追いかけ回されたし。
- 伊藤
- 「隠したい」みたいな子ども時代から、
今はどういう感じですか?
- 内田
- 今は、受け入れるしかないっていう、受け身な感じです。
たとえば、母は生前、
「本はいっさい出さないでくれ」って言っていたんですね。
依頼がくると、「資源の無駄だし、
私の話すことはおもしろくもなんともないから、
本はつくりません」っていうふうに断ってるのを見てきた。
でも、自分でやってた事務所の留守番電話には、
もう一切合切の二次使用、
自分がどっかで出たものはどうぞご自由に、
って言ってたから‥‥。
- 伊藤
- うんうん。
- 内田
- 亡くなってすぐに本の出版の依頼が来たときに、
「母は本を出さないと言ってたので」と言ったら、
「でも、二次使用OKっておっしゃってましたよね?
これ、全部二次使用ですよ」って言われて。
「じゃ、どうしたらいいんだろう‥‥、
じゃ、もういいか」と。
でも極力、母が気にしてた資源無駄遣いはいやだから、
「最初はすごく少なく出してくださいね」っていう約束で。
そしたら、徐々に売れちゃって、
お葬式が終わって間もないぐらいのころに言われた
最初の本が、今年の日本の本のなかでの
ベストセラーになっちゃったって聞くと、
「まあ、なんか不思議な人生だな」と。
- 伊藤
- ええ。
- 内田
- 受け身でいたからこういうふうになったわけで、
計画してこうなったわけじゃない。
これは、なるようにしかならない、受け入れるしかない。
結局「どうぞ」って言ってるうちに、
10冊ぐらい、いろんなジャンルの本が出て、
私にも聞かないで勝手に出てる本も何冊かあるし、
もう、肖像権もなにもないですよね。
- 伊藤
- それって、なんだか、うーん?
- 内田
- 「まあ、いいか」と思うしかないです。
(つづきます。次回、最終回です。)
2020-01-01-WED