神奈川県伊勢原市で
200坪の面積で倉庫兼ショップを構える
「北欧家具 talo」。
フィンランドやデンマークの
ヴィンテージ家具を探すならここ! と、
目利きたちが注目しているお店です。
店主の山口太郎さんは、
もちまえのエネルギーと人の縁で、
27歳のとき、フィンランドとつながり、
それ以来、北欧家具ひとすじの人。
今回「weeksdays」では
太郎さんと伊藤まさこさんが選んだ
30脚のヴィンテージチェアを紹介します。
太郎さんって、どうしてこの仕事に就いたんだろう?
伊藤まさこさんがインタビューしました。
山口太郎さんとtaloのこと
山口太郎
1973年神奈川県生まれ。
北欧家具 talo(タロ)主宰。
フィンランド、デンマークから買い付けた
ヴィンテージ家具を輸入、
自社で殺菌・除菌をし、リペアして販売をおこなう。
日常的に使われてきた家具を、
高品質でリーズナブルに提供することをめざす。
taloのウェブサイトはこちら。
その13つの野望で輸入業を志す。
- 伊藤
- 太郎さんは、なぜ北欧の家具屋さんに
なろうと思ったんですか。
長いおつきあいなのに、
いちども聞いたことがありませんでした。
- 山口
- 最初は、家具とはまったく関係のない
仕事をしていたんです。
家が美容院の経営をしていたので、
学生時代は、漠然と、
自分は美容師になるものだと思っていました。
僕、昭和48年生まれなんですけど、
学生時代はバブルのちょっとあと、
世の中がグチャグチャな時代で、
自分の中で思っていたのは、
サラリーマンができない人は
自分でなにか立ち上げるしかない、って(笑)。
- 伊藤
- うん。
- 山口
- 今は優秀な人が経営者になる時代だけれど、
僕の育ったところは、
神奈川県といっても都会ではなかったので、
お店を始めたりする人が多かったんですよ。
朝もちゃんと起きられないし、
上司の言うことも聞けないだろうから、
最初から独立して仕事をしたほうがいいや、
みたいな発想の人がいっぱいいて、
僕もその中の一人でした。
それで25歳のときに
「輸入業でもやりたいな」って。
- 伊藤
- 「でも」って!
「こういうことが好きだな」って思っていないと、
ふつう、こういうふうにはならないでしょう?
- 山口
- そうなんですよ。
僕、そのストーリーが成り立たないから、
こうして取材の機会をいただいても、
いつも「残念ですね」って言われるんです。
好きで好きで始めました、
っていうストーリーがいいですよね。
- 伊藤
- アハハハハ!
- 山口
- 全くデザインの勉強もしてないですし、
家具の勉強もしてないですし、
物販の勉強もしてないです。
- 伊藤
- なぜ「輸入」っていうキーワードが
出てきたんですか?
- 山口
- 一石三鳥だなぁって思って。
- 伊藤
- ん? んんん???
- 山口
- 輸入の仕事で語学が達者になりそうだし、
旅行気分で海外に行くこともできるし、
きっと外国人のガールフレンドができるし、って。
- 伊藤
- えっ、なんですか、それ~(笑)!
軽薄! 若さゆえの軽薄! もう!
- 山口
- そうなんですよ。
そう言うとすごい軽い感じですよね。
でも自分としてはホントに夢をもって、
希望を抱いての「輸入業でも」だったんです。
- 伊藤
- 買い付けって実際は
すごく大変な仕事ですよね。
- 山口
- そうです、そうです。
現実はそんなに甘くなかったです。
輸入をやれば、
全体的に自分の人生が楽しくなるはずだ、
っていう思い込みで始めちゃったんです。
- 伊藤
- 英語は‥‥。
- 山口
- 全く話せなかったです。
それまで、勉学をしてませんでしたから。
でも、親類で骨董屋さんをやってる人がいたり、
伯父が書画の先生だったり、
古いものに触れる機会は子どもの頃からあって。
- 伊藤
- あら、ホラ、やっぱりあるじゃないですか!
- 山口
- そう言われたらそうですね。
- 伊藤
- そうですよ。じゃなきゃ、うん。
小っちゃい頃とかは
分からなかったかもしれないけれど、
いま思うと「あのときのあれ」みたいなことって、
影響するものですよ。
でもいっぽうで、そういう闇雲さというか、
若さゆえに突っ走っちゃった感じというのは、
いま、なにかしたいなって
モヤモヤしている若い人にしてみたら、
勇気の出る話だろうなって思います。
- 山口
- そうだといいですけど。
- 伊藤
- それで、語学と旅行とガールフレンドに向かって、
最初に何をしたんですか?
- 山口
- 25歳のとき、とりあえず海外に行こうと。
当時は海外といえばアメリカで、
情報がとにかくアメリカしかなかったんです。
ウェブもない時代で、紙媒体しかなくって、
『ポパイ』を読めば「アメリカ最高」って書いてある。
NIGOが行ってるなら俺も行く!
って、アメリカに行ったんです。
そして1週間ぐらいで分かったのが、
ここで成功するのはハードルが高すぎるってことでした。
いきなり挫折です。
- 伊藤
- 相手が大きすぎたってこと?
- 山口
- 何ひとつ、とっかかりがないんです。
頼れる人がいるわけでもない、
語学ができるわけでもない、
学校に入るわけでもない、
バイトするわけでもないっていう状態で
一人でポンとアメリカに行っても、
そりゃ、何をしていいか分からないですよね。
しかも、なぜかテキサスに行っちゃって。
- 伊藤
- 西海岸とかじゃなく?
- 山口
- なくて。
生粋のアメリカ人が少なくて、
アジア人がいっぱいいて、
彼らのエネルギーがもう半端なさすぎて。
日本に生きてたときには感じなかった、
サバイバル感みたいなものが、
露店のおじさんからですら、出ていて。
「この人たちに勝てる気がしないな」っていうのことを、
すごく思いました。
- 伊藤
- 「ここでやっていくんだ」という
強い気持ちがあるんでしょうね。
- 山口
- そんな中に、語学もできないのに入っていって、
「成功するまでの道のり、気が遠くなるな」
って感じました。
- 伊藤
- 「何を輸入しよう」は決めてなかった?
- 山口
- ああ、もう、全然考えてないです。
でも、とりあえず行ったんで、
何か輸入しておかないと、
親の手前もありますし。
- 伊藤
- お金を出してくれたんですか?
- 山口
- 祖母でしたね。「これ使いなさい」って。
それと自分で1年間働いて貯めたお金を握りしめて、
全部使ってこようって思って行ったんです。
でも何を買えばいいか分からない。
でも何か持って帰らないと格好がつかない。
そもそもやり方も知らないから、
何か輸入することで、
やり方ぐらい覚えて帰ろうと思いました。
- 伊藤
- 何を持ってきたんですか?
- 山口
- オールドノリタケとか、ガラス系です。
あとはスーパーで売ってる、普通の自転車。
今でいうBMXですね。
まだ日本にあまり入っていなかったから、
それを買って。
- 伊藤
- どうやって持ち帰ったんですか。
- 山口
- ですよね。何も前調べをしていかなかったので、
輸入が難しいなんて想像もしていなかったんですよ。
宅配便の会社に頼めば、
きっとモノが日本に着くんだろうな、って。
税金を払ってとか、
書類で細かいことを書かなきゃいけない、
みたいな発想はそもそもなかったんです。
- 伊藤
- じゃ、その場凌ぎで?
どこに持っていったの?
- 山口
- そもそもなぜテキサスだったかっていうと、
地元にイラン人の友人がいたんですよ。
このへん、イラン人が当時多かったので。
そしたら、「俺の友だちがテキサスにいる」って言うから、
「じゃ、テキサスにしよう」って、
テキサスに行くんですけど、
「ちょっと日本にいたので日本語ができる」って
言われていたその人は、
日本語はぜんぜんわからない人だったんです。
- 伊藤
- !! 今の「talo」の成功があるから冷静に聞けるけど、
その当時の太郎さんに会ったら、
「何言ってんの」って言っちゃいそう(笑)。
「もう、この子は」みたいな。
- 山口
- そうですよね。
(つづきます)
2020-02-08-SAT