神奈川県伊勢原市で
200坪の面積で倉庫兼ショップを構える
「北欧家具 talo」。
フィンランドやデンマークの
ヴィンテージ家具を探すならここ! と、
目利きたちが注目しているお店です。
店主の山口太郎さんは、
もちまえのエネルギーと人の縁で、
27歳のとき、フィンランドとつながり、
それ以来、北欧家具ひとすじの人。
今回「weeksdays」では
太郎さんと伊藤まさこさんが選んだ
30脚のヴィンテージチェアを紹介します。
太郎さんって、どうしてこの仕事に就いたんだろう?
伊藤まさこさんがインタビューしました。
山口太郎さんとtaloのこと
山口太郎
1973年神奈川県生まれ。
北欧家具 talo(タロ)主宰。
フィンランド、デンマークから買い付けた
ヴィンテージ家具を輸入、
自社で殺菌・除菌をし、リペアして販売をおこなう。
日常的に使われてきた家具を、
高品質でリーズナブルに提供することをめざす。
taloのウェブサイトはこちら。
その2アメリカで挫折し、
アジアで夢破れ。
- 伊藤
- 輸入の仕事がしたくって、テキサスに。
そこではどうだったんですか。
日本語のわからないイランの人のところに、
英語のわからない太郎さんが行って。
- 山口
- それでもなんとかコミュニケーションを取って、
「こういうことがしたい」と言ったら、
イラン人も知ったかぶりしたのか、
「できる。そんなの余裕だよ」って。
いいかげん同士が重なり合って。
- 伊藤
- アハハハハ。
- 山口
- 「空港で働いてる友人がいて、貨物やってる」
と言うので、そこに行ったんです。
そうしたら何が困ったかって、用語がわからない。
「インボイスはどこなんだ」って言われて、
インボイスの意味が分からないんです。
今は携帯で調べればいいですけど、
辞書を持っていってないですから。
- 伊藤
- インボイスって、輸出入にあたって必要な
内容物の詳細なリストですよね。
税関への申告に使う‥‥。
そっか、そりゃ当時は知らないですよね。
- 山口
- でも世の中どうにかなるもので、
「とりあえず日本に送ってくれ、いくらでも払う」
みたいな感じで言っていたら、
「もういい。わかった」みたいになって。
僕、その時、祖母にもらったお金と、
バイトで貯めたお金を足して、
200万円ぐらい持っていたんです。
当時の僕にはとんでもない大金です。
それで「金は払うから」って繰り返して言っていたら、
「よく分かんない日本人が面倒くせえな」みたいに、
たぶん、なったと思うんですよ。
ところが足元を見られて
輸送費が莫大にかかってしまって。
そういえばイラン人も、泊めてくれたんですが、
結局「宿泊代、10万よこせ」みたいになって、
今思えば居候の5泊で10万って高いんですけど、
やっぱり足元を見られました。
- 伊藤
- あるでしょうね、そういうこと。
- 山口
- それでもどうにか日本に送ることができました。
インボイス問題は、テキサスで、
日本に支社のあるオフィスが対応してくれたらしくて、
なんとかなって。
- 伊藤
- その自転車とかは売れたんですか?
- 山口
- 結果、売れました。すぐ売れました。
- 伊藤
- へえー! どこで売ったんですか?
- 山口
- 当時、父が美容院の経営に見切りをつけて、
リサイクル屋を始めていたんです。
持ってきた商品を売る場がないから、
そこのリサイクル屋で売らしてくれと頼み込んで。
そうしたら、すぐ売れたんですよ。
なぜかって言うと、
それこそ『ポパイ』があったから、
紙媒体でのアメリカ情報は溢れていた時代で、
でも、神奈川のこのあたりは想像以上に田舎で、
アメリカから持って来たものを扱うショップは
すごく少なかったなかに、
自転車なんか、最新のものを持ってきたから。
- 伊藤
- でも、値付けが高くなっちゃったでしょう?
ショップで正規購入したものに、
輸送費や渡航費、税金や諸経費、
それに太郎さんの利益を足したら‥‥。
- 山口
- それがですね、ほぼ原価で売っちゃったんです。
ちょっとはのせましたよ、
1万円で買ったら、1万2000円ぐらいで。
でも完全に赤字ですよね。
- 伊藤
- だから売れた、ということでも
ないような気がしますけれど‥‥。
- 山口
- 運も良かったんです。
何が起こってたかっていうと、
都内のインテリアショップのオーナーさんたちの間で、
「神奈川の近郊のリサイクルショップには、
昭和初期のレトロなものがまだ残ってるぞ」
と、探しにきていたんですよ。
- 伊藤
- へえ!
- 山口
- そういう人たちが来て、買っていってくれました。
おしゃれで、地元とは全然雰囲気の違う大人だった
という覚えがあります。
- 伊藤
- なるほど。
いいお客様がいて、売れたことは売れたけれど、赤字。
そして「輸入業はたいへん」ってこともわかったと。
それで、次にどこへ行ったんですか?
- 山口
- 輸入の仕組みが分かって、
持論としてそのときに思ったのが、
輸入業を成功させるには
物流をおさえなきゃいけないんだってことでした。
じゃあ物流を構築しようという目標をもって、
アジア各国に雑貨を買いに行きました。
とにかく輸入がしたかったので、
ものはなんでもよくて。
- 伊藤
- なかなか、家具に行きつかない!
- 山口
- そうなんですよ(笑)。
- 伊藤
- 早く、早く(笑)!
でもどうしてアジアだったの?
- 山口
- アメリカは肌感覚として
勝っていくには難しいって分かったし、
そりゃできればヨーロッパが
カッコいいとは思っていましたけれど、
アジアだったら勝てるんじゃないかと思って。
- 伊藤
- 「勝てる」って。もう。
確かに、その頃は、渋谷や原宿界隈で
中国やベトナムの雑貨が輸入されはじめて、
ちょっとした流行になっていましたよね。
- 山口
- そうです、そうです。
それに影響されて、アジアがベースだったら
勝てるだろうって思って、
ベトナムや香港、深圳に行くんですけど、
時代はすでにアジア各国に中国の資本が入っていて、
輸入業者の規模も大きくなっていたんです。
ベトナム人の知りあいが
「洋服の安い工場がある」というので行ってみたら、
「さて、あなたはいくら投資できるんですか?」
みたいな世界でした。
話の桁が違うんですよ。
で、各所まわって、結局思ったのが、
「アジアでも勝てない」と。
- 伊藤
- 勝ちたいのね。すごいねえ。
- 山口
- 「儲けなきゃいけない!」って。
- 伊藤
- うん、商売を始めるなら当然ですよね。
- 山口
- そうやってるうちに2年経ち、3年経ち。
- 伊藤
- 北欧に早くつきたい(笑)!
- 山口
- ですよね。
僕、結構しつこいタイプなので、
アメリカのあと、十何か国に行ってるんですよ。
だんだん「チャレンジしてる自分が大好き」
みたいな感じになってくんですけど、
- 伊藤
- 若ーい!
- 山口
- でも、負け続けているうちに、
失望しかなくなってくるんです。
それで27歳くらいの時、
「もう俺は勝てない」って思って、
ショボンとしてたときに、たまたま母親が、
「幼なじみの○○くんが、フィンランドにいるよ」って。
- 伊藤
- フィンランド!
- 山口
- 幼なじみだったのが、
大人になったら神奈川と埼玉に別れて、
10年ぐらい会ってなかったんですけど、
建築の勉強にフィンランドに行ってる、って。
「いつでも来いって言ってるよ」って。
- 伊藤
- ショボンとしてるときにそれを聞いたのね。
- 山口
- そう。フィンランドっていう国が
どこにあるかも知らなかったけれど、
行こう! と思って。
- 伊藤
- 資金は? さすがにおばあちゃんは‥‥。
- 山口
- じつは結構一所懸命働くタイプなんですよ。
だから、とにかく働いてお金を貯めていました。
貯まったら外国へ行き、
それを繰り返していたんです。
とはいえ、いま振り返れば、
寛容な家族の存在は大きかったです。
「まあ好きなことやんなさい」って。
- 伊藤
- それでフィンランドに。
何も知らずに。
- 山口
- ヨーロッパのガイドブックにも、
フィンランドのページはほんの少し、
という時代でしたから、
情報がなにもないに等しくて、
とりあえず行ったんです。
27歳で、ことごとく失敗をして、
周りはキチッと働いているのに、
自分だけぷらぷらしていて、
なんの目処も立ってない残念な人間だけど、
幼なじみに会って気分転換しようかなって。
「輸入」のことをあまり考えないようにして、
3泊5日で遊びに行きました。
(つづきます)
2020-02-09-SUN