「weeksdays」初登場となる
SEVEN BY SEVEN(セブン バイ セブン)。
自由であること、強くあること、
ラフであること、そして美しくあること──、
既存の流派に属さない、
独自のものづくりをつづける若いブランドです。
そのSEVEN BY SEVENを立ち上げた
デザイナー・川上淳也さんのことを知りたくて、
伊藤まさこさんがインタビューしました。
場所は、川上さんの自宅。
めったに人を呼ばないというその場所は、
川上さんが青春を過ごしたサンフランシスコの空気と、
「だいじにしているもの」であふれていました。
川上淳也さんのプロフィール
川上淳也
1978年新潟生まれ。
SEVEN BY SEVENデザイナー。
18歳の時に渡米、サンフランシスコで暮らす。
そこで触れたアメリカの古着にのめりこむ。
帰国後、古着のリメイクをスタートに、アパレルの道へ。
2014年ショップ「7×7」、
ブランド「SEVEN BY SEVEN」を立ち上げる。
その1アメリカに憧れて。
- 伊藤
- すごい! いろいろなものがありますね。
インド風味なものとかも‥‥。
とっても可愛い。
川上さんは、アメリカにいらしたんですよね?
- 川上
- はい、90年代後半からですね。
2003年、4年ぐらいに戻って来ましたが、
そのあとも行ったり来たりしていました。
- 伊藤
- じゃもう20年ぐらい前から。
そもそもなぜアメリカに?
- 川上
- ちっちゃい頃から行きたくて。
日本の大学は、ロクなとこ行けないだろうな、
と思っていたから、新潟の田舎を出て、
いっそ好きなところに行こうと。
- 伊藤
- 東京に出るのではなく、
いきなりアメリカに。
- 川上
- 最初に考えたのはニューヨークだったんです。
ところがニューヨークって冬はすごく寒くて雪が降る、
ということを知って、せっかく新潟から出るんだから、
あったかいとこ行きたいなと、
西海岸になりました。
相談した人が、たまたま
サンフランシスコに留学してた人で、
すごくいいよって言ったので。
- 伊藤
- そういえばSEVEN BY SEVENという名前は、
サンフランシスコの別名だそうですね。
- 川上
- そうです、面積が49平方マイルで、
7マイル×7マイルに収まるから、
ローカルの人達は
SEVEN BY SEVENって言うんですよ。
といっても、僕が住んでた時には
そんな言葉はなかったんですけれど。
ブランドを立ち上げるちょっと前に行った時、
その言葉をやたら耳にして、
いい名前だなと思って、そこからいただきました。
- 伊藤
- アメリカに行こうって思った時には、
何をやろうと思っていたんですか。
- 川上
- それが、何にも思ってなかったです。
アパレルも、全く、やろうとは思ってなかったです。
- 伊藤
- ええっ?
- 川上
- 服は好きだったんですけど。
- 伊藤
- そもそも‥‥、なんでアメリカだったんですか。
- 川上
- それが、わからないんですよ。
ただただ、ちっちゃい頃から行きたかった。
- 伊藤
- へええ(笑)!
ここのところ、「weeksdays」でお目にかかるかた、
冒険家的な男の人が多いんですが、
川上さんにもそれを感じます。
「何ができるかわからないけど、ちょっと行ってみよう」
っていうことが人生を変えた、みたいな。
じゃあ、高校を卒業してすぐに?
- 川上
- はい、18で行きました。
知り合いもいないし、
英語もしゃべれなかったけれど、
とにかく行こうと。
- 伊藤
- そんな状態で行ったら、
カルチャーショック的なものはありましたよね。
- 川上
- はい。今のサンフランシスコってすごい都会ですけど、
行った当時は、メチャクチャ危なくて。
今も危ないですけど、
もっとすさまじく危なかったです。
初めてサンフランシスコに到着した日に、
ダウンタウンで素っ裸で捕まってる人を見て、
「すげえとこ来ちゃったな」って。
でも、なんとか、日々、過ごしてました。
- 伊藤
- お金はあったんですか?
- 川上
- ないっす。
- 伊藤
- どうしたんですか、それは。
- 川上
- 最初は親を頼って、
当座の生活資金を借りて。
- 伊藤
- そんな川上さんが
のちにアパレルブランドを立ち上げるまでに至る、
最初のきっかけが、
サンフランシスコにあったんですか。
- 川上
- はい。そこで日々過ごしているうちに、
怪しい場所を見つけたんですよ。
アメリカって、ドネーション(寄付)の仕組みがすごくて、
要らなくなった服を集めて販売する場所があるんですね。
その収益を社会に還元するというような。
その場所はバスターミナルの近くの
かなり危ない地域にあったんですけど、
ドアを見つけて、入ってみたら、
壮絶なくらい大量の服と古道具が山積みになっていて。
その服がきっかけです。
- 伊藤
- それまで古着が好きとか、
そういうことはあったんですか。
- 川上
- もちろん服は好きでした。
けれども、その場所に出会って、
服を漁るようになって、
うんと深いとこまで行っちゃったんです。
- 伊藤
- 寄付されるような服だから、
きっと玉石混交ですよね。
- 川上
- はい、ほとんど新品のものから、
何十年前の服まで、幅が広いというか、
メチャクチャでした。
それをどう漁るかで、目を養っていったように思います。
日本人は僕だけでしたけれど、
みんな、取り合いでした。
知識を持っている人が見ると、
お宝が混じっているのがわかるんです。
もちろん最初は何もわからなかったけれど。
- 伊藤
- そこには、目利きの業者が買いに来ていたのかしら。
- 川上
- いや、そうじゃないんです。
新品では服が買えないような人たち、
なかにはホームレスもいましたし、
メキシコから家族で逃げてきたという人、
そんな人ばっかりでした。
お金になりそうな服を見つけて安く買い、
値段を上げてフリーマーケットに出したり、
古着ディーラーに売ったりしていたんですよ。
パチンコと一緒で、いいのが出た時にはお金になって、
ちょっといいものが食えるぞ、みたいな(笑)。
あるいは、とにかく服に手を突っ込んで
なにかを探している人もいました。
それは、お金や指環を探していたんです。
昔の人って、ブラジャーの内側とかに
そういうものを隠していたんだそうで、
それを専門に探している人がいたんですね。
- 伊藤
- それはみんな必死になる!
でも、その中に入ってるもの、
取って‥‥いいの?!
- 川上
- それはもう、隠して、こっそり。
- 伊藤
- (笑)こっそりね。
- 川上
- 僕はそういう目的じゃなかったけれど(笑)、
古着にはまって、毎日買いに行っていました。
二つ折りにした服で部屋に壁が出来て、
ルームメイトとの仕切りになったくらい。
- 伊藤
- じゃあ、このお部屋にあるものは、
きっと、サンフランシスコにいた当時、
買い集めたものが多いんですね。
- 川上
- ヴィンテージのものは、結構そうですね。
ほんとうに安く買ったものばかりです。
ぼくは、どうやって作ってるんだろう?
誰が作ったんだろう?
って思うようなものが好きなんです。
ヒッピーが作ったアートや、
メキシコで作られたらしい円空みたいなマリア様、
流木、花生け‥‥、
なかには今はもう出ないような、
有名な作家さんのものもありますけど。
あとは、古いヒースセラミックとか。
- 伊藤
- すごく素敵。
- 川上
- 今もあるものですけど、
昔のものは質感が違いますね。
こういうものをいっぱい集めていました。
- 伊藤
- 服だけじゃなくて物も好きなんですね。
- 川上
- 物、大好きですね。
じぶんでも作ったりしましたよ。
これがそうです。
- 伊藤
- 面白い!
マリリン・モンローですね。
- 川上
- そうだ、これも面白いですよ。
リーバイスの古い企業広告です。
フランスの有名なクリエイターが手がけたんですが、
余りにも過激で公開中止になったんです。
これレアです、今。
- 伊藤
- 川上さん、サンフランシスコのことを語るのが、
すごく嬉しそう(笑)。
もっと聞かせてください。
(つづきます)
2020-03-01-SUN