長く伊勢丹新宿店で婦人下着を扱ってきた
「世界一オッパイを見た魔女」こと、松原満恵さん。
彼女の接客を受けたことがあるという伊藤まさこさんは、
そのすばらしさ(魔法のよう!)に感動、
かねがね、年齢を重ねてからの下着の選び方について、
ちゃんとお話をお聞きしたいと思っていたそうです。
ということで対談のテーマは「40代以上の下着選び」。
「まだ」というかたにも、
ぜひ読んでいただきたい内容ですよ!
(写真=有賀 傑)
松原満恵さんのプロフィール
松原満恵
1945年2月生まれ。
伊勢丹新宿店で長く婦人肌着に在籍し、
婦人肌着コーナー「マ・ランジェリー」の
バイヤー、マネージャーを経て
2005年に定年を迎える。
そののちも、さらに10年間、勤務を続けた。
56歳のとき就任した
「ボディコンシェルジュ」は、
予約制でお客さまをお迎えし、
一対一で下着選びをアドバイスする、
伊勢丹ならではのサービス。
現在も松原さんの後輩たちが、本館3階の
「マ・ランジェリー」で
ボディコンシェルジュとして活躍している。
「ほぼ日」のこちらのコンテンツも、副読本としてどうぞ。
●「世界一オッパイを見た魔女。」
●「やさしいおっぱい、なりたいおっぱい。」
その2高い下着と安い下着。
- 松原
- ファッションは、下着から始まる。
私はそう思っているんですね。
たとえば「あの洋服には、この下着は合わない」
ということもありますよね。
透けやすい素材の洋服を着たいときは、
合わない色の組み合わせがあるとかね。
- 伊藤
- はい、よくわかります。
- 松原
- ちなみにブラジャーのような洋装下着が
ほんとうに普及したのは、
1945年、戦争が終わってからなんです。
1964年に東京オリンピックが開催されることになり、
日本じゅうで、一所懸命きれいにしよう、となった。
街も人もね。
そんな時代に、ぐんと商品が増えました。
それからミニスカートブーム。
必然的に、パンティストッキングが出てきました。
それまでは、みなさん知らないかもしれないけれど、
ガーター(靴下留め)を使っていたんですよ。
それが一気にパンティストッキングになりました。
そしてベージュの下着が流行るのは1973年からなんです。
ベトナム戦争が終わった時代ですね。
やがてみんながベージュに飽きちゃって、
カラーの下着の時代が来るわけなんです。
- 伊藤
- そして今は、いろんなタイプの下着が
手に入る時代になっているわけですね。
素材もいいものが開発され、
機能もますますよくなって、
デザインやカラーにおしゃれなものもあれば、
うんと実用的なものもある。
価格もいろいろですよね。
- 松原
- 高い下着と安い下着のどこが違うかっていうと、
いまは安かろう悪かろうではないんですよね。
微妙っていえば微妙に着けた時の肌ざわりが違うとか。
でも感じ方で高い下着は高いんだという心が動くから、
収まり感や肌ざわりが違うんだとかが自身で納得できて、
胸を開く姿勢に現れてくる。
- 伊藤
- わたし、ふだんは人と買い物に行かないんですよ。
待ったりするの、面倒くさいから。
「どう思う?」とか言われても、
「好きなのを買えばいいじゃん」みたいな感じなんです。
でも、この前、友達と
伊勢丹にお買い物に行ったんですね。
そしたら、楽しくて!
下着売り場でもキャーキャー言いながら過ごしました。
思えば、下着を選ぶときが、
いちばん盛り上がりました、その日のなかで。
- 松原
- そう、盛り上がるの。
思えば、ほんとに私は、
下着はなんでもよいという人間だったんですよ。
ほんとに、40くらいまで、どうでもいいやって。
下着売り場にいながらね(笑)!
ほんとうに下着に関心を持ったのは、
ひととおり、販売員もやり、
マネージャーもやり、バイヤーもやって、
ボディコンシェルジュという仕事に就いてからなんです。
「その人、ひとりのために、
とことん接客をする」というコンセプトが
ボディコンシェルジュという仕事でした。
- 伊藤
- つきっきりで。
- 松原
- その人が満足するまで、
選んであげましょうということですね。
- 伊藤
- おいくつのときだったんですか?
- 松原
- 56歳のときだったんですよ。
その職種に就いた最初が私だったんです。
実はね、私は下着が長くて、
いろんなことやってきたんですが、
後輩に席を譲ってくれということで、
レストラン事業部に転属になったんです。
そこで教育係に。
そこはそこなりに楽しくて。
どこに行っても、
すぐ馴染むタイプなんでしょうか(笑)。
- 伊藤
- あら(笑)。
- 松原
- なにが楽しいかっていったら、
初めて落ち着いて
パソコンを打てるようになったんですよ。
それまでは、モタモタしながら打っていましたから、
後輩が全部引き受けてくれました。
ところが転属してたった1年で、
ボディコンシェルジュという職ができるから、
戻れというんです。
- 伊藤
- 必要だって会社が思ったんですよ。
それで56歳で下着に戻ってらした。
それから長く、定年‥‥を過ぎても、
いらっしゃいましたよね。
- 松原
- そうなんです。60歳で定年だったのに、
まだコイツは使えるなと思ったんでしょうね、
それも、安いお給料で使えるぞって。
そこから10年間、ボディコンシェルジュをつとめました。
- 伊藤
- すごいですね!
その「56歳までの松原さん」は、
どんなふうだったんですか。
- 松原
- お客様の質問には答えられないといけないから、
勉強をしたことを一所懸命にお伝えする、
そういう感じだったかもしれません。
分かったような顔してね。
日本製の下着っていうのは、
とてもきっちりしたものが多いんですよ。
「寄せて上げる」もそうですね。
そして、それが流行れば、
みんながみんな、買ってくれるぐらいに普及する。
ですから、新しい商品が出ると、
メーカーさんに行って、勉強するんですよ。
新商品ができるたびに、そうしていました。
店頭では、そこで仕入れた知識を伝える場でしたね。
- 伊藤
- わたしは、「寄せて上げる」に興味がなくて。
たとえばこの下着、
友人が作ったブランドなんですけど、
全然、カップがないんです。
日本でもこういうものが
もっと増えないかなと思っているんです。
- 松原
- これは、シルク?
- 伊藤
- シルクです。全部シルクで作りたいって。
そうじゃなくても、
たとえばスイスのハンロ(HANRO)のような、
シンプルだけれど素材のいいものに魅かれるんです。
どうしてみんなつけないんだろう、
とっても気持ちがいいのにって。
- 松原
- それはね、高いからですよ。
輸入品は、国産の倍の値段になるから。
そういう意味で、カップなしで肌にのせるような
ナチュラルな下着のよさを
伝えるのはとても難しいことなんです。
いっぽうで「寄せて上げる」のようなタイプは、
テレビで「こうなります」なんて放映されたら、
みんなが「あっ、着てみたい!」って思うでしょ?
「その気」にさせてくれるんですよ。
日本の下着の素晴らしさは、
安いプライスで、機能をまとめてくれること。
すごく立派です。そして見栄えも悪くない。
もちろん伊藤さんの好きなハンロのような下着は、
肌触りから全てが良くて、
だから大好きだっていう人は、
たくさんいらっしゃいます。
ただ、価格は2倍、3倍ですから。
輸入品のキャミソールブラと
パンツをセットで買うと、数万円‥‥。
- 伊藤
- それを、数セット揃えようと思ったら!
しかも、ベージュに、黒に、白も、なんて考えたら、
たいへんなことになっちゃいますね。
- 松原
- でも旦那様のパンツは3枚1000円だったりして(笑)。
もちろん私も、ああいう商品が
日本に根づいて欲しいんですけどもね。
(つづきます)
2020-03-29-SUN