ロンドン、ハワイ、
メルボルン、ニューヨーク、
パリ、ヘルシンキ、ホーチミン、
ミラノ、ストックホルム。
伊藤まさこさんが、
世界各国、9つの街に住む友人たちと、
オンラインで話をしました。
これまでの暮らしとは
すこし変わってしまったいま、
家の中で多くの時間を過ごす日々を
どうやって過ごしているか、
食事は、生活習慣は、おしゃれは、
ストレス解消方法は?
そして、日本とはちがう社会の現状についてなど、
いろんなテーマでのおしゃべり。
現地からの日常の写真もまじえて、
ちょっと風通しのよいコンテンツに
なったらいいなぁと思います。
●登場するみなさま
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
メルボルン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん
ホーチミン‥‥田中博子さん
ミラノ‥‥小林もりみさん
ストックホルム‥‥明知直子さん
仁平綾
1976年生まれ、編集者・ライター。
2012年よりニューヨーク・ブルックリン在住。
得意ジャンルは、食、猫、クラフト。
雑誌やウェブサイト等への執筆のほか、
著書に、ブルックリンのおすすめスポットを紹介する
私的ガイド本『BEST OF BROOKLYN』vol.01~03、
『ニューヨークの看板ネコ』『紙もの図鑑AtoZ』
(いずれもエクスナレッジ)、
『ニューヨークおいしいものだけ!
朝・昼・夜 食べ歩きガイド』(筑摩書房)、
『ニューヨークの猫は、なぜしあわせなの?』
(朝日新聞出版)、
『ニューヨークでしたい100のこと』(自由国民社)、
伊藤まさこさん・坂田阿希子さんとの共著に
『テリーヌブック』(パイインターナショナル)、
『ニューヨークレシピブック』(誠文堂新光社)がある。
工藤まや
TV、CM、雑誌、イベントなどで活躍する
メディアコーディネーター。
虹がかかることで知られるマノアバレーに住む。
連載などの執筆も行い、
近著に『ハワイ暮らしのお気に入り:
オアフ島ライフスタイルガイド My Daily Hawaii』
がある。
CREAのウェブサイトで
「工藤まやのおもてなしハワイ」を連載中。
ハワイの日々はインスタグラムからどうぞ。
イセキアヤコ
京都出身。2004年よりイギリス、ロンドン在住。
アンティークやヴィンテージのジュエリーを扱う
ロンドン発信のオンラインショップ、
「tinycrown(タイニークラウン)」
を運営している。
(メルボルン)
田中博子
パティスリークリエイター。
1978年生まれ。
福岡で中村調理師専門学校製菓技術科を卒業後、
横浜のノインシュプラーデン(ウィーン・フランス菓子)
にて勤務。
その後、食育料理研究家である
藤野真紀子氏に6年間師事したのち、
2006年にフランスへ。
パリの「L’Ecole Lenôtre」「Le Cordon Bleu Paris」、
プロ向け製菓学校「Ecole Gastronomique Bellouet
Conseil de Paris」などで研修をつみ、
アルザス地方にある「Maison Ferber」で、
ジャムの妖精とも呼ばれ、世界中で注目されている
Christine FERBER氏のもとで1年間働き、
アルザス地方伝統の菓子や料理、ジャムづくりを学ぶ。
帰国後は
東京、福岡を中心に全国でお菓子レッスンを開催。
2011年から<クレアパ CREA-PA>の屋号で活動を開始。
旬のフルーツを贅沢に使った少量生産のジャムやお菓子の
卸販売を始める。
2019年、結婚を機にオーストラリアのメルボルンに移住。
著書に『パウンドケーキの本』
『セルクルで作るタルト』
『家庭で作れるアルザスの素朴なお菓子』
『ジャムの本』などがある。
鈴木ひろこ
スタイリスト、ライター、コーディネーター、
ファッションコンサルタント。
パリ在住29年。
スタイリストとして、雑誌や広告、
音楽関係などで経験を積んだ後、渡仏。
現在は、女性誌を中心に
パリをはじめ、ヨーロッパ各国で取材・執筆を行い、
ファッション撮影のキャスティングや
オーガナイズを手がける。
日々、パリの街を歩きながら、
人、モノ、コトなど
さまざまな古き良きものや、
新しい発見をすることが趣味。
著書に『フレンチ・シャビーのインテリア』
『大人スウィートなフレンチ・インテリア』
『パリのナチュラルモダン・スタイル』
『シャンペトル・シャビーの家』(グラフィック社)
などがある。
森下圭子
1969年生まれ。
ムーミンの研究がしたくて
1994年の秋にフィンランドへ
夏は島めぐり、秋は森でベリー摘みに始まって茸狩り、
冬は寒中水泳が好き。
現在、ヘルシンキ在住。
「取材や視察のコーディネートや通訳、
翻訳の仕事をしています」
訳書に『ぶた』『アキ・カウリスマキ』、
ミイのおはなし絵本シリーズ、
『ぼくって王さま』
『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』などがある。
映画『かもめ食堂』の
アソシエート・プロデューサーとして
初めて映画の仕事を体験。
「ほぼ日」では2004年から2005年にかけて
『サンタの国、フィンランドから。』を、
2009年から2012年にかけて
『フィンランドのおじさんになる方法。』を連載。
2015年には作家・重松清さんのインタビュー、
『トーベ・ヤンソンの人生を、ぼくたちはもう一度生きる。』
にも登場している。
写真は「ちょっと断捨離してみるかと箱を整理していたら、
いきなりでてきた昔の定期券」。
当時はお金がなくて、髪も自分で切っていたので、前
髪が斜めってるのはわざとではなく、
まっすぐ切ってるつもりが結果こうなったのだそう!
(ホーチミン)
田中博子
ベトナム手刺繍コーディネーター。
洋書の表紙に写る生春巻きに感動を覚え、
現地に行き、見て、食べて確かめるべく
1996年サイゴン(ホーチミン)旅行を決行。
1999年7月に移り住むまで、
休暇を使って北から南まで何度も旅をする。
住み始めてからは、ベトナム語を学びながら、
現地案内、職人探しをはじめ、
現在は手刺繍を絶やさないよう奔走中。
刺繍以外にはホーチミン近郊でのかご作り、
水牛の角や木製の小物などの手仕事にも携わる。
オンラインショッピングサイト
「Costa-Japan」の刺繍製品全般を担っている。
「ほぼ日」では、伊藤まさこさんとつくった
「ベトナム手刺繍の服。」を、
「weeksdays」では、
「ベトナムのかご」「ベトナム手刺繍のハンカチ」
の製作を担当している。
小林もりみ
丁寧に作られたイタリア食材を直輸入する
カーサ・モリミ代表。
ミラノ在住10年。
ライフスタイルに特化したプランニング会社に勤務した後、
2000年カーサ・モリミ設立。
2009年スローフードが運営する食科学大学大学院へ。
イタリアに拠点を移す。
”Food as Life Style よく食べることは、よく生きること”
”You are what you eat 台所から始まる、豊かな暮らし”
こうした信念から、添加物不使用、
手間と時間をかけたナチュラルな美味しさを
イタリアから日本に紹介している。
2011年の東日本大震災後、福島の子どもたちの
イタリア保養を行うNPO”オルト・デイ・ソーニ”
(www.ortodeisogni.org)をミラノにて仲間と設立、
代表を務める。
2014年より母校である在ピエモンテ州ポレンツォの
食科学大学大学院
にて非常勤講師として日本の食文化を担当する。
■Instagram
@morimicucinetta
@casamorimi
■Blog
イタリアの小さな台所から
明知直子
1979年生まれ。
フォトグラファー、コーディネーター、
ライター、通訳・翻訳。
千葉大学美術・図工教育課程終了。
その後、IDEEにてインテリアコーディネートに携わる。
2007年渡瑞。北極圏の街キルナに語学留学し、
スウェーデン最古の街シグチューナで写真を学ぶ。
現在、ストックホルムを拠点に北欧の魅力を伝えるプロジェクト
「Handcrafteriet」(「手でつくる」の造語)にて、
幸せは自分たちで作る北欧のライフスタイルや
暮らしを彩るヒントを探っている。
「ほぼ日」では
2012年のほぼ日手帳springの限定カバーで
「ダーラナの春」を販売したさい、
ダーラナ地方と、ダーラヘスト(木彫りの馬)の
魅力を伝える写真のコンテンツに登場。
「weeksdays」では2019年11月に
冬支度のコラム「冬の愉しみ」を執筆。
ホーチミン 田中博子さん[1]バイク便が大活躍、
強いベトナムの人たち、
バックパッカーたち。
田中さんの住むホーチミンは、
この日、午後1時の気温が
なんと37度だったそう!
(ちなみに東京は午後3時、16度でした。)
「weeksdays」のアイテムも手がけ、
ふだんは工場や工房をとびまわっている田中さんに、
ホーチミンでの今の暮らしをおききしました。
- 田中
- こんにちは、伊藤さん。
- 伊藤
- こんにちは!
ホーチミン、すごく暑いんだそうですね。
- 田中
- そうなんです。このあと午後2時くらいまで、
結構暑い時間が続きます。
- 伊藤
- ご自宅ですよね。
元気そうでよかった!
おうちにずっと?
- 田中
- そうなんです。買い物以外はずっと。
こうしてオンラインでも、会えて嬉しいです!
- 伊藤
- 本当に私たちも、嬉しくて。
こうして話せるのが。
- 田中
- 手帳を見たら、この間日本でお会いしたのが
1月22日で、こんなことになるとは
思っていなかった頃でしたね。
- 伊藤
- あっという間でした。
ホーチミンはロックダウンしてから
どれぐらい経ちますか。
- 田中
- 1カ月‥‥経たないくらいですね。
(註:対談は4/18に行われました。)
- 田中
- 3月の末に向かって、感染者数のグラフが、
今日は何人、今日は何人みたいな感じで
ギューッて急に上がっていって。
私はその頃、ちょうど
郊外の工場に検品に通っていたんです。
近くで感染者が出たら、
あたりが封鎖されちゃうので、
はやいうちにと思って。
- 伊藤
- 封鎖!
- 田中
- そう。厳しいんですよ。
工場の向かいに大きなマンションがあって、
そこでもし1人でも感染者が出たら、
その通りごと、入れなくなるんです。
- 伊藤
- 入れなくなったとして、
そのマンションや、地区の住人の
生活はどうなるんですか?
- 田中
- 家から出られません。
すごく徹底しています。
それが2週間続くんですよ。
- 伊藤
- 買い物にも出られない?
- 田中
- 出られないんです。
全部運んでもらうしかない。
- 伊藤
- 食料を運んでくれる
政府のシステムみたいなのはある?
- 田中
- いえ、自分で、配車アプリを使って、
頼んで持ってきてもらうんです。
友人が感染者が出たアパートに住んでいて、
出られなくなっちゃったんですね。
でも、その友人が住んでいる
マンションの管理会社がすごく良かったみたいで、
お水を1ケース、インスタントラーメン1ケース、
その他、当座必要なものを1ケース、
各家庭に配り歩いてくれたんですって。
でも毎日インスタント麺ってわけにもいかない、
とは言っていたけれど。
- 伊藤
- ホーチミンは、市場の活気もすごいし、
路上でも、フォーが食べられたりとかしたけれど。
- 田中
- あ、もう、屋台は一切ダメです。
- 伊藤
- 町にもちょっとお腹がすいたねって、
気軽に安く食べられるお店が多いし、
ふだんの食生活、外食する人が多いでしょう?
だからお店の人も、市民も、
どっちも困ってるんじゃないかと思っていて。
- 田中
- そう、みんな困っていて。
レストランは営業停止中なんだけれど、
半シャッターにしている店もあって。
中も暗いので、やっていない体なんだけれど、
厨房には最小限の人がいて、
営業をつづけているところもありましたよ。
もう諦めて閉めちゃってる店も多いと思うけれど。
- 伊藤
- 外食ができなくなって、
みんな困っていないかしら。
- 田中
- テイクアウトの営業をしている店が多いですね。
- 田中
- 毎朝6時45分ぐらいに、
自転車でパンを売りに来る人はいるんですよ。
もしかしたら町でも、
路上のパン屋ぐらいはやってるかもしれない。
- 伊藤
- そっか。パンはおうちで焼けないし。
- 田中
- 私は、サワードウのパンを売る店に
週1ぐらいで買いに行って、
薄く切って冷凍庫に入れてます。
食べるものと言えばね、
ドキッとした出来事は、
政府が「お米の輸出を禁止します」
っていう宣言をしたことがあったんです。
食料がなくなったら国民が不安だからと、
輸出するためだったものを止めた。
でも、そこまでするのって、
よほど、行く先が不安だからじゃないのかな、
このあと大丈夫かな、って思って。
でも結局解除されました。
やっぱりお米の農家は、
輸出できないと食べていけないので。
日本もそうだと思うんですけど、
ベトナム政府は経済活動をできるだけ止めないという
政策を取っていて、
輸出に関わる工場は開いているんです。
それで私も検品に行けたんです。
- 伊藤
- 輸送は?
- 田中
- 一応、貨物は全部出てるんです。
- 伊藤
- そんななかで、動いている工場は、緊張しますね。
- 田中
- 1人でも感染者が出たら閉めなきゃいけないから、
工員さんを集めて
国からのレクチャーを受けて稼働しています。
手を洗いましょう、
間隔は2メーター空けましょう、
マスクを必ずしましょう、って。
- 伊藤
- それも政府が派遣して?
- 田中
- オンラインレクチャーだったそうですよ。
街にそういうポスターもあります。
- 伊藤
- 休業することになったお店などは、
国からの補償はどうなんですか。
- 田中
- 多少、あるとは思うけれど、
一律全員にとか、
そういうのはないはずです。
- 伊藤
- そっか。じゃあやっぱり、
仕事ができない人は本当に困る。
- 田中
- もう倒産している会社が出ているし、
倒産の手続きをしているところもたくさん。
- 伊藤
- そうなんだ‥‥。
田中さんは、どういう感じですか? いま。
- 田中
- 忙しくしているんです。
こうなる前に、工場から
山のようにものを運びこみました。
家で検品などの仕事が出来るように
整えていたんですよ。
いまそれをこなしている感じです。
- 伊藤
- じゃあやることがなくて、っていうよりは、
ちょっとは気が紛れますね。
- 田中
- そうですね。ただ外に出られない。
友達にも会いに行けないですし‥‥。
この厳しさのなかにいると、
日本のニュースを見て
ちょっと心配になることもあります。
意外とみんな、動いているようだから。
- 伊藤
- 普通に会社に行っている人もいますしね。
友人に、やめなよって言っても、
それはできないって‥‥。
- 田中
- 都内に勤めている妹も、
しばらく会社に通っていました。
つい最近です、行かなくていいようになったのは。
- 伊藤
- 会社が決めてくれないと、
どうしようもないですよね。
「じゃあ辞めます」とも言えない状況だし。
- 田中
- 妹には私が怒ったんです。
「そんな会社辞めてしまいなさい」
「こんなときに会社に来させるなんて、
ちょっとどうかしてるよ」って。
妹は、毎日電車に乗って都内に行っていたから、
精神的に厳しかったみたいで、
私の言葉をうけてか、会社に言ったそうです。
「このまま続くようだったら
会社を辞めることも考えています」って。
でも、通わなくていいようになってよかったです。
- 伊藤
- そんなふうに会社に言える人は
少ないかもしれないですね‥‥。
来月の家賃どうしよう、って思ったら、
その決断はしづらいですし。
こちらは、そこまで考えている人もいれば、
すごくのんきな人もいて、
外でマスクをせず雑談してる人もいる。
「えっ?」って思っちゃう。
私のほうががおかしいの? って。
- 田中
- 広い通りから小道に入ったところに
住んでるんですけど、
その突き当りが幼稚園だったんです。
その幼稚園を壊して小学校に建て替えて、
この旧正月の休暇が終わってから
小学校が始まる予定だったんだけど、
休みのまま、開校していないんですね。
家で検品をしてたら大家さんから連絡が入って、
そこが隔離施設になるって。
検疫隔離だから発症してる人ではなく、
濃厚接触のあった人や、
海外から帰国した人が飛行機を降りたら
有無を言わさずそこに連れて来られて
2週間いてもらうための施設です。
もし、そこで発症したら病院に搬送するための。
- 田中
- 心配なのは、
大家さんのおじいちゃんとおばあちゃんが
94歳だってことです。
- 伊藤
- ああ、それは心配。
- 田中
- 私が検品先の工場から
ウィルスを持って帰っちゃったら大変でしょう。
だから、早いうちに商品を家に運んでもらって、
家でできるようにしていたんですけれど。
- 伊藤
- そっか。
田中さんは、仕事先の人とのやりとりは?
- 田中
- ふだんは製品づくりの指示書を書いて
持っていって話すんですが、
いまは家で仕様書に詳細に書き込み、
服だったら、パターンと布をセットして、
工場までバイク便に運んでもらっています。
わからないところは
Zaloというコミュニケーションツールで
連絡を取り合って確認します。
- 伊藤
- いまは、写真もメモも、
すぐに撮れるし書いて送れるからいいですね。
- 田中
- ない時代は大変でしたよね。
電話でずっとしゃべらなきゃいけなかった。
でもまあ、普段よりちょっと
やることが多いねっていうぐらいで、
そんなに基本的に変わらない生活をしてます。
ふだんの生活より、
ちょっと作り置きするものが増えたくらいで。
家中の保存容器を総動員(笑)。
- 伊藤
- 私も確かにそう!
作ったものをおすそ分けするときのための
ジップロックを、とうとう家で使い始めました。
- 田中
- でもね、たいへんだたいへんだって言っても、
戦争のときって、
もっとすごかったんだろうなと思うんです。
それを考えたら、楽ですよ。
爆弾が降ってくるわけじゃないから。
- 伊藤
- 確かにそうかも。食べるものもあるし、
家にいれば安全なんだから。
- 田中
- ベトナム人は強いから。
ベトナム戦争が終わったのが
1975年ですから。
- 伊藤
- 戦争が記憶に新しい人もいますものね。
- 田中
- みんなたくましいですよ。
- 伊藤
- どういうふうなときに、
そのたくましさを感じる?
- 田中
- 慌てずにすぐ受け入れるところですね。
言われたらマスクはみんなするし、
規律も守る。
最初の頃、私が慌てているふうに見えたのか、
「起きたことはどうにもできないから、
受け入れて、ヒロコ!」って言われましたよ。
- 伊藤
- すごい。すごいなあ。
「受け入れて!」かぁ。
考えても仕方のないことでイライラしたり
怒ったりするんじゃなくてね。
- 田中
- 検品してる間じゅう、
毎日言われてました(笑)。
- 伊藤
- 外国から来てひとりで仕事をしているから
心配してくれたんですね、きっと。
それは年上の方がおっしゃるの?
関係なく、みんなそういう感じ?
- 田中
- 若い子たちもそう言ってます。
- 伊藤
- それはすごいなあ。
- 田中
- スマートフォンをみんな持ってるから、
ニュースもちゃんとチェックして、
教えてくれるんです。
- 伊藤
- SNSでデマが回ったりはしませんか。
- 田中
- 何回かあったけれど、
捕まった人が出て、おさまりました。
1人捕まると、次は出ないんです。
マスクを高く売ったら罰金とか、そういうのもあるし。
- 伊藤
- なるほど。
- 田中
- そうそう、先日、工場帰りにバスに乗ったとき、
停留所にバスが来たのに扉を開けてくれなくて。
「え?」と思ってたら、
窓からおじさんが「手を出せ!手を!」と叫んでいて、
手を出したら、
そこにポトンってアルコールジェルを乗せてくれて、
ゴシゴシしたら、バッて扉が開きました(笑)。
- 伊藤
- へえ~!
- 田中
- それをしないと、乗せないみたい。
- 伊藤
- 東京でもね、今日、食材を買いに出たら、
スーパーの入口にレーンができていて、
人が立って、距離を空けるように指示してました。
手のアルコール消毒はもちろん、
カートも全部消毒していて、
こんなに徹底しているスーパーもあるんだ、
って思いました。
みんなひとりで来ていましたし。
- 田中
- こっちは検温もされますよ。
今日、銀行に行ったら、
入り口でおでこにピッとされました。
37度以上の人は帰らせるって。
そんなに感染者は多くないんですけれどね。
今日(4/18)までに、ベトナム全土で
感染者が268人です。
- 伊藤
- えっ、すごい。
それでもロックダウンをしたんですね。
だからこそ少なく抑えられているんだと思う。
- 田中
- そうですね。本当に厳しい。
うちの奥の検疫隔離所も、
最高で14人くらい入ってたときがあったけれど、
みんな問題ないから徐々に出て行きました。
昨日ちょっと騒がしかったから、
どうしたのかなと思ったら、
外国人が4人入ったと。
ホーチミンに、バックパッカー街があるんですよ。
そこから。
- 伊藤
- そっか! そういう人たちって、
どうしているのかなって思っていたんです。
帰国できなかったりもしますよね。
- 田中
- 帰れなくなっちゃった人もいますよね。
結構早い段階で空港が閉鎖され、
国際線があっという間に飛ばなくなったので。
そのバックパッカー街にも隔離施設があるんですが、
そっちがいっぱいだからこっちに来たって。
「え、そっちがいっぱいって何人いるの?」
と思いましたけれど。
- 伊藤
- 確かにねえ。
外国でこの事態を迎えて、
帰国もできないと想像すると‥‥。
バックパッキングの旅は、
予算も潤沢ではないだろうし。