齊藤能史さんにきく
「職人気質の松徳硝子」。
伊藤まさこさんの「あったらいいな」という思いを
かたちにしてくださったのが
松徳硝子のクリエイティブディレクター、
齊藤能史(さいとうよしふみ)さんです。
齊藤さん自身はガラスを吹く職人ではなく、
熟練の職人さんとタッグを組んで器をつくるのが仕事。
人生の大先輩も多いふるい工場での仕事ぶり、
たくさんお聞きしてきました。
あたらしいコップをつくりました。
「白いお店 &」のときからそうなんですけど、
まさこさんからいただくイメージを
いかにかたちにするかっていうのが
自分の役目だと思っています。
松徳硝子では、それを職人たちが、
さらにかたちにするという二段階の作業があるので、
自分はその間に立つ
「通訳」のようなものだと思っています。
まさこさんって、単純にかたちのイメージだけじゃなくて
「こんな用途、いいかな」ということを伝えてくださる。
それを自分なりに解釈して、最初のかたちをつくります。
型紙で始め、次は職人といっしょにサンプルをつくって、
まさこさんに見てもらい、
じっさいに使っていただいたうえで、
さらなる微調整をします。
「weeksdays」のガラスのシリーズは
その繰り返しでできていきます。
そういう中で、今回、まさこさんから、
「ちっちゃなコップがほしい」
という提案がありました。
たとえばビールを飲むときに使うようなコップです。
松徳硝子のラインナップでいくと「うすはり」のような、
結構、シュッとしたものが多かったりするんです。
料亭や割烹で使われるタイプのものですね。
けれどそれだと「コップ」と名付けたときの
ちょっとしたかわいらしさがありません。
それはやっぱり「グラス」の風情なんですね。
きっとそれはまさこさんの思いとは
違うんだろうなと考えました。
じっさいにまさこさんからも
「『コップ』っぽくしてほしい」
という意見をいただきました。
その「コップ感」のバランスをどうとるか、
そこがぼくの仕事でした。
かなり試行錯誤をしましたが、
最終的には「うん、これですね!」と、
このコップが完成したんです。
コップから「うつわ」へ。
まっすぐ立ち上がる、底が大きくて背のひくいものは、
「ガラスのうつわ」と名前がつきましたが、
大中小の3サイズをつくりました。
このなかの「小」は、「白いお店 &」のときに
「松徳硝子のコップ」として販売をしたものと同型です。
それはもともと、フランスとスペインの国境にまたがる
バスク地方の伝統的なチャコリというお酒のためのグラス
「ボデガ」がアイデアのもとになっていました。
まさこさんからは、今回、
その形状をそのまま大きくして、
でも高さはそろえつつ、
飲み物だけじゃなく、ヨーグルトやスイーツ、
または冷菜を入れてもいいような、
ガラスのうつわがほしいという提案がありました。
その製作にあたって大事にしたテーマは、
「高さを揃える」ということです。
そしてそれは図面的にも製造的にも苦労した部分です。
というのも、工場見学をしていただいておわかりのとおり
ガラスの型吹きというのは、
型に入れて、下から吹きあげるんですね。
底のかたちを作ってから上に立ち上げる。
この作業は、径が広ければ広いほど
高い技術を要するものなんです。
途中で調子がずれると、段ができてしまったりする。
つまり、「小」は底面積が小さいのでつくりやすいけれど、
「中」「大」になるほど難しくなるんです。
そのこともあって、ガラスの薄さについては、
コップと、うつわの「小」は薄く、
「中」「大」はすこしだけ厚手にしました。
これは耐久性を考慮してのことでもあります。
結果、できあがったものは、
スタッキングすることができ、
その重ねたすがたは、
横から見ても真上から見ても
キレイだと言っていただけるものに仕上がりました。
もちろん、手づくりですから、機械生産のような
完全に均質なものはつくることができません。
どうしても個体差が出ます。
これを無理やり統一しようと、
管理を厳しくなりすぎても松徳硝子の製品は成立しません。
けれども「厳しくしない」ことが過ぎると、
逆にいえば「何でもあり」になる。
精緻に同じ形をつくることならば
機械生産のほうが合っていますし、価格も安くなる。
そこと勝負をしても仕方がないですよね。
やっぱり値段相応の明確な差、
手づくりガラスだからこそ生まれるよさを、
ぼくらは、表現することができなければいけません。
スペインやフランスのボデガは機械生産で、
ほんとうに庶民的なものですから、価格も安いんです。
でも伊藤さんがおっしゃるのは、
「あれはあれでいいんだけど、
家で夜、ちゃんとゴハンを作ったときに、
それでいいのかなと思った」
ということなんですね。
機械生産ではできない、手だからできるもの。
「weeksdays」の「ガラスのうつわ」は、
その期待にそうものができたように思います。
道具としてのプライド。
ガラス自体の透明度は原料と製法に左右されます。
うちは、光学レンズ用の原料を使っていることと、
工場見学のときにもお話ししましたが、
金型の内側に毎日コルクの炭を塗っていることで、
透明度とともに表面のツルツルしたなめらかさを
実現しています。
松徳硝子の職人はストイックですよ。
大先輩に、片桐という職人がいたんですが、
それこそ50何年やって「現代の名工」にも選ばれ、
3、4年前に引退したんですけど、
自分が入ったばっかりのとき、
これからの設計や企画の参考にしたいなと思い、
「親方、今までつくってきて『よかった』とか
『こういうものが好きだな』って、ありますか?」
と訊いたんです。するときっぱり、
「んなもん、ねえ!」
って。
「『これ完璧だ』なんて思ったことねえから、俺は」
‥‥そんな職人が多いんですよ、松徳硝子って。
職人気質といいますか、世の中には、
一流の作陶家に見えてもご自身は「陶工だ」と
おっしゃるかたもいますし、
すばらしいフランス菓子を作るかたが
「自分はパティシエじゃない、菓子職人だ」
とおっしゃったりもする。
そんな気概の職人が、松徳硝子にも集まっています。
うちのガラスは、作品ではありません。
常に道具でありたいと思っています。
酒を飲む道具だったり、料理を楽しむ道具だったり。
ただ、それはとても難しいことでもあります。
ものって、足し算してるほうが簡単で、
引き算で削っていくと、ちょっとしたアラが目立つ。
満足できないです。
でも満足したら終わっちゃうんだろうな、とも思います。
将来──ですか。
今はやるべきじゃないし、
そんな余裕もないし、
いままで話したことと矛盾もするし、
やるつもりがない、という上での話ですけれど、
もしかしたらその「満足したら」の
先にあるかもしれないことを話します。
ヨーロッパなどで、
いわゆる日常使いの器を作る工房と、
それとは別のアート部門が
同じメーカー内にあったりしますよね。
そういうのって、ちょっとだけ羨ましいです。
理想ではありますよね、松徳硝子のクラフト部門や、
そのプロダクトが生まれていくことは。
でも、まだまだこの「職人」のつくるものを
世の中に出していくのがぼくの仕事。
そう思っています。