柔らかな影。
その2
「日傘」をテーマに、
エッセイストの酒井順子さんに執筆をお願いしました。
4回連載、どうぞおたのしみください。
さかい・じゅんこ
エッセイスト。
立教大学社会学部卒業。
高校在学中に雑誌「オリーブ」に連載を持ち始め、
大学卒業後に3年間の広告会社勤務を経て、
エッセイ執筆に専念。
2003年刊行の『負け犬の遠吠え』はベストセラーになり、
講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。
『枕草子REMIX』『徒然草REMIX』『紫式部の欲望』
『女流阿房列車』『ユーミンの罪』『地震と独身』
『オリーブの罠』『子の無い人生』『男尊女子』
『百年の女』『家族終了』『平安ガールフレンズ』
『センス・オブ・シェイム 恥の感覚』など著書多数。
河出書房新社『日本文学全集』では、
『枕草子』の現代語訳を担当。
「ほぼ日の学校」の
「橋本治をリシャッフルする」では講師をつとめる。
ほとんど家の中で過ごしていた平安時代の貴族女性も、
寺社への参拝などで、
たまに外に出る機会があったようです。
彼女達がそのような時にまとっていたのは、
壷装束と言われるスタイル。
頭にかぶるのは、タジン鍋のような形をした市女笠です。
笠からは、薄い布がぐるりと巡らされ、
屋外でも他人の視線が
シャットアウトできるようになっています。
同時にそれは、紫外線をさえぎる役割をも
果たしたことでしょう。
壷装束の女性は、人目をひいたに違いありません。
滅多に外に出ることのない高貴な女性が
歩いているのを見た人は、
一陣の風で垂れ布がめくれないものかと、
祈ったのではないか。
「夜目遠目笠の内」
という言葉があるように、
夜に見る人、遠くから見る人、笠をかぶっている人は、
その姿がはっきりとは見えないが故に、
実際以上に美しく感じられる、とされています。
笠は「ゆかしさ」と同時に、
美への思いをも膨らませるものなのでした。
ここで言われているのは、頭にかぶる「笠」であり、
「傘」ではありません。
とはいえ笠も傘も、役割としてはほぼ同じ。
「夜目遠目傘の内」
と言うこともできましょう。
日傘をさす人は、美人に見える。
‥‥それは、「はっきり見えないから」だけではなく、
日本人の美意識に訴える姿だからなのではないかと、
私は思います。
全く雲の無い状態で
月が見られればいいというものではないよね、
と兼好法師も書いていましたが、
陰影の裏側にこそ本当に美しいものがある、
と日本人は昔から思っていました。
日傘とは、どこにでもまんべんなく
光が当たるようになった今のフラットな世界の中で、
自分専用の陰影を作ることができる装置でもあるのです。