COLUMN

洋菓子店のクリスマス。

小堀紀代美

「クリスマス」をテーマに、
3人のかたにコラムをお願いしました。
まずさいしょは、料理家の小堀紀代美さん。
ご実家の洋菓子店は、この時期、
とっても忙しいみたい!

こぼり・きよみ

料理家。
東京・富ケ谷にあった
「カフェのような、食堂のような」
をコンセプトにしたレストラン
「LIKE LIKE KITCHEN」(2012年閉店)の
オーナーシェフを経て、同名の料理教室をスタート。
告知と同時に満席になる人気を博す。
著書に『予約のとれない料理教室 ライクライクキッチン
「おいしい!」の作り方』(主婦の友社)
『ライクライクキッチンの毎日和食』(エイ出版社)
『フルーツのサラダ&スイーツ 
もっとおいしい組み合わせで』(NHK出版)
実家は宇都宮の大きな洋菓子店。
「weeksdays」では
「ふたりの料理人と東屋のうつわ。」
「あのひとのかごのつかいかた。」に登場。

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■BLOG(LIKE LIKE KITCHEN)

私の実家は町の洋菓子店。
クリスマス、私もこの時期は手伝いに帰り、
チームコボリの一員になる。

まずは苺切りからスタート! 
真っ赤な苺は、数えきれないくらいの箱が積み上げられ、
床に置き切れない分は階段を赤い絨毯のように彩っている。

町の洋菓子店としてはやや大きい方、
友人、知人、親戚も交えて総出で30人ほどで 
作るケーキは、クリスマス前後の3日間で4500個を超える。

腰に背中にと、カイロを貼りまくりウルトラダウンを着て、
首には巻物をして出勤。
「おはようございまーす」
と、私が店に入るのは7時半くらい。
すでにスタッフのみんなは仕事を始めている。

工場の温度計は外とそう変わらない4度を示し、
吐く息は白い。
一日中、生クリームや苺を扱うので暖房は入れられない。
コンクリートの床にはダンボールが敷かれ、
少しでも暖をと。

当日の朝からでは間に合わないスポンジは
前日から焼き始める。
ケーキを入れる箱は、
数日前から天井まで届くような高さに
サイズ別に山積みになっている。

仕事は、普段からも分業で、
それぞれに持ち場があり、流れ作業となる。
早朝から苺を切る、クリームを立てる、
スポンジのスライス、クリームを塗り苺を挟む、
ナッペする(ケーキの表面にクリームを塗る)、
クリームを絞る、飾りをつける、箱に入れる、
冷蔵庫または店頭に並べる、
それぞれが一日中同じことをひたすら続ける。
時に集中力が途切れて、
苺やお菓子に手が伸びるけど(笑)。

最初の集中力が切れる頃、父がやってきて
炊き立てのご飯でお茶碗一杯のおにぎりを
スタッフの数だけ作り、朝早くからみんなに
「お腹、空いただろう」と配って歩く。
クリスマスに限らずの父の習慣で
家族のようなスタッフへの愛情なのだ。

ラジオからはクリスマスソングが流れ、
誰かが口ずさんだり、大笑いしたり、、、
手は止まることなく動いているけど、
和気あいあいな職場でいつもケーキを作っている。

この時期は、時折、
外からクラクションを鳴らす音が聞こえてくる。
店の前のバスも通る一車線ずつの道は、渋滞になり、
警備員の人が交通整理をしながら駐車場を振り分ける。
店頭では、開店から閉店まで
自動ドアはほぼ閉まることなく、
途切れることなくお客様へケーキのお引き渡しが続く。

そんな中、毎日何かしら差し入れをいただく。
「寒いからあったかい汁物持ってきたよー」と
炊き出し?! というくらい大きなお鍋にけんちん汁。
「風邪ひかないようにみかん食べてね」、
ケースでお茶や栄養ドリンクなどがどどどんと。
ありがたい。

そして工場はその日のケーキを作り終わると
窯にスイッチを入れ、翌日のためのスポンジを焼き始める。
ようやく背中に暖かい空気を感じる。
甘い香りに包まれながら早朝から夜遅くまで
ひたすらクリスマスケーキを作る。
喜んでいただけることを喜びとして。

父と今は亡き母が開いた町の洋菓子店は
一歩ずつあゆみ、弟夫婦の代に替り、
おかげさまで創業52年目となりました。
たくさんあるお店の中から、
クリスマスは「コボリ」のケーキだよね、
といつまでも町の人々に愛される洋菓子店であるように
苺たっぷりのクリスマスケーキに心からの感謝を込めて。
メリークリスマス! 

25日の閉店後、家族揃ってケーキを囲み
ローソクを吹き消す。
これが、私のクリスマス!

2020-11-09-MON