足掛け5年! のプロジェクト、
「weeksdays」が手がけるはじめての「アート」です。
作家は、版画家でアーティストの松林誠さん。
かねてよりファンだったという伊藤さんのオファーで
このプロジェクトが実現しました。
伊藤さんが「言葉」をえらび、
それをヒントに松林さんがドローイングを制作。
できあがった作品は100点、
松林さんが選んだ額装をして、
「weeksdays」で販売します。
「ずっと絵を描いている」という松林さんのこと、
このプロジェクトが実現するまでのこと、
いままでのこと、パリ時代のこと、
そして、アートがどんなふうに暮らしに影響するのか。
伊藤さんのお宅で、のんびり、ふたりが話しました。

撮影 有賀傑(高知・スタジオ・商品)/ほぼ日

松林誠さんのプロフィール

松林誠 まつばやし・まこと

1962年、高知県高知市生まれ。
創形美術学校研究科版画課程修了。
2000年、パリ国際芸術会館に1年間滞在し活動、
2003年、高知のセブンデイズホテルプラスの
アートワークを手がける。
1992年より精力的に個展、グループ展を開く。
1995年の第12回ザ・チョイス年度賞大賞を受賞、
ほか版画の公募展で入選多数。
現在は高知に居を構え、創作活動をつづけている。

●ウェブサイト

その3
スケッチブックとパリ。

伊藤
自粛中の、高知での暮らしはいかがでしたか? 
ものづくりをされている方って、
ふだんとあんまり変わらなかったよ、
とおっしゃるんです。
松林
そう、ほんとに変わらなかったです。
絵を描いて、ごはんを食べて、って、
いつもどおりの生活をしていました。
ただ、展覧会の機会が減りましたし、
あっても、自分が行くわけにいかなかったのが残念です。
8月に台湾で個展があって、
行く気満々で楽しみにしていたのだけれど‥‥。
伊藤
台湾の「小器(しょうき)」ですね。
松林
はい。でも、100号‥‥つまり、
160センチ×130センチくらいの
大きい絵が売れました! 
外国の人にもわかってもらえてうれしかったな。
伊藤
日々、絵を描いている松林さんは、
そういった個展を開くとき、
やっぱり特別なモードになるんでしょうか。
どうやって気持ちを持っていくんだろう。
気持ちと準備。
松林
やっぱり展覧会の日程が決まると、
それに向けて作品を描いたり、
テーマに沿っていままで描いた絵を集めたりしますよ。
伊藤
おうちにお伺いしたとき、
日々描かれているという
スケッチブックを拝見しました。
すごい! って思いました。
アイデアが、あふれ出すのを、
どうにか記しておこうというような。
あれは「作品」というよりも‥‥。
松林
そう、日記みたいなものですね。
あとで、そのスケッチブックを見ながら
絵の構成を決めたりもします。
だから、あのスケッチブックは、
とくに個展などで
お見せするようなものではないんですよ。
伊藤
松林さんの頭の中みたいなことですね。
松林
そうですね。
伊藤
奥さまが、教職で美術を教えていると
おききしましたが、
創作について、相談はなさるんでしょうか。
松林
展覧会に関しては、すごく相談をします。
会場構成をどうしようか、というようなことですね。
でも、絵を描くときは、ひとりです。
ずっと描いてる。
伊藤
ほんとうの意味で「ずっと」?
松林
はい、ずっとです。
妻にもそう思われているんじゃないかな。
伊藤
ずっと! ちなみに、どういう子ども時代でしたか。
やっぱり、ずっと描いていたんでしょうか。
松林
そうですね。漫画がすごく好きで、
絵というより落書きみたいなものですが、
それで教科書が鉛筆で描いた絵で
ほんとに真っ黒になっていました。
伊藤
子どものことからずっと、なんですね。
『考える人』や『芸術新潮』の編集長を歴任なさって、
いまは「ほぼ日の學校」の校長の
河野通和さんという方がいらっしゃるんですが、
本を読むのは、
朝、深呼吸をするのと同じだとおっしゃっていて。
でも読書については、
自分がしていることの延長として想像できるんですが、
そんなふうにずっと描くのって、
いったいどういう感じなんだろう? 
人に見せるためじゃない絵もあるわけですよね。
松林さんには「あのとき、こうだったから、
いま、こうなったんだな」みたいなことってありますか。
いまにいたる流れというか‥‥。
松林
うーん?
伊藤
松林さん、パリに行かれた時期もありましたよね。
松林
はい、2000年、1年間まるまるパリに行きました。
シテ・デザール(Cité internationale des arts)
っていう、アーティスト・イン・レジデンスが、
マレの近くとモンマルトルにあるんです。
そこでは写真をやったりダンスや音楽をやったり、
いろんなアーティストが暮らしながら
制作しているんですよ。
そういうところにぼくが版画を学んだ
創形美術学校という専門学校が
部屋を持っていたんです。
そこの卒業生が面接を受けて、
合格すると1年間滞在できる。
その時、ぼくは40歳を前にしていて、
「そろそろ行かなくちゃ」って決意したんですが、
でも、まわりからは、なぜパリ? って言われたかな。
当時はアートならニューヨーク、ロンドンだったから、
ファッションならともかく、絵を描くのにパリって? 
って言われました。
伊藤
そうだったんですね。でも憧れます! 
その時代にパリで1年過ごしたのは、
きっと楽しかったでしょう? 
松林
4区で、シテ島のすぐ北側で、
最寄り駅は7号線の
ポン・マリー(Pont Marie)でした。
マレの繁華街が近かったから、よく飲みに行き、
‥‥そうそう、夜のルーブル美術館が開いている日は、
夕食後の散歩をかねて館内をぶらぶらする
“ルーブラ”、最高でした。
伊藤
1年まるごと、っていいですね。
四季をひと通り経験できて、
季節のあいだもあるし。
しかも、その場所だったら、
ちょっと歩けば美術館がいくらでもある!
写真美術館(Maison Européenne de la Photographie)も、
ピカソ美術館(Musée Picasso Paris)も。
松林
そう! ちょうどポンピドーセンター
(Centre Pompidou)が休館から開け、
久しぶりにリニューアルオープンした年で、
すごくよかった。
伊藤
人形博物館(Musée de la Poupée)もありますね。
それこそポンピドーの裏のあたりに。
松林
うんうん、ジュモーのハガキを買ったとこだ。
伊藤
うわー。そのシテ・デザールでは
なにか課題があるんですか?
松林
なにもないんです。
ただ、シテ・デザールの建物と別に
版画の工房があって、
そこに毎日通って版画をつくったりしていました。
一応向こうで最後に個展をしてきました。
(つづきます)
2020-12-15-TUE