COLUMN

編み直す

斉藤和枝

2週にわたっておとどけする
「weeksdays」のセーター。
今週と来週のコラムでは、いろいろなかたに
セーターにまつわるお話を書いていただくことになりました。
きょうは、気仙沼斉吉商店の、斉藤和枝さんです。

さいとう・かずえ

宮城県気仙沼 斉吉商店専務取締役。
社長である夫の純夫さんとともに、
4代目「斉吉商店」を営む。
水産加工品、「金のさんま」「斉吉海鮮丼」などで
全国に多くのファンを持つ。
著書に『おかみのさんま 気仙沼を生き抜く
魚問屋3代目・斉藤和枝の記録』
(日経BP社)

斉吉商店のウェブサイト

ついこの間まで一緒に働いている人の中で
自分が一番若くて
ミニスカートをはいていたと思っていたのに、
あっという間に、今ここにいる中で自分が一番年長だね
ということが多くなりました。
びっくりです。
“もうー、いやだ! 歳月人を待たず”
と自分にそっと言って、可笑しくなります。

祖母は孫の私のセーターを編んでいました。
少しがっかりでした。
デパートとかで売っているのが欲しかったから。
中学になって制服になったので
ジャケットから出ないようにと、
Vネックの白いセーターです。
新しい毛糸でなく何かだったものをほどくと
毛糸は小さく波うっていて、
それを束にして洗って干して
波はまた小さくなります。
編むときには糸が繰りだしやすいように毛糸玉にします。
小さいころは両手に洗った毛糸の束をかけて、
向いあって座った母がくるくると
毛糸玉を巻くのを手伝いました。
小学生になるころまで、
セーターは家で編むかオーダーでした。
祖母が毛糸屋さんへ連れて行ってくれ、
よそ行きのニットは糸を選んで
こんな形にとお願いして寸法を計ってもらって、
手編みの出来上がりを待ちます。

同じころお嫁に行く前のお姉さんたちは
御裁縫を習うより
編み機を買って機械編みを習うのが
流行したのかもしれません。
わが家の店で働くお姉さんたちも
みんなお稽古に行きました。
そうして祖母はとても上達したお姉さんに
私の小学校入学の
ワンピースを編んでもらうように頼みました。
水色で襟とカフスは白、
スカートのプリーツの内側は模様編みになっていて
嬉しくてプリーツが広がるように
くりっと回ってみたりしました。

毛糸はほどいてまた次に何かに編みなおされます。
何度か編み直して使ううちに糸は細く弱くなってきます。
最後は、その弱くなった糸を
2本とか3本とか合わせながら小さなモチーフを作り
それをはぎ合わせてこたつ掛やひざ掛けになりました。
思い出すと、次々と欲しいものは買えないけれど
本物の良い物を特別な時だけというのでなく、
少し頑張って良い物を買って
作り直しながら本物を使う普段の暮らしがありました。
それはかける時間も思いもずいぶんと違うものだと
考えるようになりました。

2018-10-08-MON