REPORT

メルボルン 田中博子さん
いろんな国の空気、食パンブーム、
ズームではじめたジャムレッスン。

コロナ禍のなか、伊藤まさこさんが、
世界各国の9つの街に住む友人たちと
オンラインで話をしたのは、
ちょうど1年前のことでした。
「1年後にはきっと会えるね」
‥‥なんて、そのときは思っていたのに、
いまも、わたしたちの暮らしは、ままならないまま。
ひさしぶりにみなさんに連絡をとり、
それぞれの様子を綴っていただくことにしました。
遠い町のようすを、たっぷり、連載でおとどけします。

(前回のオンライン対談は、こちらからごらんくださいね。)

登場するみなさま

(登場順)
ストックホルム‥‥明知直子さん
ロンドン‥‥イセキアヤコさん
ホーチミン‥‥田中博子さん
パリ‥‥鈴木ひろこさん
ハワイ‥‥工藤まやさん
ミラノ‥‥小林もりみさん
メルボルン‥‥田中博子さん
ニューヨーク‥‥仁平綾さん
ヘルシンキ‥‥森下圭子さん


田中博子さんのプロフィール

たなか・ひろこ
パティスリークリエイター。
1978年生まれ。
福岡で中村調理師専門学校製菓技術科を卒業後、
横浜のノインシュプラーデン(ウィーン・フランス菓子)
にて勤務。
その後、食育料理研究家である
藤野真紀子氏に6年間師事したのち、
2006年にフランスへ。
パリの「L’Ecole Lenôtre」「Le Cordon Bleu Paris」、
プロ向け製菓学校「Ecole Gastronomique Bellouet
Conseil de Paris」などで研修をつみ、
アルザス地方にある「Maison Ferber」で、
ジャムの妖精とも呼ばれ、世界中で注目されている
Christine FERBER氏のもとで1年間働き、
アルザス地方伝統の菓子や料理、ジャムづくりを学ぶ。
帰国後は
東京、福岡を中心に全国でお菓子レッスンを開催。
2011年から<クレアパ CREA-PA>の屋号で活動を開始。
旬のフルーツを贅沢に使った少量生産のジャムやお菓子の
卸販売を始める。
2019年、結婚を機にオーストラリアのメルボルンに移住。
著書に『パウンドケーキの本』
『セルクルで作るタルト』
『家庭で作れるアルザスの素朴なお菓子』
『ジャムの本』などがある。

■Instagram


つい最近、普通の生活になりつつある
空気を感じています。
というのも、メルボルンを含むヴィクトリア州は、
昨年一番長いロックダウンが約8ヶ月間続きました。
本当に長かったですね。
行動範囲は自宅から5キロ圏内だったので、
今は誰かに会える喜びもひとしおです。
(現在でも州によって規則は異なります。)

▲ロックダウン中から作り始めて、
今ではすっかり日常になったパン作り。

この地はいろんな国の人が住んでいる為に、
日常の中で様々な国の空気を感じる事ができます。
イタリア、ギリシャ、南米、
ロシア、インド、中国、ベトナム系など、
お店に入ると聞こえてくる店員さんの会話は、
英語ではありません。

▲バインミーの食べ比べ。

フランスへ旅すると、フランス語が飛び交う街中で
私はフランスにいるという感覚に即座になれます。
しかし、ここでは、そういう感覚になれないのです。

日本人の私でも、
今日はインドのディーワーリーの日(光のお祭り)だなあ。
来週からチャイニーズニューイヤー(旧正月)の
始まりなど、感じ取れます。
其々の国の人が、何かに影響を受ける事なく
生活できる国なのかもしれません。
そして私は日本人という感覚のままです。
しかしこれが不思議にも
メルボルンなのかなと思えてきました。

▲モーニントン半島の景色。

▲海辺に出かけた時はフィッシュアンドチップス。

インド人の友人の家に行くとチャイを出してくれます。
黒胡椒が効いていたり、フェネルが多めだったり、
各家庭のこだわりが光っています。
仕上げにジャグリという、黒砂糖に近い砂糖を加えたお味は
つい最近知りました。

▲インド料理のサラダ。
私にとっては非常にスパイシーでした。

ある日は、マレーシア人の友人と
マレーシア料理のお店へランチに。
ラクサ、ナシレマなどを食べ、3種のデザートを注文。
お料理上手のママ達なので、作り方を私に教えてくれます。

▲マレーシアの甘いもの。
右は「ボボチャチャ」と呼ぶそうです。

▲友人自家製のマレーシアのお正月の菓子。

友人と囲むテーブル際、同じ食事を愉しむ事を、
とても身近な喜びとしていました。
しかし、ここに来てからは
<同じ味を共有する>という事は
とても難しい事だと知りました。
一人一人多種多様な基準があるし、
その事を堂々と主張します。

▲ピクニックエリアにはサークルが書かれています。
お隣さんと距離をとるためのサークルです。

ある日、クッキーを作って友人に渡してみました。
すると、今度はココナツシュガーを使ってほしい。
これは私には甘すぎ、シナモンは抜いてね。
など、好きに意見を言います。
慣れない材料に、自分の作った菓子に落胆し、
時には作る事もやめて、気を取り戻し、再試作。
やっと感覚が掴めてきました。
美味しい新作も着実に増えています。
しかし、誰にでも喜んでもらえるという自信は、
すっかり無になり、
美味しいと思う甘みや食感は様々なんだと
柔軟に考えるようになりました。

インド人の友人に教わったお陰で、
ダルやカレーもこなれて作れるようになり、
上海出身の主人の好物である
ワンタンの包みも速くなりました。
ビーガンのご近所さんにはビーガンケーキを。
和菓子が恋しくなった時は葛餅を作ります。
今更、作りたての葛餅の美味しさに開眼し、
自分の手で作っていながらも
様々な世界を垣間見る毎日です。

▲メルボルン市内の食パン屋さん。

そして、メルボルンでは食パンブーム到来。
食パンを買って、
ちょっと日本の気分を味わっています。
私のお菓子の行方はどこへ? 
まだまだ思考錯誤ですが、
心は自由にと自分に言い聞かせながら、
今は柔軟に自分に取り込む時間なのかもしれません。

▲こちらもメルボルン市内の食パン屋さん。

先月、知った味のする苺を口にする機会がありました。
これは! と夢中で口に入れると、
長年惚れ込んで使っていた
佐賀の紅ほっぺにそっくりの味でした。
その苺によって、
2年の間に眠っていた感覚が呼び覚まされ、
ジャムレッスンをズームで行う事を思いつきました。
日本全国から参加してくださった生徒さんは、
ジャムに対しての情熱を持つ方ばかり。
逆に私も元気をいただいて、
とても喜びを感じられる時間でした。
私はやはり、教える仕事が好きなようです。

▲モーニントン半島の夕日。

2021-05-03-MON