COGTHEBIGSMOKE(コグ ザ ビッグスモーク)は、
ロンドンに暮らすNoriko.Iさんがつくる
洋服のブランドです。
Noriko.Iさんがデザイン&ディレクションを、
東京にいる太田ふさ代さんが営業とPRを、
さらに生産と経理の担当のかたを入れて
ぜんぶで4人、というちいさなチーム。
「weeksdays」とのご縁のきっかけは、
伊藤さんが渋谷PARCOでの対談で着ていた
青いドレス
でした。
それを見て連絡をいただいたのがきっかけで
交流がはじまり、とんとんと話がはずみ、
今回、別注色をお願いするにいたりました。
でも、ずっとロンドンのNoriko.Iさんとは
直接お目にかかってのお話ができないまま。
そこで、朝8時のロンドンと夕方4時の東京をむすんで、
Noriko.Iさんと伊藤さんがオンラインで対談。
初対面だけれどぽんぽん弾むふたりのはなし、
服のことだけじゃなく、英国ぐらしのこと、
そして「芝生」のことから、
会社論、人生論までひろがりましたよ。
5回にわけて、たっぷりお届けします。

Noriko.Iさんのプロフィール

ブランドのデザイナー、
セレクトショップのバイヤーを経て、
2010年に英国・ロンドンに移住。
英国ブランドのディレクターを経て、
自身のブランド「COGTHEBIGSMOKE」を立ち上げる。
COGはNoriko.Iさんが愛するクマのぬいぐるみの名前、
“THE BIG SMOKE”はロンドンをあらわすスラング。
ロンドンの自宅をはじめ世界各地でおこなったデザインを、
生産チームのいる日本とオンラインでやりとりしながら
制作を続けている。
COGTHEBIGSMOKEのキーワードは、
シーズンレス、エイジレス、サイズレス、トレンドレス、
シーンレス、エフォートレス。
サイズはひとつだけ、素材はジャージーのみ。

●COGTHEBIGSMOKEのサイト

その1
英国に住むことになったのは。

伊藤
はじめまして、伊藤です。
Noriko.I
はじめまして、
よろしくお願いいたします。
伊藤
いま、いらっしゃるのは、
ロンドンのどの辺りなんですか。
Noriko.I
世界標準時で知られるグリニッジが
ロンドンのイースト側にあるんですが、
そこから真南に車で15分ぐらい
下がったところなんです。
経度0度0分0秒、みたいなところですよ。

▲近所の公園。

▲近所のパブ。

▲近所のソーセージやさん。

伊藤
そもそもなぜロンドンに? 
もともとは東京にいらしたんですか。
Noriko.I
そうなんです。
もともと、わたしはドレステリアの
最初からのメンバーで、
1999年頃から、
長くバイヤーをやっていたんです。
伊藤
ドレステリアの、その時代! 
すごくよく着ていましたよ。
Noriko.I
ありがとうございます。
まさこさんが着てくださっているのを知って、
うれしく思っていました。
今から6、7年ぐらい前まで
その仕事をしていたんですけれど、
さかのぼると、バイヤーになる前は、
ブランドのデザイナーだったんです。
けれど、自分で全部100パーセント、世界をつくると、
「ちょっとにせもの」をつくらなきゃいけなくなる。
伊藤
「ちょっと‥‥にせもの」?
Noriko.I
たとえばジーンズとTシャツを、
自分のコレクションに入れるために、
オリジナルをつくることになりますよね。
ところが、ジーンズにもTシャツも、
すでに自分が「いい」と思っている「ほんもの」が、
世の中にはあるわけです。
Tシャツだったら、アメリカの
コットンのTシャツがいいとか、
ジーンズだったらLEVI’Sがいいね、ということですね。
なのに、自分の世界を表現するために、
それと似たようなものをつくるのは
「にせもの」ということになるんです。
それが嫌だな、っていうふうに思えてきて。
伊藤
なるほど。
Noriko.I
だったら、自分がいいと思うもの、
絶対に着たいベーシックなものを集めたい、
そう思って、バイヤーに転身したんですよ。
伊藤
つまり、本当にお好きなものは、
すっごくスタンダードなものなんですね。
Noriko.I
そう。変わらないものですね。
結局元を正せば、自分でデザインをして
つくるのも好きだけれど、
ものを集めて世界観をつくるのが好きなんですよ。
伊藤
バイヤーというお仕事が、
すごく向いていらした。
Noriko.I
そうですね、すごく楽しくて。
でもデザイナー経験もあったので、
バイヤーに徹するというよりは、
足りないものがあれば自分でつくろう、と。
それができたドレステリアでは、
自由に楽しくやらせていただきました。
伊藤
ドレステリア時代にご自身でデザインされたものは
どんなものがあったんですか。
Noriko.I
下着っぽいものだったり、
プリントもの、ソックス、そういうものでした。
前任のデザイナーが辞めた後は、
オリジナルレディースウェアの
ディレクターも兼任していたので
全てのデザインチェックをしていましたが、
私自身でデザインした物も多々あって、
リバティプリントのシリーズや
Petit Marierというウエディングドレスも
毎シーズンデザインしていました
伊藤
それが、ロンドンに住むことになったのには、
なにかきっかけがあったんですか。

▲ロンドンの街のあちこち。

Noriko.I
その仕事をしているときに、
プライベートでの出会いがありました。
相手がオーストラリア人だったんですね。
けれども仕事を続けながらオーストラリアに住む、
と考えると、よくわからなくなってしまった。
季節も逆だし、ファッションの潮流も全く違うし、
自分にできることがあるとは思えなかったんです。
オーストラリアに移住するというのは、
環境としては楽しいかもしれないけれど、
仕事は終わりかな、みたいな気持ちになって。
伊藤
ファッションに関して、オーストラリアの人って、
機能重視みたいなところがあるようですね。
オーストラリアに行った友人からききました。
Noriko.I
はい。それでオーストラリアに何度か行き、
全てを失ったような気持ちになったんです(笑)。
自分が何を着たらいいのかもわからないし、
季節がまるで逆なので、
バイヤー、つくり手としても混乱してしまって。
伊藤
日本にいて、わかっていたと思っていた感覚が、
まるで通用しないというか‥‥。
Noriko.I
そうなんです。
「わたしのこの格好、いけてるの? いけてないの? 
それすらも分からない!」みたいな。
ショックでしたよ。
あまりにも環境が違うので、
自分がいいと思って着てる服すらも
自信がなくなってくるんです。
伊藤
そんなこと、あるんですね‥‥。
どれぐらいいらっしゃったんですか? 
オーストラリアに。
Noriko.I
そのときは、1ヶ月行ったり、3ヶ月行ったりで、
完全に移住すると決めてはいなかったんです。
それと並行して、仕事の環境も変わりつつありました。
ドレステリアの仕事は、
もうちょっと自由に働きたいなと思って、
業務委託契約に変えたんです。
そうしたら、ずっと仕事をさせていただいてた
アパレルの輸入業者のかたから、
とある英国ブランドの、
レディース部門のデザインを依頼されました。
伊藤
それは日本人の方に向けた?
Noriko.I
いえ、世界で販売するもの、すべてなんです。
伊藤
え! 世界の!
Noriko.I
はい。それをドレステリアと並行して
担当することになりました。
そうしたら、そのブランドの旗艦店が
ロンドンもできるというので、
チェックしに行ってきて、という仕事が入り、
さらに「英国を拠点に仕事をしないか」
というお話をいただいたんです。
それをオーストラリア人のパートナーに伝えたら、
「え! 英国だったら、僕も住めるよ」
みたいな感じになって。
伊藤
えっ、えっ?!
Noriko.I
疑問ですよね。わたしも「え、何で?」と言ったら、
オーストラリアと英国はコモンウェルス
(Commonwealth of Nations)で同じグループ。
しかも彼のお祖父さんが英国生まれの英国人だから、
彼も英国のパスポートが郵送ですぐに取れる。
ちょうどわたしが
オーストラリアに行くのをためらっている、
という話をしていたところだったので、
2人で英国に行くことにしたんですよ。
伊藤
何ですか、その身のこなしの軽さは!
Noriko.I
(笑)わたし、何も考えないんです。
一時は、もう仕事もいいや、とまで思って。
その英国ブランドの仕事は続けつつ、
ドレステリアからは勇退させてもらって、
自由な時間ができたら
遊んでいてもいいんじゃない? と。
伊藤
わあ(笑)。

▲ロンドンの市場の青果店で。

Noriko.I
(笑)それで、もう辞めるつもりで、
ドレステリアのディレクターに、
斯々然々(かくかくしかじか)で
英国に行くんですけど、っていう話をしたら、
「え、英国だったら、ヨーロッパ各地が近いから、
バイヤーとして便利なんじゃない? 
ぜひ向こうに住んでバイヤーを続けてください」
と言われてしまいました。
それで、英国に行っても、
5、6年間、バイヤーも兼任していたんです。
伊藤
面白いです(笑)! すごい! 
Noriko.I
とはいっても、バイヤーというのは、
展示会のある季節がとても忙しくて、
ほかはわりとゆったりですから、
英国でモダンブリティッシュのアパレルからの
お誘いも受け、
その仕事もやるようになりました。
伊藤
ずいぶん忙しい時期があったんですね。
こうしたい、という気持ちと、
いたい場所と、したい仕事が、
いい感じに流れでまとまった、
という感じに思えます。
Noriko.I
何ひとつ計画せず、
「時の流れに身をまかせ」ですよ(笑)。
さらに、日本のアパレルからも
トラディショナル系のブランドの
デザインを依頼され、それも担当することになりました。
ただわたしは英国に住んでいるので、
デザインをした服のサンプルが上がっても、
フィッティングの度に帰るわけにいかない。
そこで日本の生産担当の女性に着てもらって、
オンラインでチェックをする、ということが続きました。
(つづきます)
2021-05-15-SAT