夏に向けた「weeksdays」の特集
「かごバッグとワンピース」第3弾は、
パリを拠点としたふたつのブランドをご紹介します。
ひとつは、以前もリバティプリントを使ったドレスを
提案してくださった「t.yamai paris」、
そしてもうひとつが、「weeksdays」では初登場となる
「MAISON N.H PARIS」です。

現在は東京にアトリエをもつ
「t.yamai paris」の山井夫妻と、
パリに暮らす「MAISON N.H PARIS」の
石坂紀子さん、佐々木ひろみさん、
東京の伊藤さんをオンラインでむすんで、
座談会をひらきました。
(佐々木さんは、ブリュッセルに出張中。
そこから参加してくださいました。)

東京・パリだけじゃなく、
バッグがつくられているのは
なんとアフリカのマダガスカル。
2つのチームのものづくりについて、
いろいろお聞きしました。

MAISON N.H PARISのプロフィール

MAISON N.H PARIS メゾンエヌアッシュパリ

2015年、チャリティ活動を通じて知り合った
パリに住む2人の日本人、
石坂紀子さんと佐々木ひろみさんが立ち上げたブランド。
フランス的なエレガンスと、
旅先で出会ったヨーロッパ・世界の美意識をブレンドし、
ボヘミアン的な印象で、かつ都会的な
バッグや雑貨をつくっている。

●石坂紀子(いしざか・のりこ)
パリ在住。30年に渡り、フランスで
ファッションに関わる仕事を続ける。
ファッション撮影やイベントをプロデュース、
日本の雑誌への執筆活動などを行なっていたが、
2014年に「MAISON N.H PARIS」を立ち上げてからは、
この仕事に注力している。
インスピレーションのもとは、毎月1~2回出るという旅、
そしてコンテンポラリーアートの観賞。
職人仕事が好きで、1年に6回、インドを訪れたことも。
最近は自らでも陶芸や金継ぎに挑戦している。
2011年の東日本大震災の時にNPO団体
「Hope and Love」を立ち上げ、代表を務める。

●佐々木ひろみ(ささきひろみ)
日本での編集者時代を経て渡仏。
2004年、パリでキッズブランド
「mini tsu tsu」をスタート。
2011年「Hope and Love」を通して
石坂さんと知り合い、
2014年「MAISON N.H PARIS」の立ち上げに加わる。

●MAISON N.H PARISのウェブサイト
●MAISON N.H PARISのInstagram

t.yamai parisのプロフィール

t.yamai paris ティー ヤマイ パリ

1995年、パリでブランドをスタート。
リュクサンブール公園近くにブティックをオープン。
2010年、東京に拠点を移す。
ベーシックを軸に甘さとモダンさをミックスした
大人の日常着を提案。
エレガンス、フェミニン、クラシカルをキーワードに
自分らしい着こなしを大切にする
女性のための服作りを続けている。

●山井孝(やまい・たかし)
文化服装学院卒業。
(株)BIGI に入社しデザイナーとして数年活動。
パリで経験を積んでみたいと渡仏。
TOKIO KUMAGAI のアトリエで
アシスタントとして働いた後、
Zucca paris の企画、フランス生産等を経て
パリで自身のブランド t.yamai paris を立ち上げる。

●山井自子(やまい・よりこ)
文化服装学院卒業。
アクセサリーの企画、プレスを経た後に渡仏。
ブランド t.yamai paris をパリで立ち上げ、
パートナーとしてサポート。

●t.yamai paris のウェブサイト
●t.yamai paris のInstagram

その2
遠い地の職人さんと。

伊藤
エヌアッシュのかごバッグをつくる
職人さんはどちらの国の方が多いんですか。
パリ‥‥じゃないですよね?
佐々木
今は、マダガスカルとインド、モロッコが主体です。
伊藤
わたしが持ってるのはマダガスカルのものが多いですね。
そういう場所や職人さんは
どうやって見つけられたんですか。
石坂
それはもう、ご縁ですね。
全てが誰かに紹介してもらったり、
さらにその人からつながった誰かとか。
出会いが出会いを呼んでつくるようになった。
偶然だったりとか、
こういう人がいるから会ってみたら? って
紹介していただいたりした中で、広がる感じです。
伊藤
じゃあ、25年前からお知り合いだった山井さんたちは、
11年前から2人がこういう活動を始められたとき、
「あの2人が、なにか始めたらしい」と?
自子
「えっ、この2人が!」みたいな感じでしたね。
山井
カゴ、僕らも大好きなので、嬉しかったです。
昔、zucca(ズッカ)にいたときに、
そういうカゴとか民族ものを担当していたこともあって、
2人がそういうカゴを始めたんだ、楽しみだねって。
伊藤
そういえば、それ以前は、
石坂さんと佐々木さんはパリで何をなさっていたんですか。
石坂
私はパリにファッションの学生として来た後に、
PRの事務所に勤め、
アタッシェ・ドゥ・プレス(広報)の
アシスタントの仕事をしました。
その後、アーペーセー(A.P.C.)で
日本向けのお仕事を何年かさせていただいて、
フリーランスになってからは、日本の媒体のお仕事、
いわゆるファッション雑誌や
ブランドさんのカタログの撮影、
パリコレのコーディネートなどをしてきました。
全般的なアパレル関係のパリでのコーディネートですね。
あとは、日本のセレクトショップさんと業務提携をして、
パリにはこういう新しいことがあるんだよ、
みたいに紹介をすることであるとか。
じつはそういう仕事は、自分たちのブランドと並行して、
少し続けているんですよ。
伊藤
そうなんですね。ひろみさんは?
佐々木
私は、日本ではファッションの世界ではなく、
出版社にいたんです。
ところが結婚してパリに来ることになりました。
夫がパリでケンゾー(KENZO)社にいたんですよ。
高田賢三さんの時代にデザイナーとして入ったんですが、
ケンゾーがブランドを
LVMHグループに売却したタイミングで会社を辞め、
独立をして、自分の小さなブランドを
始めたのをきっかけに、
私も一緒に仕事をするようになりました。
そこからファッションの仕事をやるようになったんです。
ものづくりを通じ、
フランス国内外に世界がひろがりました。
その当時はイタリアの人たちと一緒に
ものづくりをしていたりもしましたね。
そんな流れで紀子さんと知り合って、
自分たちのエヌアッシュを始めたという感じです。
伊藤
点と点が結ばれていったんですね。
佐々木
生きていると、いろいろなことが起こりますよねえ。
伊藤
やっとスッキリしました。
最初の展示会のときから、ずっと謎だったんです。
「そもそもお2人はどうして組むことに?」
なんて、忙しい展示会では訊けないじゃないですか。
一同
(笑)
伊藤
エヌアッシュを立ち上げて、
つくったものを、
最初はどこでどう発表したんですか?
石坂
やっぱりパリですね。
初めは「エスパドリーユ」という
フランス・スペインのバスク地方で履かれている
靴をつくったんです。
ところがパリのファッションウィークに間に合わなくって、
発表しそびれてしまった。
それで、最初はホテルのロビーとか、
ディナーテーブルでお見せするっていうはめに。
佐々木
ははは! そうでした。
石坂
行商ですよ。
伊藤
どういうエスパドリーユだったんですか? 
たとえばカスタニエールみたいなものとか、
エスパドリーユにもブランドや個性がありますよね。
佐々木
わりとフラットで、かたちは2種類、
素材をいろいろ工夫してつくったんです。
ただ靴はなかなか苦戦しました。
で、たまたまバッグも一緒につくろうかな、
と考えていたときにご縁があって、
マダガスカルのアトリエを紹介していただいたんです。
そこでつくった一番最初のバッグが、
今もうちのアイコン的な存在になっている
丸~いかたちのサークルバッグです。
それを出したことで、バッグのほうがすごく売れ出して、
もうエスパドリーユはやめてバッグにしよう、と。
伊藤
靴はサイズもありますしね。
佐々木
そうなんです。サイズとか、箱をどうするとか。
石坂
そう、箱がたいへんだった(笑)!
佐々木
そういう行き当たり的な感じで
バッグに流れ着いたという感じです。
──
マダガスカルっていうのは、フランスの人にとっては、
よくある発注先というか、
カゴバッグをつくるならあの国がいいよ、みたいに、
馴染みのある土地なんですか?
石坂
うーん? そうでもないですね。
たぶん、モロッコのほうが馴染みがあります。
でもマダガスカルもフランス語を喋る人がほとんどで、
ものをつくりやすい環境ではありましたね。
伊藤
マダガスカルに行って、つくったんですか。
石坂
最初はリモートで発注をしたんです。
でも現場をどうしても見てみたくなって。
どういう人たちがどういう状況でつくっているのか、
それが見えないと、やっぱり不安なんですね。
私たちは、いまも、現地に行くことを重要視しています。
その時も、「よし、マダガスカル、行こうか」って(笑)。
──
パリからは、遠くないんですか。
佐々木
すごーく、遠いです!
石坂
パリ=東京と同じくらいの時間がかかります。
直行便があるんですけど、
ず~っと南に下がっていくんです。
佐々木
だから時差は1時間しかないんですけど。
──
日本とオーストラリアのような‥‥。
石坂
さらに遠いかな。12時間かかりますから。
自子
パリ=東京くらいの距離ですね。
──
山井さんたちもマダガスカルで
製品をつくったりしていますか。
山井
マダガスカルでつくってもらったことはありますが、
行ったことはないんです。
マダガスカルのおばさんが
パリ市内の路面でカゴを売っていて、
その人にちょっと話を聞いたら、
「何でもつくれますよ」というものだから、
その人に間に入ってもらって、つくりました。
自子
あれは、zuccaの時代のことね。
伊藤
パリの露店のおばちゃんに!
それで、エヌアッシュでは、
いまもアイコンとなる
あの丸いバッグができ上がったわけですね。
あのかたち、あとからファストファッションのアパレルが
そっくりのものを出していて、びっくりしました。
佐々木
そうなんですよ~(笑)。
石坂
だって、あれ、そっくりのものが
マダガスカルの市場でも
売られるようになってますから(笑)。
伊藤
そっかあ。でもコピーしたいぐらい、
新鮮なデザインだったってことですよ。
お2人は、自分たちがデザインをしたものを
作ってもらうというよりは、
技術に沿って一緒につくるというお話でしたが、
実際には、どういう指示をすると
あんなに素敵なものができるんでしょう。
わたしが思うに、マダガスカルの職人さんだけでは、
あれはできあがらないような気がするんです。
パリのエッセンスが、絶対に入ってると。
こまかく「ここはこうしてください」と伝えて、
できる・できないを判断して、工夫をかさねていく?
石坂
そうですね、ここはこういう編み方にしようとか、
ここはこういうふうなラインでというようなことは、
こまかな指示を出します。
職人さんの技術についても、かなりアップデートしますね。
自分たちで使ってみたら、
少しほどけたりしてくることもある。
そしたらすぐに話し合って、解決法を考える。
その繰り返しで、できあがっていくんです。
伊藤
そっか。丈夫さも、大事ですものね。
石坂
そうなんです。
たとえかたちは真似できても、クオリティですよね。
持ち手がすぐに取れないようにするとか、
ぱっと見ただけではわからない特別な仕様に、
私たち、すごく気をつかってるんです。
やっぱり長く使っていただきたいっていうのがあるので、
1シーズンで終わるような安いものではないようにと、
しっかりつくってはいると思いますよ。
自子
あのバッグタッセルがあることが、
とってもよかったんじゃないかなって
思って見ていました。
──
そういうところに「パリらしさ」がある?
山井
そう、ワンポイントがあることが。
──
たしかに、かわいいですよね。
自子
きっと大変なことだろうと思うのだけれど、
そういうことに手を抜かないんですよね。
(つづきます)
2022-05-24-TUE