スマートフォンが広まったことで、
日々、たくさんの撮影をするようになったわたしたち。
その写真をSNSなどを通じて発表することも、
ごくあたりまえの日常になりました。
今回、日めくりカレンダーの製作で、
あらためて「写真って、おもしろいなあ」
と感じた伊藤まさこさんが、
写真家の長野陽一さんと
オンラインでおしゃべりしました。
長野さんはスマホで撮ることもあるの? 
フィルムはいまも使ってる? 
プリントはするのかなあ。
どんな気持ちで料理写真の仕事をしているんだろう。
全6回で、おとどけします。

長野陽一さんのプロフィール

長野陽一 ながの・よういち

写真家。福岡県出身。
沖縄や奄美諸島の島々に住む10代のポートレイト写真
「シマノホホエミ」を1998年に発表。
以後、全国の離島を撮り続けシリーズ化。
写真集に、
『シマノホホエミ』『島々』
『改訂版 シマノホホエミ』『BREATHLESS』など。

2014年には『ku:nel』をはじめとした雑誌で撮影してきた
料理写真を集めた一冊、
『長野陽一の美味しいポートレイト』を刊行。
雑誌、広告、映画など、
さまざまな分野へと活躍の場を広げている。

ほぼ日では、
「イセキアヤコさんのジュエリーのお店」で、
伊藤まさこさんのスタイリングによる
美しいブローチの写真を撮影。
「ほぼ日」では「LDKWARE」のゲストキュレーターや
「もっと撮りたい。もっと食べたい。福島」の連載などで活躍。
「weeksdays」の「あのひととコンバース。2022」にも
父子で登場。

●長野陽一さんのTwitter
●長野陽一さんのInstagram

04
もう撮れない写真がある

長野
写真展とか、写真集で
写真を並べていく行為は、
小説家が物語を書いていくような作業ですよ。
1枚の写真だけで見るんじゃなくて、
何枚も何枚もある写真のつながりの中から、
その人のストーリーをつくっていく。
でもInstagramは
そういう作業ではないってことですよね。
Instagramでは一度に10枚しか上げられないし、
別にそこにつながりなんかなくても、
1枚1枚が映(ば)えてればいい、
バズればいいってことなんです。
伊藤
写真集を出すときに、並びを考えるでしょう。
この写真とこの写真の間に、
写っていない「行間」みたいなものがあるでしょう?
長野
そうですね。まさこさん、
すごくいいことを言いますね! 
伊藤
彼らは、そんな行間は、考えないってこと?
長野
はい、だから、それがあるよってことを、
僕が学校で教えてるんです、今。
伊藤
反応はありますか?
長野
面白がってくれますよ。
面白がってくれるけど、
卒業後の目的がそういう方向じゃない、
自分の作品がそういう方向じゃない学生は、
「そういうものなんですね~」ぐらいです。
でも、そういうふうに写真に携わっていきたいって
思って気づいた人は、面白がってくれてます。
伊藤
じゃ、そんな彼らに教えてて、触れ合って、
長野さん自身が「よっしゃ」みたいな
刺激をもらえることとかもある?
長野
あぁ、もちろん! 
「よっしゃ」というか、
もう自分には撮れなくなったものって、
たくさんあるので。
伊藤
え、何? 何? 
長野
たとえば『シマノホホエミ』なんて、
もう、今、撮れないんですよ、僕。
当時のようには。
伊藤
そうなの?
長野
だって当時、僕は20代後半で、
今53歳ですから。
53歳のおじさんが
10代の子に声を掛けて写真撮ってたら、
もうヤバイじゃないですか。
伊藤
そりゃ、ヤバイかもしれないけど(笑)。
でも、そのときの、ああいう新鮮な被写体に
向かい合う気持ちは変わらないんじゃない?
長野
うん、被写体に対してはそうですね。
その人たちを目の前にしたときは、
僕は20代のときと、気持ちの中では同じつもりです。
でもそれを写真にしたときに、
たとえば今息子が14歳だから、
あぁ同じ年ぐらいかぁと、
親の目線や気持ちが生まれちゃう。
昔は、年齢は違えど、対等だったんです。
1人の被写体がいて、僕はいち写真家で、
全く知らない人に声を掛けて、
写真を撮らせてもらうだけの関係で、
そこで作品づくりができていたんです。
たけど、今だったら、
親御さんにちゃんと知らせなきゃいけないなとか、
家がもし近所で、お母さんがいらっしゃるようでしたら、
ちょっと一言だけ挨拶したい、
名刺だけでも渡したいからみたいな、
そういうアプローチになっていくじゃないですか。
そうなってくると、撮ったときの感じが、
もう、変わってしまうんですよ。
「この人を撮りたいな」というだけで撮れなくなる。
伊藤
大人になってきたってこと‥‥。
長野
そう! 自分が大人になってるし、
責任が生まれちゃってる。
だって、僕は自分の作品として、
その人に何の利益もないのに
発表するわけじゃないですか、
‥‥とかそういういろんなことを
考えるようになっちゃった。
伊藤
逆に若いときは撮れなかったけど、
今はこれが撮れるっていうことはありますか?
長野
あぁ、いっぱいあるんじゃないかな、それは。
伊藤
たとえば、何ですか?
長野
若いときは、水平・垂直とか、
気にしてなかったですが、
風景や建築、そして料理もそうですね。
いまでは水平・垂直と光がどうあたっているかを
気にするようになりました。
伊藤
技術的なことですね。
長野
はい。つきつめることで発見することがあって、
そこから次の写真が生まれる。
でもね、水平垂直を悩んでる間に、
失ってくものっていっぱいあるんです。
撮りたいなって思ったとき、
ポジションを探る間に、
光が変わっちゃった、とか。
シャッターチャンス、ってそういうことですよね。
そうすると、やっぱり変わるんですよ、気持ちも。
ちゃんとしようとすると、その間に。
でも若いときって、
そのままワッと押しちゃったりとか、
ちょっと露出が暗くても、
ちょっとピントがズレてても、それがよかったり、
「だから撮れるもの」があるんですよ。
学生の写真は、
写真としては未熟なわけですよね、ある意味。
でもそこに、
すごく人の心を惹きつける力がある。
伊藤
歌や演技もそうかもしれないですね。
達者だからといって
魅力的な人っていうことでもないんですよね。
長野
そうです、そうです。
「自分の写真はこうだ!」っていうふうに
決めて撮影をしている人からしたら、
僕が今話したことは、
そんなに大事なことじゃないかもしれないですけど、
僕は10代が被写体だったので、
そこのキラッと光る感じとか、
未来をもってるとか、青春とか、
なんでもいいですけど、
未完成のよさみたいなものに、
未だに敏感なんです。
学生の作品には、結構、それが詰まってるんですよね。
昔俺もこんなふうに見てたなぁとか、
懐かしくなっちゃうというか。
あと知らない世界。
こんなところがあるんだとか、
全然自分が知らない世界があるんだということ。
その人の実家でもいいんですけど。
うちにはないわ、このマッサージ機とか、
すごく面白いですよ。
これどこで買って来るんだよ、この銅像、
みたいなものとか、
自分の知らないものが写ってるんです。
それは、精査されてないから。
伊藤
その「精査されてない」っていう意味だと、
わたしはもうほんとに余分なものを
精査しちゃう癖があって。
──
伊藤さん、撮影現場で、
「情報が多いから減らしましょう」って、
よく、おっしゃいますよね。
長野
(笑)
伊藤
その癖はなんだろう。
すっきりした写真が好きっていうのもあるんだろうな。
あとは、料理やもの、服など、
撮りたい対象物があるから、
それを主役にして、と考えると
情報を押さえたほうが、
主役が目立つというのもあります。
──
伊藤さんのスタイリングの仕事と
おんなじですね。
伊藤
これはわたしがスタイリストになる
少し前の話なんですが、
たとえばレストランのメインディッシュを撮るのに、
その手前に前菜があって、
後ろにデザートがあって、
バチバチに全部にピントが合っている、
そんな写真が雑誌では主流だったんです。
そこにワイングラスが横に倒れてて、
ワインの瓶もあって、
空いたところにバラの花があって、
っていう世界だったんですよ。
──
大御所の料理写真家たちがつくりあげた世界ですね。
料理写真はこうあるべきだっていうのが、
確立された時代がありました。
それが日本の婦人雑誌の料理ページの質を
高めていったんですよね。
伊藤
わたしがこの世界に入ったときも、
4×5(しのご)の大きなフィルムで、
大きなカメラで撮っていました。
でも、22歳ぐらいのわたしにとって、
それはちょっとだけ疑問だったんです。
長野
そうでしょうね(笑)。
伊藤
こんなテーブルは一般家庭にはあり得ないし、
一皿一皿食べるものなのに、
何でこんなにいっぺんに並ぶのかな? とか。
それは写真1枚で
すべてを表現しなきゃいけなかったからなんですけれど。
長野
うんうん。
伊藤
それでわたしは情報を精査する、
という方向のスタイリングを続けてきたんです。
でも最近、情報の少ないすっきりした写真を
撮る人が多くなったので、
逆に、こってりしたスタイリングにも
興味が出てきたんですよ(笑)。
長野
おぉ~! いいじゃないですか! 
やって下さいよ! 
伊藤
自分も変わるものなんだなぁと思ってます。
別にわたしが写真を撮るわけじゃないけれど、
写真の中におさめるものをつくってきて、
ちょっと飽きてきたのかもしれませんね。
(つづきます)
2022-08-30-TUE