「おしゃれをするために、
靴は我慢するものだと、
ずっと思っていた」
という伊藤まさこさん。
それがそうじゃなくていいんだと
教えてくれたのがドイツの靴、
トリッペンなのだそうです。
人間工学に基づき、履きやすく、
歩きやすくって疲れにくい。
しかも、ちゃんとおしゃれ!
伊藤まさこさんとほぼ日のつくる
ネットのお店、weeksdaysは、
そのトリッペンに依頼し、ヨーロッパでつくった
オリジナルカラーの靴8足でスタートします。
おりしも本拠地ベルリンから東京に来ていた
トリッペンの創業者であり社長をつとめる
ミヒャエル・エーラーさんと、その奥さまであり、
トリッペンのパタンナーでもある
クラウディア・エーラーさんに、
伊藤まさこさんが会いました。
3人で盛り上がったのは靴の話?
そう、でも、自由の話でもあるんです。

トリッペンのこと。

trippen(トリッペン)は
靴職人のマイスター(特別技術資格者)で、
医療用矯正靴などの製作にも携わっていた
ミヒャエル・エーラーさんと、
それまでも靴や服のデザイナーとして活躍していた
アンジェラ・シュピーツさんが、2人で、
ドイツ・ベルリンで立ち上げた
シューズブランドです。

人間工学に基づいた履き心地のよさを追求、
同時に洗練されたデザインで、多数の賞を受賞、
おおぜいのひとの支持をあつめてきました。
磨耗したり不具合が起きた靴は
直営店での修理を受け付けており、
ずっと長く履くことができるのも特徴です。
靴の製造はドイツの自社工場と、
一部、イタリアの工房で行なっており、
ひとつひとつ手作業でつくるため、
大量生産品ではありません。


本国ドイツに
フラッグシップストアができたのは1995年。
ベルリン旧市街のHackesche Höfe
(ハッケシェ・ヘーフェ)という場所です。
日本にお店ができたのは1997年9月、原宿。
現在は原宿のほか代官山・二子玉川・名古屋・
神戸・熊本・京都・福岡に展開しています。
ちなみに世界規模ではケルン,ハイデルベルク、
ミュンヘン、ハンブルク、パリ、ロンドン、
テルアビブ、台北、台中、ウランバートル、
香港、ニューヨークへと進出をしています。

ミヒャエルさんたちのこと。

ミヒャエル・エーラーさんは
1960年ドイツのLindau出身。
整形外科関係のシューズメーカーに勤務ののち
靴についての修士号を取得。
国際的な劇場や映画のための靴を手がけると同時に
ベルリンの芸術大学で工業デザインを学びます。
その後造形大学で工業デザインの講師も。
trippen社を設立したのは1994年のことでした。

クラウディア・ヘースさんは、
1975年生まれ。南ドイツのちいさな町、
Buchloeの出身です。
ここはミヒャエルさんの育った
Lindauにも近い場所だったそう。
95年、ベルリンのワークショップで
ミヒャエルさんとアンジェラさんに出会います。
そしてミヒャエルさんから靴づくりを学ぶとともに、
ふたりはパートナーとなり、
現在、トリッペンではミヒャエルさんといっしょに
コレクションのデザインを手がけています。
ふたりの間には19歳と16歳になるお子さんがいるそう。

このインタビューは、
ミヒャエルさんとクラウディアさんが、
次のコレクションのデザインにとりかかる前の休暇で
日本を訪れた2018年5月に行われました。

その1
スタートは木靴から。

伊藤
ミヒャエルさん、クラウディアさん、
お目にかかれてうれしいです。
ミヒャエル
こちらこそ、ありがとうございます。
クラウディア
お目にかかれて嬉しいです。
伊藤
トリッペンというブランド名、
「よちよち歩き」
というような意味だとうかがいました。
ミヒャエル
はい。といっても、こどもの歩き方ではなく、
中世のヨーロッパに源流があるんです。
当時、人々は家庭で出るごみや
いまでは下水に流すようなものまで
すべて道に捨てていたので、
外を歩くと靴が汚れてしまいました。
部屋では美しい絹の靴を履いていた当時の人は、
そのまま外に出ると汚れてしまうので、
とても困っていたんです。
そこで、絹の靴をカバーする木の靴をつくりました。
ところがその木靴を履くとよちよち歩きになる、
そのことを「トリッペン」と言ったんですね。
設立当初から木靴をつくっていたぼくらは、
その言葉をとってブランドの名前にしました。
ビジネス・パートナーである
アンジェラ・シュビーツと一緒に、
6週間かけて20タイプの木靴をつくり、
ベルリンのギャラリーで発表したんです。

▲創業まもない頃のミヒャエルさんとアンジェラさん。

伊藤
木靴からスタートなさったんですね。
ミヒャエル
ぼくらが木靴をつくった最初の思いは、
「何か違うものをつくりたい」ということでした。
手づくりの木靴は、シンプルな形にもできるし、
何か極端な形にもできるでしょう?
とても自由です。

さらに、ブランドを立ち上げた90年代初頭は、
ごみの問題を人々が考え始めた時代です。
ごみを分別してリサイクルする必要性に目覚めた時代。
だから木靴は、使い古した靴を
分別して処理するということを
追求するシンボルでもありました。
トリッペンという名前はリサイクルの
シンボルでもあるんです。
靴を使い終えた後、
その材料を分別する可能性を考える象徴なんですよ。
伊藤
そうでしたか、そんなに深い意味が。
じつはトリッペンという言葉は、
日本語の語感としても、
とても可愛らしく感じられるんですよ。
ミヒャエル
そうなんですよね、
最初は自覚していませんでしたが、
この名前、世界中の誰にとっても発音しやすくて、
しかも「歩く」という意味が入っていますから、
シューズブランドとしては、
結果的に完璧だったんです。
伊藤
創業当時のトリッペンが発表した靴に対する
皆さんの反応はどうだったんですか。
ミヒャエル
熱狂的に迎えてくれましたよ。
ドイツのファッションデザイナーの
Wolfgang Joopがギャラリーに来て、
ぼくらの靴を買い、
ニューヨークのショーで使ってくれたり。
そんなふうに最初から大きな反響がありました。

▲1995年にできたベルリンのフラッグシップストア。現在も同じ場所にある。

伊藤
歩きやすいだけじゃなくて、かっこいい。
それがトリッペンの特徴だと思うのですが、
その2つのバランスをとって
つくっていらっしゃることがすばらしいです。
ミヒャエル
ぼくらにとって、
履き心地とデザインのバランスを取ることは、
常に仕事のインスピレーションの源です。
この仕事を始めた原点の考え方だと言えるでしょう。
この2つのバランスを取ることを考えつづけたから、
ブランドの設立者が2人になったんです。
アンジェラはデザインを追求する人、
ぼくは履き心地とデザインの両立を考える人。
伊藤
時にはお互いの主張について、
「違うんじゃない?」となることもあったんですか。
ミヒャエル
もちろん! 互いにいつも怒鳴りあっていましたよ。
伊藤
あら。それでも、結局折り合って、
いい形ができていったということですね。
ミヒャエル
むしろ、そのおかげで、成功できたのだと思います。
いろいろなアイデアを持ち寄っては、
怒鳴りあいながら、検討を重ねました。
そうした過程を経て、やっと、
1つか2つのアイデアが生き残る。
それでいいんです。
その過程を経てこそ、
トリッペンらしい靴になるんですね。
‥‥とても疲れてしまうけれど。
伊藤
もしかしたら、新作をつくるたび、
毎回、喧嘩してきたんですか。
ミヒャエル
そうなんですよ!
とくに最初の10年間は、非常に激しい
戦いの時期だったと言えます。
ふたりの意見の対立というだけでなく、
世の中とトリッペンの戦いでもありました。
ブランドを始める時、
「これまでにない全く新しい靴をつくるのは不可能」
と言われたんですね。
靴は、他のブランドのやり方を踏襲するしかないし、
ファッションや流行の枠外に出ることはできないと。
でも、可能だということを証明したかった。

▲創業まもない頃、メンバーと。前列中央がミヒャエルさん。

(つづきます)
2018-07-15-SUN